■滅びの国■
−12− 「ノリ様、こちらデザートです。甘くて美味しいですよ」 リッセンが透明な器を差し出しながら、そう言った。 器の中には小さな青い実が入っていた。 何の実だろう。 「ルカの花の実です。花が咲き終えた後は、こうして青い実が成ります」 ルカの花の実。 それを語るリッセンの表情は、愛しいものを見ているようで、どのくらいリッセンがこの花が好きなのかが良く解る。 「リッセンは、この花が好き?」 答えは予想できたが、リッセンの言葉を聞きたくて訊ねる。 「はい、とても」 思った通りの答えを聞いて、矩は嬉しくなった。 「僕は植物が好きで、そのなかでもルカの花は特別好きなんです」 「ふぅん。ルカってどんな花?」 「ルカの花は、ヴァリスタにしか咲かない小さな青い花です。とても綺麗ですよ」 「え? ヴァリスタにしか咲かない……?」 「はい。かつて、アリファルで種を植えてみたことがあったらしいんですが、どれだけ世話をしても芽さえ出なかったそうです。以来、ルカの花はヴァリスタの国花になったとか」 器の中の実を優しい瞳で見ながら話していたリッセンの表情が、不意に曇った。 「リッセン?」 「ヴァリスタの周囲の森や、街の中……以前は数え切れないほどのルカの花が国中に咲いていました。ですが今は……城内の庭園にしか残っていません……」 哀しい声で、リッセンが呟く。 矩は、その言葉に愕然とした。 自分がラディスとともに見ていた植物の多くはこのルカの花だったのだ。そして、日々失われていったものでもある……。 目の前のルカの花の実を見つめる。 「そ、そんな大事なもの……俺が食べて良いの……?」 おずおずと訊ねた矩に、リッセンはすぐに明るい表情に戻って頷いた。 「勿論です。僕、ノリ様がいらっしゃったら、絶対に食べて欲しいって思っていましたから。ルカの花も見て欲しいって思っていましたから」 「リッセン……」 「大丈夫です。僕がずっと、種を蒔いて、水をあげて……毎日、世話をしていますから。その甲斐があったのか、ルカの花は庭園にはたくさん咲いています。だから……どうか食べてみて下さい」 「…………」 懇願するようなリッセンを前に、躊躇いながらも器に手を伸ばす。 柔らかなその実は、微かに甘い香りを漂わせていた。 甘ったるい香りではなく、爽やかな甘い香り。 申し訳ないような気持ちになるのも申し訳ない気がして、思い切って口の中に入れてみた。 「甘い……」 香りと同じ、爽やかな口当たりの、甘い果実。 甘すぎないそれが、口の中に広がる。 「リッセンの言う通り、すごく美味しいよ」 いくつでも食べたくなる、そんな味だった。 「お口に合って良かったです」 ふんわりと口元を綻ばせてリッセンが喜ぶ。 「今度は……花が見たいな」 「はい! 次の機会には、庭園をご案内します」 「うん」 穏やかな空気、楽しい会話。 矩は、弟ができたような気分になる。 それは、兄弟のいない矩には、異世界にひとり来てしまった矩には、くすぐったくも嬉しいことだった。 リッセンが空になった食器を下げ、就寝の挨拶をして出て行った後、部屋には静けさが充満していた。 さすがに入浴まで手伝ってもらうのは遠慮したが、リッセンは残念そうにしていた。 あまりにも広い湯殿を持て余しながら、矩は溜息をつく。 寝るにはまだ早い時間だったので、正直なところ、もう少しリッセンと話していたかった。 昨日と同じように、こうしてひとりになると不安が押し寄せてくる。 何もかもが違う生活。 新しい何かに触れることは楽しくて、目に映るものへの好奇心も湧いてくる。 しかしそれは、誰かが一緒にいる場合だ。 ひとりになると、全く駄目になる。 まだ、たったの二日間。 元の世界にいれば短く感じる時間も、この世界にいても誰かと話していればそれなりに過ぎる時間も、今は途轍もなく長く感じられて――。 湯の中にいても、温まったという気が全くしない。 矩は早々に、湯から上がった。 リッセンが用意してくれた寝衣を着て、ベッドに腰掛ける。 「…………」 静かな部屋は考えごとに適しているようでいて、実のところは逆だった。 楽しいことよりも、痛みばかりを思い出してしまう。 リッセンのこと、ノーヴァのこと、ランスロットのこと、移住していく民のこと。 ――ラディスと、衝突してしまったこと。 (何もかも上手くいくなんてこと……急には無理だよな……) そう考えて無理矢理納得させようとしてみても、出るのは溜息ばかり。 視線を廻らせると、カーテンに覆い隠された窓が見えた。 ふと、そこから見えるだろう景色に興味を覚え、矩は窓の方へと歩み寄る。 目に優しいクリーム色のカーテンをそっと開けると、ラディスの部屋ほど大きくはないが、ピカピカに磨かれた綺麗な窓が現れた。 窓越しに見た外の景色は、夜の黒。 街の灯りは見えないだろうかと、窓を開けてみようした時――。 小さな、ノックの音がした。 聞き間違いかと思えるほど、小さな音だった。 それきり何の物音もしない。 (……?) 訝しく思って、矩は窓から離れて扉の方に近付く。 間近まで来てみて、扉の向こうに誰かがいるような気配を感じた気がして、首を傾げる。 (いるなら声を掛けてくれれば良いのに……) 昼間、ラディスの部屋の扉の前での自分の行動を棚に上げてそう思う。 恐る恐るノブに手をかけて、ゆっくりと押し開いた。 少しの隙間から見えたのは、金色がかった茶色の髪と、茶色の瞳――。 (え……) 「……ラディス!?」 慌てて扉を大きく開け放つ。 そこに立っていたのは、昼間、喧嘩別れした――いや、矩の方が一方的に憤りをぶつけた、ラディスだった。 (何でここに、ラディスが……?) 想像もしていなかった相手を、呆然と見上げる。 言葉もなく、まじまじとラディスを見つめた。 ラディスの表情は――相変わらず読み取れない。 ただ、張り詰めたような空気に、少しだけ圧迫感を感じた。 ラディスは、そんな矩をまっすぐ見て、呟く。 「……入っても、良いか?」 「え……?」 ラディスのそれは、何でもない当たり前の問いかけだったのだが――。 矩は咄嗟に反応できなかった。 「入っても良いか?」 何も言わない矩に、重ねてラディスはそう訊ねてくる。 (入るって……この部屋に?) ようやく言葉が頭の中に浸透し、 「え、ええっと……どうぞ……」 矩は脇に寄り、ラディスを部屋の中へと促した。 その瞬間、ふっと空気が凪いだ。 張り詰めていたものがなくなったのを感じて、矩は部屋へ入ってくるラディスの動作を不思議な気持ちで眺める。 (……あ……) ラディスのほっとしたような表情が垣間見えて、矩は軽く目を瞠った。 閉めた扉の音が、妙に大きく響いた。
2006/03/15
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