■滅びの国■
−8− 目の前に、青く光るものが映っていた。 何かは解らない。 ただ、ふわりふわりと揺れながら浮かんでいた。 “――――――――” (な、に……?) 微かに耳に届く音。 何かを、言っているような気がする。 しかし、はっきりとは聞こえない。 “――――…………” 次第に、音が小さくなっていく。 “ ” いくらも経たないうちに、何も聞こえなくなってしまった。 完全な無音。 もう目の前に漂っていた青い光すらも、見えなかった。 (変な夢……) どうせなら、元の世界の夢を見たかったのに。 いや、夢ではなく……元の世界でこの世界の出来事を見ていたように、この世界で眠っている間くらい元の世界を見せてくれても良いのに――。 そう、思った。 「……様」 声が聞こえる。 「……リ様」 今度の声は、先程と違いはっきりと聞こえた。 「ノリ様」 それどころか、段々と大きくなってきて――。 「……んん……?」 「おはようございます、ノリ様」 「……朝?」 「いいえ、もうお昼を過ぎています。よくお眠りでした」 「もうそんな時間……昨夜、なかなか寝付けなかったから――」 靄がかかったような頭を軽く振り、のろのろと目を開ける。 視界に映ったのは、見慣れた自分の部屋――ではなく、見知らぬ少年の姿だった。 「……っ!?」 慌てて飛び起きて周囲を見回すと、そこは到底自分の部屋では有り得なかった。 (な、何ここ……あ、そういやヴァリスタにいるんだっけ……) 寝起きのぼんやりした頭が晴れてくると、段々と昨日の記憶が甦ってきた。 やはり異世界に来てしまったのだと、改めて思う。 「ええと、君は……?」 ベッドから出て立ち上がり、直立不動の姿勢で立っていた少年に声をかけてみる。 少し癖のある褐色の髪に、青灰色の瞳。 年は、10歳くらいだろうか。 「リッセンと申します。ノーヴァ様からノリ様のお世話をするように言い付かっております」 「ノ、ノーヴァから……?」 「はい」 あどけない顔でリッセンは笑い、深く礼をした。 「ノリ様にお会いできて、こうしてお世話役まで頂いて光栄です。どうぞ何なりとお申しつけください」 「ちょ、ちょっと……俺はそんな光栄とか畏まって言われるような覚えはないんだけど……。それに、世話なんてしてもらわなくても」 自分でできる、と言いかけて、言葉に詰まった。 (……言えない) 先の言葉通り、本当に嬉しそうに自分を見詰めるリッセンの表情が、見る見るうちに曇ってきたからだ。 「え、えっと、その……」 「お世話役が僕のような者ではご不満でしょうか……? 僕はノリ様のお役には立てませんか?」 (う、う……あ……どうしよう……) 普段、子供と接する機会などほとんどなかったから、泣きそうなリッセンを前に、どうしたら良いのかと右往左往する。 異世界に来てしまったことと同じくらい、いや、もしかしたらそれ以上に、矩は困惑した。 (ど、どうしたら、さっきみたいに笑ってくれるんだろう……?) じっと潤んだ瞳で自分を見上げてくるリッセン。 それを見ていたら――。 「ノリ様……?」 矩は、小さなリッセンの頭に思わず載せてしまった手を軽く滑らせて、癖のある髪を撫でた。 頭の上にある矩の手を、リッセンは不思議そうに首を軽く傾げて見遣っている。 (し、しまった、思わず……) 矩は手を引こうとした。 しかし、その手は、リッセンの小さな手に掴み取られる。 リッセンは、大事そうに矩の手を抱え込みながら、ふわりと笑った。 「ありがとうございます」 はにかみながらも嬉しそうな目を向けてくるリッセンを見て、矩は深い安堵の息をついた。 (良かった、笑ってくれた……) 「あの……ノリ様。これを」 ベッドの端から何かを取り上げ、リッセンがそれを差し出してくる。 「急でしたので、一着しか作れなかったのですが……」 リッセンの手の中にあるものは、若草色を基調にした布地の服だった。 「作ったって……リッセンが?」 「はい。サイズは合うと思います。どうぞお召し替えになって下さい。お手伝いいたします」 「いやあの、手伝いは……あー、じゃあ頼もうかな……」 断ろうとした矩だったが、さっきの消沈したリッセンの様子を思い出して慌てて言い直す。 「はいっ」 リッセンが身長差で手が届かない分を、思い切り背伸びをして補うのを見て、矩はベッドに座り直す。 矩の着ていたパジャマを脱がし、リッセンは、若草色の上下を手早く身につけさせていく。 最後に腰に茶色のベルトをして、着替えはすぐに終わった。 リッセンは着替えさせた矩の姿を不躾にならない程度に見て、自分の作った服の出来映えが良かったことに安堵したのか、「良かった」と小さく呟いた。 「良くお似合いです、ノリ様。着心地はいかがですか?」 改めて矩に向き直り、そう訊ねてくる。 「あ、うん。すごく良いよ。軽いし動きやすいし」 その場で少し身体を動かしつつ、矩は答えた。 実際、リッセンの作った服は、色合いといい、形といい、まるであつらえたようにしっくりと馴染む。 「ありがとう、リッセン。でも、どうしてサイズが解ったの?」 何気なく訊ねた矩に、リッセンはぱっと顔を赤くした。 「リッセン?」 「あ……あの、申し訳ありませんっ。ノリ様が眠っていらっしゃる間に……そのぅ……採寸を……」 最後は消え入りそうな声で、リッセンが赤い顔のまま必死で言葉を紡ぐ。 矩は少し面食らったものの、何だか微笑ましい気分になった。 眠っている間に採寸されたと解っても、それがリッセンなら気にはならない。 「そうなんだ。本当にありがとう」 「あ……も、勿体ないお言葉ですっ。また作らせて頂きます。いえ、作らせてください」 「え? それはさすがに大変なんじゃ……」 「そんなことはありません。僕はノリ様のために何かできることが嬉しいですから」 顔を笑みで一杯にして話すリッセンはとても可愛い。 しかし、同時に疑問も浮かぶ。 どうしてリッセンは、ここまで矩を慕い敬うのだろう。 ノーヴァの指示で矩の世話役になったということだから、ノーヴァから色々と聞いているのだろうが、そうだとしてもこれが初対面なのだ。 いくら託宣の相手だと言っても、会ったことも話したこともなかった初対面の相手に、どうして――。 ノーヴァの場合は、ノーヴァの目的があるから。 しかしリッセンの場合は――ただ一点の曇りすらない、真っ直ぐな好意。 「あの……ノリ様」 「うん?」 不意に、リッセンが真剣な声音で呼びかけてきた。 柔らかく問い返した矩は、続いた言葉に固まる。 「ノリ様は、陛下の伴侶になられるんですよね」 「…………」 「そうしたらまた、この若草色のような緑が……本物の緑がたくさん見られるようになるんですよね。僕、ノーヴァ様にそうお聞きしてから、ノリ様にお会いできるのを楽しみにしていました。実際にお会いしたノリ様は、とてもお優しくて……僕の作った服を褒めても下さって。……この若草色は、まだお会いしたこともないノリ様に、僕がずっと抱いていたイメージなんです。そのイメージを、こうして形にすることができて本当に嬉しいです。ノリ様は、僕にとっての緑なんです。もし許して頂けるなら、今だけではなく、陛下の伴侶になられてからも僕がお世話をしたい、そう思います」 「…………」 リッセンが真剣に一生懸命に言っていることが伝わってくる。 だからこそ解った。リッセンが矩に向ける好意の理由が。 リッセンにとって矩は、国にとって重要な存在だとか国を救う存在だとか、そういう問題ではないのだ。 ただ純粋に、かつての緑を自然をもう一度見たい――ただ一途に、そう思っているだけなのだ。 矩の存在が、緑を見せてくれると、そう信じているだけ。 ――心が、軋むような音を立てたのを、確かに聞いた。 矩は、ここに来て初めて、自分が何もできないことが辛いと思った。 リッセンの一途な思いを、こうして何も言えずに聞くことしかできない自分が――。
2006/02/23
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