■伝える言葉■ −5− 「はあ……」 狭いソファの上で、寝返りを打つ。 背もたれに腕やら足が当たって少し痛かったけれど、気にしなかった。 頭の中を占めている小倉のことしか、考えていなかったから。 「ちょっと、聡史。ごろごろするなら部屋でしなさい」 緩慢な動作で声のした方を見ると、掃除機を持った母さんが、俺を見下ろしていた。 「ここ掃除するんだから。さっさと行きなさい」 「…………」 黙って、ソファから起き上がる。 部屋を出ていくと、すぐに掃除機の動く音が聞こえだした。 今日は日曜日。 さすがに学校もないのに小倉の家に行けるはずもなく。 かと言って、何をするでもなく、ごろごろしていたのだが……。 何かしようと思っても、小倉のことが気になって手に着かない。 折角の日曜日だというのに……。 俊也さんに、小倉の事情を聞いた日から随分経つけれど、小倉の様子は変わることはない。 当然、俺との関係だって、友達とすら呼べない状態だ。 学校のある日は毎朝、小倉を迎えに行って。 昼も一緒に食べて。 帰りも、小倉の家まで送って行く。 それが、当たり前の日常になってしまっていた。 けれどそれは全て、俺が強引にしていることで。 小倉が嫌がる態度も取らないのを良いことにして、押しつけているだけ、のような気がする。 それでも、俺にはこうする以外に方法を思いつけないのだ。 自分の部屋に行く気にもなれず、俺は外に出てみた。 しばらく歩いてみる。 そして気付く。 ほぼ毎日行っている小倉の家への道を知らずに歩いていることに。 「…………」 この道を歩くのが、当たり前になっているから。 無意識に、それを辿ってしまう。 ……日曜日にまで押し掛けられても迷惑なだけだよな……。 「……でも……」 決心し、俺はそのまま道を変えることなく、まっすぐ小倉の家へと足を進めていた。 「槙村君、か?」 小倉の家に着いて、インターホンを押すと、中から俊也さんが出てきた。 俺の顔を見て、ちょっと驚いたような表情になる。 「……小倉、いますか? 遊びに来たんですけど」 約束なんかしていなかったのに、突然行くことを決めたのだ。 俊也さんも俺が来るとは思わなかっただろう。 「ああ、上がってくれ」 それでも、俊也さんは頷いてくれた。 「……じゃあ……お邪魔します」 いつもは玄関口までしか足を踏み入れない場所。 そこと通り過ぎ、靴を脱いで家の中へと上がらせて貰う。 俊也さんは、俺が家に入ったのを見てから、ドアを閉めた。 その間、俺は所在なげに突っ立っていた。 「そこの……右奥に階段があるから。2階の1番端が宏也の部屋だ」 俊也さんはそれだけ言うと、さっさと奥の方へ行こうとする。 俺は慌ててをれを引き止めた。 「待って下さい! 俺、今日来ること小倉に言ってないんですよ。いきなり部屋に行ったら驚くんじゃないですか?」 それに、俺がひとりで小倉の部屋に入って良いのだろうか? それって、すごく気まずいんだけれど……。 「勝手に行ってくれて構わない。……宏也は、驚くかもしれないが……追い返したりはしないだろうからな」 「え?」 俊也さんの言葉に、引っかかりを覚えて聞き返した。 けれど、俊也さんは既に行ってしまった後だった。 驚くというのは当たり前だ。 けれど、追い返したりはしないって……どういうことだろう? そりゃあ、今まで俺がどんなに話しかけても、それを嫌がる素振りなど見せなかったけれど。 家の中にまで入ってきたら、どういう態度を取るか何て解らないじゃないか――。 ……まあ、それを承知で来たのだと思えば、それはその通りなんだけれど。 俺は暗鬱な気分で、階段を昇った。 2階は、部屋が3つあった。 ひとつは小倉の部屋で、もうひとつは俊也さんの部屋、後残っているのは……両親の部屋みたいだ。 俺は言われたとおり、1番端の部屋の前で足を止めた。 ドアをノックしようと、右手を上げる。 「…………」 少し、躊躇ってしまった。 気を取り直して、もう1度、ドアに手を近づける。 ……ノックする。 「……俺……槙村聡史だけど……入って良いか?」 声も一緒にかけてみる。 けれど、当然というか何というか……返事はしてくれなかった。 だからといって、勝手にドアを開けて中に入るわけにもいかないし――。 「やっぱり俊也さんがいないと……」 ああもう、何で俺をひとりで行かせたんだよ。 こうなるの、解っていたはずだろうに……。 心の中で俊也さんを詰ってしまった。 ひとつ溜息をついて、俺は踵を返そうとした。 勿論、俊也さんを呼びに行くために。 けれど、その瞬間、飛び上がりそうなほど驚いた。 「…………っ」 目を見開いてしまった。 何故なら、今の今まで固く閉ざされていたドアが、何の前触れもなく突然開いたからだ。 そして、更に驚いたのは、そのドアを開いて顔を覗かせたのが、他ならぬ小倉自身だったことだ。 「お、小倉……」 頭の中は?マークが渦巻いている。 まさか、ドアを自分から開いてくれるとは思わなかったから。 しかも、心持ち身体を端の方に寄せているように思える。 俺が部屋の中に入るための場所を空けてくれたかのように……。 「あ……えっと、入って良いのか?」 何とも間抜けな口調になってしまった。 例によって小倉は何も言わなかったけれど、何となく良いと言っているような気がして、俺は恐る恐る小倉の部屋に入った。 そう、何となくだけれど……嫌がっている時とそうではない時の区別が解るようになったというか……。 本当はただの気のせいなのかもしれない。 けれど、そう思いたかった。 少なくとも、最初に告白した時に小倉が俺に向けたような目はしていないと、それだけは解った。 俺は、小倉の部屋をちらちらと見回してみた。 あんまりあからさまに辺りを見られたら、良い気はしないだろうし。 小倉の部屋は、ひと言で言うならシンプルだった。 ベッドとクローゼット、机、小さいテーブル。 後は、本棚とか、そういう必要なものしか置いていなかった。 カーテンの色も落ち着いた淡いブルーで。 けれど、小倉は確かに、ここで生活をしているのだ。 どうも落ち着かない。 ずっと突っ立ったままでいるのも何だったので、テーブルの傍に座ったのは良いのだけれど、それ以外に何かできることもなく……。 ただ、テーブルを挟んで目の前に座っている小倉を見ているしかできなくて。 小倉は勿論、何も話してくれない。 表情にも特に変化はないと思う。 俺が話さなければ、俺と小倉の間には何ひとつ言葉は存在しない。 そのことに、改めて気付かされてしまった。 何か話はないかと探してみるが、教室では何か思い浮かぶこともここでは全く思いつかない。 緊張しているのかもしれない。 いや、多分そうなのだろう。 けれど、何か話さないと、気まずいしそわそわするしで、堪らない。 「あの、さ……えーと……。…………」 う。 駄目だ。 全然、話が見つからない。 何しに来たんだよ、俺……。 こんなんじゃ、小倉の方が困るんじゃないだろうか。 ただ黙って、目の前にいる俺を見ている小倉は――。 「……あれ?」 見間違いかと思った。 小倉の目が、何だか嬉しそうだったなんて……。 だって、声を出した次の瞬間にはもう、元通りだったから――。 「小倉――」 けれど今見たのが見間違いじゃないなら。 俺はちょっとは自惚れても良いんだろうか? 「――お邪魔しました」 数時間後、俺は静かに小倉の家を後にしていた。 本当に、何をしに来たのか解らない日だった。 あれから以後も、話しかけることができずに、ただ黙って小倉を見ているだけだったから。 けれど、俺は、そんなに落ち込んでもいなかった。 それはやっぱり、小倉のあの表情を見たからだろう。 本当に嬉しそうだったのかどうかは解らないけれど、一瞬だけ見たような気がしたあの表情を見間違いにはしたくなかったんだ――。 たったそれだけのことが、少しだけ俺に自信をくれたから。 今日はそれだけで、十分のような気がした。 2003/06/26
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