■滅びの国■
−interlude(1)− お休み、という声が、背後で聞こえた。 ラディスが言った言葉に対する、矩の返事だろう。 (ノリ……。ノリ……か) 彼の名前を反芻する。 突然現れた、異世界からの訪問者。 ノーヴァの預言通り、黒髪と黒い瞳、ノリという名前の。 いつ現れるかも解らなかったノリという存在が、今、確かにこの国にいる。 (不思議なものだ……) 預言を信じないわけではない。 この国の歴史と預言は密接に絡まり合って、離れることはなかったのだから。 ――そう、今の自分の代になるまでは。 以前から、その在り方の変貌を疑問視していた儀式だ。 戴冠式の日、託宣が降りなかった時点で、ラディスは預言に頼るのをきっぱりとやめた。 ノーヴァが預言の間に籠もって託宣を祈り待ち続けた時も傍観していた。 だから、託宣が降りた時には、驚いたものだった。 今回のそれは、あまりにも不確かで、どう重要な存在になり得るのかすらも解らない。 ノーヴァのように託宣を独自解釈する気にはなれなかった。 (託宣の内容を国民に広めてしまうのを止められなかったのは失敗だった……) 今でも、そう思う。 枯渇を食い止める手立てを講じて実行してきたが、追いつかない。 そうなれば、託宣に縋る者は増え、自分達の力で何とかしようという気力が薄れる。 待って、待ち続けて、それでも尚、現れないと解ると、国を捨ててしまう者もいた。 まだ託宣が降りていなかった時、多くの者が託宣が降りなかったのが枯渇の原因と考えてこの国を去った。 その時にも減ったこの国の人口は、月日を重ねる毎に更に減ってしまった。 それらを止められなかった責任は、自分にある。 だからラディスは、預言は信じても、それを待つことはしない。期待もしない。 伴侶など、いらない。考えることすらもしなかった。 今はそんな場合ではないのだ。 どうすれば民の安寧を護れるのか、どうすれば滅びゆく国に光を当てられるのか。 自分が考えなければならないのは、しなければならないのは、それだけだ。 それが、今になって。 戴冠式から5年も経った今になって、ノリが現れた。 ノーヴァは喜び、今まで以上に、ノリを伴侶に迎えるようにと進言してくる――。 「陛下」 掛けられた声に、そちらを見遣る。 前方からやってきたのは、今さっき考えていた、ローブを纏った老人・ノーヴァだった。 近くまで来ると、ノーヴァは腰を折って礼をした。 随分と、機嫌が良さそうだ。 「ノリ様のお部屋にいらっしゃったのですな」 「……ああ、そうだ」 「それはそれは……このノーヴァ、安堵いたしました」 ノーヴァはどうやら、ラディスが矩の部屋を訪ねた理由を誤解しているらしかった。 しかし、あえて訂正はしない。 早くノリの存在を民に広めたいと思っているノーヴァのことだ。 王としてしいた箝口令を今は守っていても、この先の保証はない。 ノーヴァは王に仕える存在だが、その絶対使命は、この土地へと向けられるものだ。 土地が滅んでいくのをいつまでも黙って見ていてくれるはずもない。 ノーヴァが誤解して、猶予期間を得られるのならば、それでも良かった。 「こうなれば、一日も早く婚儀の日を迎えられますよう」 「……性急に過ぎるぞ、ノーヴァ。まだ箝口令は解除しない。絶対に、ノリの存在を公にするな。良いな」 逸るノーヴァに釘を刺すのも忘れない。 矩を伴侶にする気などないのだから。 この国を第一に考えるノーヴァの存在はありがたいが、手放しでノーヴァの進言通りことを進めることはできないのだ。 「は……」 「もう休む」 「……お休みなさいませ、陛下」 深く礼をするノーヴァをその場に残し、ラディスは私室へと戻った。 ひとりになり、椅子に腰掛けたラディスは、空を見つめる。 ずっと、考え続けてきたことがあった。 民にとって一番良い方法を模索する中で、考えた案が。 いや、案ではない。 もう、それしかないと思っていた。 しかし、あと一歩の踏ん切りがつかずにいた。 王であるラディスとて、この国に生まれたこの国の民だ。 国を大切に思う気持ちは、十分以上にある。 だからこそ、決断するのに迷いが生じた。 (だが、もう――迷いは、捨てる) あとは、それを、いつ、どう実行するか。 ノーヴァが反対するのは承知の上。 民を納得させるのが至難の業なのも承知の上だ。 それでも、迷い続けるのはいい加減に終わりにしなければならない。 迷っている間にこの国が滅んでしまっては意味がない。 (そして、あとは――ノリをどうやって説得するか、だな……) 矩の部屋で交わした会話は、脳裏に深く刻まれている。 悩み戸惑いながらも出した矩の答えは固く、容易には動かせそうになかった。 そこまで思ってくれることを嬉しく感じるし、そんな矩を尊重したいとも思った。 しかし――。 (それでも……ノリももうこの国の民……護るべき民だ。この国とともに滅びさせるわけにはいかない) 矩が、この国の実情を深く知ってくれるのを願う。 漠然としてではなく、深く実感してくれるのを。 それには、実際に街に出て矩自身の目で確かめるのが一番だが、それはできない。 ならば、執政の場を矩に見てもらうしかない。 そうすれば、この国には、未来の見えない国には、いられないと思ってくれるかもしれない。 考えを変えてくれるかもしれない。 矩の決意の強さを知りながらも、そう願ってしまう自分がいる。 『決めたよ、ラディス。やっぱり、俺はアリファルには行かない。ラディスの気持ちは解ったけど、ヴァリスタ以外の国なんて嫌だから』 矩のあの言葉が、頭から離れなかった。 耳に痛い言葉だった。 (この国はもうノリの国だなどと言って……結局、その国を捨てさせる羽目になるのだな) 本来の住む世界を遠く離れて、ここに飛ばされてきた矩。 預言に、神に、導かれたのか。 それとも、もっと他の要素により喚ばれたのか。 矩は今、帰る方法すらない状況に置かれ、そうして新しく得た居場所さえも奪われる。 他ならぬ、ラディス自身によって。 (預言とは……託宣とは何なのだろうな。神とは一体――……) 矩に何を背負わせようというのか。 何故、矩なのだろうか。 (現れない方が良かったのだ。国にとっても、民にとっても、俺にとっても……そして、ノリ自身にとっても……) いくら長年見続けてきたとはいえ、この国のことで重要な責を負わせるなど、あってはならない。 いや、背負わせはしない。 関係ないからではない、この国の民のひとりであるからこそ。 矩を護る。 託宣からも、滅びからも。 それが、矩の意志に反することになっても――。 (全ては、俺が――)
2006/09/09
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