■滅びの国■
−14− 「決めたよ、ラディス。やっぱり、俺はアリファルには行かない。ラディスの気持ちは解ったけど、ヴァリスタ以外の国なんて嫌だから」 きっぱりと、迷いなく言い切る。 自分の立場や民の自分への思い、不安なことも悩むことも多々あるだろうが、そこにとどまって動けなくなることだけは嫌だった。 だから、そうならないように、自分への戒めも込めて、ラディスに意志を伝えた。 それを理解してくれたのか、ラディスは、 「……そうか」 ただ短く、ひとことだけ返す。 「うん」 力強く頷いた矩は、ラディスから決して目を逸らさなかった。 「……ノリは強いな」 「……そんなことないよ」 心でそう決めただけで、矩にできることはまだ何もない。 国を救う存在だと認められるわけもないし、リッセンにかつての自然を見せてあげることもできない。 しかし、ラディスが矩に負う必要はないと言ってくれたように、矩もまた、ラディスに何もかもをたったひとりで背負って欲しくはないと、そう思ったから――。 この国のこと、ラディスのこと……この世界のことを感じたい。 今まで一番強くそう願う。 そうして、本当に自分がしたいことを見つけるのだ。 時間はかかっても。 (……って、本当はそんな悠長にしている時間はないんだろうけど……でも……) いつ滅びるか解らないこの国で、自分は今こうして生きているのだから。 「……ノリ、もうひとつ言っておかなければならないことがある」 「えっ? 何?」 改めて決意を固めていると、ラディスが言い辛そうに話し掛けてきた。 「……悪いが、この城の中から出ないで欲しい」 「――――」 「城内でのことなら、俺もセイやランスも気を配ることができる。だが、一歩城を出れば……街中でのことはなかなか目が行き届かない。それこそ、街中でノリが託宣の主だと知られても、早急に手を打つこともできない。だから――」 「ちょ……ちょっと待って」 (託宣のことは国中の皆が知っていて、俺が今ここにいることは伏せている状況で……でも、ばれたらまずくて、だから外に出たら駄目ってことで……えーと……) 「それって……いつまで……?」 恐る恐る訊ねてみる。 「…………」 しかし、返ってくるのは沈黙だけで、ますます不安を煽る。 「……もしかして、ずっと、とか言わないよね?」 「……いや……できればノリの存在を皆に知られるのは避けたいから……そう、しばらくの間は……」 「しばらくって……でも、状況が変わらないなら、結局はずっと城から出られないんじゃ……」 「……いや……」 はっきりしないラディスがじれったくて堪らない。 それでも、昼の繰り返しにはしたくないから、それを何とか抑え込もうと必死になった。 「はっきりした期間は言えないが、そんなことはないと約束する。窮屈な思いをさせるが、解ってもらえないだろうか」 強い語調に、矩はぐっと言葉に詰まる。 (……約束なんて……断言して良いのか……?) そうは思うが、ラディスの言葉には抗い難い力強さがあった。 それに圧されて、渋々、矩は頷いた。 「……解った……」 「そうか……感謝する」 ラディスが安堵したように、声音を緩めた。 「城内では下層フロア以外は自由にしてくれて構わない」 「下層フロア?」 「下の方は人の出入りが多いからな。上層フロア――ノリの部屋がある一画や、俺やセイやランスの私室……ああ、執務室にも自由に出入りしてくれて構わない」 ラディスの話によれば、上層部に出入りできる人間は限られていて、たくさんいる臣下の多くは上層部には滅多なことでは出入りできないらしい。 王であるラディスや、側近であるセイラードとランスロット、預言師のノーヴァ、幾人かの主立った臣下、そして彼らの世話をする者など、ごく僅かな人数しか上層部にはいないようだ。 つまり、矩がこの世界に来たことを知っているのも、今のところは彼らだけということになる。 (はー……すごい徹底してる……) そうまでして自分の存在を隠すつもりなのだ。 存在を知られたら困るのは自分だということも良く解るので異論はないが、それでも少し感心してしまった。 「でも、執務室に……仕事をする場所に、俺が出入りするのはまずくない? ……そりゃ、ヴァリスタにいるって決めたからには、この国のことをもっとしっかり知りたいけど……」 政務や重要な取り決めが行われるだろう場に、昨日今日来たばかりの自分が入っていくのはどうかと思うのだ。 「そんなことは気にしなくて良い。今日からこの国がノリの国になるのだろう? 自分の国のことを知るのは当然の権利だし、現状を知るには政務の場にいるのが一番だ。俺としてもヴァリスタという国の実際を知ってもらう方がありがたい」 しかし、ラディスはあっさりと矩の出入りを肯定する。 そして、嬉しい言葉までくれた。 (この国が、自分の国、かあ……。でも、ありがたいって……何で?) 最後のひとことに引っかかりを覚えるが、それを口には出さなかった。 何となく聞いてはいけないような――聞いたらまたラディスと拗れるような気がして。 折角、こうして普通に話せているのに、それを聞いたらまた、昼に逆戻りしてしまいそうで。 どうしてそう思ってしまったのか、自分でも解らなかったが、矩は口を噤んで肯定の言葉だけを返すことにする。 「それじゃあ、遠慮なく。できるだけ仕事の邪魔にならないようにしてるから」 (早速、明日、行ってみようかな? あとは……そうだ、リッセンに庭園を案内してもらうんだっけ……あれ、でも庭園って……) 「下層部に行くのが駄目なら、庭園にも行けないってこと?」 ふと気付いた疑問を、思わず口にする。 「庭園? 何かあるのか?」 「うん。リッセンが、庭園を案内するって言ってくれてたんだけど……」 「庭園か……」 「今、この国でルカの花が咲いている唯一の場所だって、リッセンが。だから、それを見たいなって」 「ルカの花か。心配しなくても、庭園は上層部にもあるから、そちらの方に見に行くと良い」 「えっ? そうなの?」 「規模は小さいが、屋上にな。――ああ、遠くからで良ければ、下の方の庭園も見られるが」 「え……どこから?」 「この部屋から」 そう言ってラディスは窓に歩み寄って、開きかけのそれをそっと押し開いた。 窓の遥か下を眺め降ろすラディスに倣って、矩もその後ろから窓の外を覗き込む。 しかし、城内の僅かな灯りでは暗くてはっきりとは見えない。 「ここは庭園に面した窓だ。明るい時ならば、ルカの花も良く見えるだろう」 訝しげにラディスを見遣ると、説明を加えてくれた。 「へえ……全然気付かなかった……」 (この窓から庭園を見下ろせたんだ……明日の朝、見てみよう) 明日の朝、ここから見下ろせる風景がどんなふうに変わるのか、楽しみになる。 「ああ、夜に随分と長居をしてしまったな」 そう言ってラディスが窓を閉め外の景色が隠されていくのを名残惜しく見ていると、ラディスはそのまま部屋の出入り口へと向かった。 もう部屋に戻るのだろう。 (もっと話をしていたかったんだけどな……) ラディスが扉を開いて部屋から出ていくのを、少し残念に思う。 しかし、ラディスは扉を閉める前にノリを振り返った。 「――お休み、今夜はゆっくりと眠れるように祈っている」 「あ、ありがとう……お休み」 昨夜良く眠れなかったことを言っているのだと解って、去っていくラディスの背中に向かって慌てて言い返したが、それがラディスの耳に届いたのかどうかは矩には解らなかった。 (でも……) 気遣いと優しさの混じった言葉は、矩を温かく包んでくれた。
2006/07/14
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