■滅びの国■


−13−




 どうしてここにラディスが来たのか解らなくて戸惑いながら、扉を閉めた格好のまま部屋の中程にいるラディスを振り返る。
 ラディスはまっすぐ矩を見ていた。
 静かな夜、静かな部屋。
 先程までの静寂とは違う種類の静けさ。
 ラディスがいるだけで、部屋の空気が変わったような気がした。
「……あの」
「もう休むところだったのだろう? ……突然、すまない」
 思い切って話し掛けようとしたところを、ラディスの声が遮った。
 寝衣を着ているのを見て、もう寝るところなのだと思ったのだろう。
「……ただ着替えただけで、まだ寝ようと思ってたわけじゃないから」
「そうか」
「…………」
 相変わらず、会話が続かない。
 どうしようかと逡巡していると、
「……ノリ」
 落ち着いた、心地良い声が矩の耳に届いた。
 短い、たった二文字の言葉。
 しかし、矩にとっては唯一の言葉が。
(今、名前を呼んだ……?)
 初めて、ラディスが矩の名前を。
 瞬間、湧き上がった気持ちをどう表現したら良いだろう。
 ただ名前を呼ばれただけで、こんなに昂揚する気持ちを――。
「……昼間は、すまなかった」
「えっ……?」
(昼間って……)
 ああ、と思い当たる。
 そうだ、自分は昼間、ラディスの部屋を飛び出してきてしまったのだ。
 どうにも腹立たしくて。どうにもやるせなくなって。
 ラディスが訪れたことに驚いて、そのことが飛んでしまっていた。
「重要な存在だと、俺の伴侶にと、もう既にノリをこの国の事情に巻き込んでしまっているというのに、関わって欲しくないなどと言って……ノリが怒るのも無理はない」
 だから、すまなかった、と。
 再び言う。……矩に頭を下げてまで。
 心から言っているのが解る。
(でも……)
「違う。俺が怒ったのはそこじゃなくて……」
「ノリ?」
 言葉を切った矩に、訝しげにラディスが訊き返す。
「……ううん、いいや、もう。俺こそ、あんなふうに一方的に怒りをぶつけて、ごめん……もう、怒ってないから」
 本当に、そう思う。
 怒った理由を勘違いして、真剣に謝るラディスを見ていたら、呆気なく怒りは冷めてしまっていた。
「……それを言うために、ここに?」
「ああ……それともうひとつ、言葉が足りなかったことにも」
「え?」
「少し、焦っていた。そのせいで、ノリを傷つけるような言い方をしてしまった」
「焦るって……何を?」
「託宣のことは国中の者が知っている。今はまだ、ノリがこの世界に来たことを知っている者は限られているし、全員にそのことを伏せておくように言ってあるが……いくら箝口令をしいたところで、いつどこで漏れるか解らない。アリファルに行くのならばできるだけ早く――皆がノリの存在を知る前にと、気が急いていた」
 矩がこの世界にいることが知られれば、良くも悪くも国中が大騒ぎになり、ヴァリスタを出るのは難しくなるのだ、と。
(託宣のことを、皆が知ってる……)
 そこまで考えが至らなかった矩は、ラディスの言葉を呆然として聞いていた。
「ヴァリスタにとどまるも、とどまらないも自由だと言いながら、配慮に欠けた物言いをしてしまったな」
「……ラディス」
「……どうした?」
 矩の声が微かに震えているのに気付いたのだろうラディスが、気遣わしげな様子を見せた。
 そのことを嬉しく思う余裕もなく、矩は絞り出すように問いかける。
「……俺、この国の人にどう思われてるんだろう……」
「ノリ……」
「ノーヴァみたいに、皆、俺が国を救う存在だって思ってるのかな……? だったら……俺はどうすれば良い? 国を救える方法なんて解らないのに……」
 弱気な感情ばかりが湧き上がってきて、自分でも止められなかった。
「ノリ」
 不意に、ラディスが諫めるような強い口調で矩の名を呼んだ。
「人の思いは千差万別だ。預言だけを信じる者もいれば、預言の内容を自分で解釈している者もいる。滅びゆく国を見限って国を出る者もいる。ひとりひとりの考えていることなど、その者自身にしか解りはしない」
「…………」
「そして、この国で今も暮らしている理由も、人それぞれだ。預言どおりにノリが現れるのを信じて待っている者、国を捨てられない者、出て行きたくても行けない者……だが、皆の思いをノリが負う必要などない。皆の思いを受け止め、皆を導びかなければならないのは、王である俺ひとりだけだ」
 自分が吐いた弱音を思わず引っ込めてしまうほど、ラディスの瞳は強く前を見据えている。
(……この瞳、見たことがある)
 この世界に来る直前、新たに失われた緑を前にした時に見せた、あの決意を秘めた瞳。
 夢を介さず、間近で見るそれは、矩が今まで見たどんなラディスよりも、力に溢れていた。
「それが、国を皆から預かる者としての俺の務めだ。皆が暮らす国が滅んでゆくのを食い止められず、皆の安寧を護れずにいる俺の責任だ」
 セイラードたちが、ラディスは自分ひとりで背負い込むのだと、そう言っていた。
 今、矩はそれを目の当たりにしている。
 それぞれが抱える思い、それは勿論、ラディスにもある。
 そうして彼が抱えるものは、矩には想像することしかできないほど深く重いのだ。
 秘めた決意の意味は解らなくても、それだけは感じられた。
(でもそれって……哀しい気がする……)
 王だから。務めだから。責任だから。
 たったひとりで、全てのことを背負う。
 寄りかかって欲しいと願っているだろう、セイラードやランスロットが傍にいるのに。
 ラディスに感じたあの孤独感は、間違いではなかった。
 ラディスは、自分で自分自身を孤独にしてしまっている。
 知りたくて堪らなかったラディスの心の一端は、こんなにも――哀しくて寂しい。
 そして、それをラディスが当然のことと受け止めているのが――。
 そんなラディスが、どうにもやるせなくて堪らなかった。
 なんとかしたくて、しかし、今の矩にはどうする術もないのが、悔しい。
 常にラディスの傍にいたセイラードとランスロットの痛みが、朧気ながら察せられた。
 しかし、察することはできても、本当の痛みは本人にしか解らなくて――。
 知りたいと思うだけでは駄目なのだと、矩は思い知った。
 それでも尚、思う。
 ラディスの心を知りたい、と。
 しかし、それは言葉で、だけではない。
 言葉で聞き出した心だけでなく、自然と伝わってくるラディスの心。
 欲しいのはそれだった。
 そうすれば、自分がどうすれば良いのか……どうしたいのかも、解るような気がした。
 矩は改めて、ラディスの瞳に視線を合わせる。


 ヴァリスタに……ラディスの傍にいよう。
 この世界にいられる限り――。



 固く決心した矩には、もう先程までの弱気など微塵もなかった。



2006/04/02



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