■滅びの国■


−11−




 走って走って、長い廊下を走り続けた。
 どこに向かっているのかは自分でも解らない。
 ただただ、走り続けた。
 ラディスと話をした。
 しかしそれは、ただ上辺だけの話。
 それでけでなく、ラディスの言葉にかっとなって、頭に浮かんだ言葉を投げ捨てて飛び出してきてしまった。
 もっとゆっくり、穏やかに、話をしたかったのに。
(……でも、あの言葉は聞きたくなかった)
 昨日、関係ないと言われた時にショックを受けた。
 そして今、関わってほしくないと言われて頭にきてしまった。
 セイラードから話を聞いて、矩が“関係ない”わけではないことを知っているはずなのに……それなのにラディスは、それでも関わって欲しくないとそう言うのだ。
 自分が、この国にもラディスにも“関係ない”存在だと言われたのと同じように感じられて、哀しくてたまらなかった。

「――ノリ!?」
 不意に、聞き覚えのある声が耳に飛び込んできた。
 その驚いたような声音に、思わず矩は足を止めた。
「どうしたんだ、一体」
「ランス……」
 振り返ってみれば、ランスロットの心配そうな顔が映った。
「な、何でもない……ランスこそ、今日は留守だったんじゃ……」
 自分は今、どんな顔をしているだろう。
 そう思うと、自然、顔は俯きがちになる。
「ああ、今帰ってきたところだ」
「そう……どこに行ってたの」
 それでも、ランスロットと話すことで、少し気持ちが落ち着いてきたのを感じる。
(――もう、大丈夫)
 ラディスへの感情に一時蓋をして、矩は顔を上げた。
 ランスロットは、まだ少し心配そうな様子だったが、矩の顔を見ていくらか安心したようだった。
 普段の調子に戻って、矩の質問に答えてくれる。
「アリファルの国境の砦まで。今日は、アリファルへの移住を希望する民を送っていく日だったからな」
「移住って……」
「言っただろ? 国を捨て他国へ行く者もいると。彼らを安全にアリファルまで送り届けるのが、今の俺たち近衛騎士団の仕事だ」
「……そんな」
「俺たちも悔しいさ。この国の王と民を護るのが務めだというのに、この国を出ることでしか民の安全を護れない自分たちが」
 ランスが、職務を全うできているかどうかと言葉を濁していたのを思い出す。
 あれは、こういうことだったのか。
「それでもアリファルに着くまでは……いや、どこに行こうと、彼らがヴァリスタの民であることに変わりはないからな。俺たちは今できることで務めを果たすだけだ」
 真摯で、力強い言葉。迷いのないそれは、近衛騎士団長という立場に相応しいものだ。
 この国で護るべき国民を、他国へと送り出す。
 それが、辛くないはずがない。
 滅びゆく国を護れず、他国へと行く国民を止める術がない。
 それが、苦しくないはずがない。
 そんな思いを抑え、ランスロットは――。
「ランスは……ちゃんと職務を全うしてる。そう思う。俺が、偉そうに言えたことじゃないけど……」
 気付けば矩は、そう言っていた。
 言わずにはいられなかった。
 厳しい表情をしていたランスロットは、矩の言葉にふっと優しい顔になって微笑った。
 ありがとう、と言うように。
 矩は、ほっとして、息をつく。
「……ノリがアリファルに行くと決めた時には俺が送ってやるぞ。……本音は、そんな時が来なければ良いと思ってはいるけどな」
「ランス……」
 その苦く優しい声と言葉は、いつまでも矩の耳に残った。






「ノリ様!」
 躊躇いがちに開いた扉の中、リッセンが笑顔で矩を出迎えた。
 何も答えず逃げるように部屋を出たから、リッセンのその反応は矩に安堵をもたらした。
 ラディスの部屋を飛び出して闇雲に走った矩だったが、そこから自分に宛われた部屋はそう遠くなかった。
 おかげで、自力で戻ってこられたのだった。
 広い城内、ほんの一握りの場所しか知らない矩だ。迷ってしまったら、ひとりではとても部屋まで戻れなかっただろう。
 矩は二重の意味で、安堵の溜息をつく。
「ノリ様、お腹がお空きでしょう。すぐにお食事の支度をいたしますね」
 そう言われて、急に空腹を感じた。
 思えば、この世界に来てから何も口にしていない。
 昨夜はそれどころではなかったし、朝は寝坊して、部屋にも居辛くなって歩き回っていたからだったが、さすがに限界のようだ。
「うん」
 迷うことなくそう答えると、リッセンは嬉しそうにひとつ礼をして部屋を辞した。
(いつまでもこのままってわけにはいかないだろうけど……)
 今は、リッセンのこの態度に甘えたい。
 10歳そこそこの子供に甘えるのは情けなくもあるし、心の痛みは消えずに残っている――しかし、もう少し。
 もう少しだけ……。
(俺って……こんなに弱かったんだ……)
 普通に暮らしていた今までは気付かなかった。気付けなかった。
 大きすぎて、自分の手には余る状況。自分の心には余るそれぞれの想い。
 いつか向き合わなければならないのだと、そんな予感を抱えながら。
 それでも、もう少しだけ――。




 ほどなく、リッセンが食事を運んできてくれた。
 少し早い夕食といったところだろうか。
 しかし、空腹感には勝てない。
 ふんわりと柔らかそうなパン、温かいスープ、何かの動物の肉、生野菜などがテーブルに並べられていく。
 食欲をそそる匂いが、部屋に満ちる。
「もしかして、これもリッセンが?」
「はい。僕が作りました。お口に合うと良いのですが……」
 リッセンの答えに驚きつつ、食事を口に運ぶ。
(美味しい……)
 すぐに次の料理へと、手が伸びる。
 リッセンの作った料理はどれも口当たりの良いものばかりで、とても美味しかった。
 しばらく黙々と食べて、お腹が適度に満足したところで、矩は給仕をしてくれていたリッセンを見た。
「リッセンってすごい……」
「え?」
「だって、服も作れるし、こんな美味しい料理も作れるし。まだ小さいのに何でもできるんだな、って」
 矩は、リッセンくらいの年の頃はおろか、17歳になった今でも家事の手伝いひとつ、ろくにしたことがない。
「そんな……褒められるようなことじゃありません。僕にはそれくらいしかできませんから……」
「それくらいって……十分大したことだよ」
 おろおろとしているリッセンに向かって、本気でそう言った。
「そんな……でも……ノリ様にそう仰って頂けると、嬉しい、です」
 はにかみながら笑うリッセンに、矩にも自然と笑みが浮かんでくる。
 リッセンの笑顔を見ると、心が溶けていくようで、良い気分になれる。
 食事もきっと、ひとりで食べるよりも美味しい。



2006/03/12



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