■伝える言葉■ −4− 気まずい沈黙。 俺が話さなければ、ずっと続く。 ……勿論、俺が話しかけても返事も何も返っては来ないのだけど。 それでも、話しかけずにはいられなくて。 例え、何の反応もなくても……。 俊也さんと話をした翌日の朝。 俺は、小倉を迎えに行くことにした。 昨日のことを考えながら、小倉の家へと向かう。 6年間で俊也さんが出来なかったことを俺に出来るだろうか。 はっきり言って、自信はなかった。 昨日は頷いたけど、どうすれば小倉が心を開いてくれるかなんて全然解らなかった。 でも、あの時思ったことは嘘じゃないから。 声が聞きたい。 話がしたい。 笑顔が見たい。 そう思ったのは、本心だから。 だから……何をすれば良いのかなんて解らないけど、出来ることはやってみよう。 そう、決めたのだ。 俺は小倉の家の前に立つ。 俺に出来ること。 まずは、傍にいること。 傍にいて、話しかけること。 そこから始めるしかなかった。 インターホンを押すと、しばらくして女の人が出てくる。 「あら、宏也の……」 俺が何かを言うよりも早く、その女の人が言った。 「槙村君、よね。その制服ですぐに解ったわ。……息子――俊也から話は聞いてます。宏也のこと、お願いします」 女の人は、俊也さんと小倉のお母さんだった。 お母さんの口振りから、俊也さんが全て話していたのかと思ったけど、 「宏也に友達が出来たから、宏也のこと迎えに来ると思う」 とだけ、言っていたみたいだ。 お母さんの口調は、小倉に初めて出来た友達に対するものだったから。 俺に頼んだことを俊也さんは誰にも言うつもりはなかったらしい。 だから、俺もお母さんの言うことを否定する気は起きなかった。 5分ほど経って、お母さんに背中を押されるようにして小倉が家から出てきた。 「行ってらっしゃい」 という声に送り出され、小倉は俺に近寄ってくる。 小倉のお母さんは、俺に頭を下げると、ゆっくりとドアを閉じた。 俺は小倉に視線を戻す。 一昨日とまったく同じ様子の小倉がそこにいた。 「……おはよ」 そう言うと、小倉はちらっと視線を向けたが、それだけだった。 おはよう、という言葉が返ってくることもなかったし、表情も変わらなかった。 解っていたけど、少し心が痛かった。 小倉はそのまま俺の横を擦り抜けて、道路へと歩き出す。 その様子が一昨日と重なって、俺は慌てて後を追った。 「待てよ、小倉! 一緒に学校へ行こうと思って俺」 一昨日と違い、今は小倉はゆっくり歩いているだけだったから、すぐに追いついて隣に並んで歩く。 小倉は俺に視線を向けることなく、でも、俺から逃げることもなく、ただ歩いていた。 俺は、それに安堵する。 小倉はそんなつもりはないのかもしれないけど、俺は小倉が一緒に学校へ行くことを許してくれたんだと思うことにしたのだ。 少なくとも、一昨日のように拒絶はされなかったのだから。 「もう今日から午後まで授業あるんだってさ。小倉、弁当持ってきた? それとも学食?」 答えない相手に、俺は話しかける。 沈黙するのが耐えられなかったからだ。 小倉が何も話さなくても、それでも俺は話しかける。 何も反応がなくても、俺の話を聞いてくれているなら、今はそれでも良かった。 とにかく、話し続けて。 俺を、見て欲しかったのだ。 「俺、弁当なんだけど。昼、一緒に食べよう」 昼になったら、強引に一緒に食べるつもりでいた。 拒絶されたら、それはその時のこと。 一緒にいられる時間は、少しでも多く一緒にいたかった。 「そうそう、昨日はオリエンテーションとかばっかりでさ、授業はなかったんだ。なのに今日からいきなり午後まで授業ってしんどいよな」 自己紹介のことには、触れなかった。 小倉にそのことを話題に出したくなかった。 そうやって、俺が話している間も、小倉はやっぱり無言で、表情も変わらない。 いつの間にか、学校へ着いてしまっていた。 教室へ行くと、既に大勢の生徒が登校していた。 「おはよ、槙村」 俺と小倉が来たことに気付いた、酒井と山崎が声をかけてくる。 昨日、休み時間や放課後に、俺を誘ってくれた2人だ。 「……おはよ」 「えっと、……小倉、だっけ? おはよ。昨日休んでたけど、大丈夫?」 酒井が俺の隣にいる小倉に笑顔で言う。 小倉はそれを無言で返し、自分の席へと向かう。 「小倉……!」 慌てて呼び止めたけど、小倉は振り返りもせずに、まっすぐ席を目指す。 そして、席に着くと、座って鞄の教科書を机の中に入れ始めた。 「何だあ? あいつ……」 小倉の様子を見ていた山崎が、無視されたことに腹を立てて険のある声を出す。 酒井はどうかな、と見ると、意外にも怒った様子もなく、山崎を宥め始めた。 不思議な光景を見ている気分になった。 小倉の態度に腹を立てる山崎。 怒りもしない酒井。 自分はどうだろう。 何も知らなければ、腹が立ったと思う。 でも俺は小倉が好きだから。 どんな態度を取られても、好きだから。 腹が立っても、持続はしないだろうと思う。 ひとりの態度に、その反応は様々だ。 でも圧倒的に腹を立てる人の方が多いのだろう、少なくとも俊也さんはそう思ってる。 それなら、小倉の事情を言ってみれば、と思わないでもなかった。 でも、それはすぐに否定する。 言って、どうなるというのか。 小倉の態度を誤解しなくなったとしても、それで何かが変わるのか。 余計、小倉にとっては辛くなるような気がする。 話したいのに、話せない。 それをみんなが理解してくれたとしても、小倉が話せるようにはならない。 みんなが気遣ってくれても、そのことで小倉が喜ぶかどうかは解らない。 むしろ、周りに気遣われれば気遣われるほど、辛いかもしれない。 俊也さんが他言しないようにと言った理由は、そういうことなのだろうか。 昼休み。 授業が終わって先生が教室から出ていくと、俺は鞄から弁当を出し、立ち上がろうとした。 「槙村、昼一緒に食べない? 俺たちも弁当なんだ」 声がした方を見ると、酒井と山崎だった。 「あ、それなら小倉も―――」 言いながら小倉の席の方を見遣る。 小倉は教科書を机の中にしまうところだった。 それを見て、一緒に、という言葉を呑み込む。 「悪い。俺、小倉と食べるから」 昨日、今度誘ってくれた時は断らないようにしようと思っていたのに、どうしても誘いを受けることは出来なかった。 小倉はきっと、俺と一緒に食べるだけでも、嫌なんだと思う。 ひとりが良いわけじゃないとは思うけど、俺と酒井と山崎と4人で一緒に食べるのは、小倉にとっては苦しいんじゃないだろうか。 ……俺たち3人が会話しているのに、自分だけがその話に入っていけないのは、苦痛だと思う。 俺がその立場だったら、絶対に嫌だ。 「じゃ、小倉も一緒に食べようよ。俺たち全然構わないし」 酒井は、隣の山崎にも同意を求める。 山崎は渋々といった感じで頷く。 「それは……悪いけど……」 はっきり駄目だと言えない自分に苛立つ。 でも酒井は好意で誘ってくれているのだから、きっぱりと拒絶するのは躊躇われてしまう。 「聞いてみるだけ聞いてみて? 俺たち先に食べてるから、良いようだったら来てよ」 酒井は笑顔でそう言うと、山崎と一緒に席へと戻っていった。 それを見遣りながら、俺は小さく溜息をつく。 心の中で、ごめんと謝って、立ち上がった。 小倉の席へと向かうと、小倉はちょうど弁当の袋を開けているところだった。 「小倉」 声をかけると、小倉はふっと顔を上げる。 俺の顔を少しだけ見た後、何事もなかったかのように、弁当の蓋を開ける。 俺は近くにあった机と椅子を借りて、小倉の正面に座った。 「一緒に食べようって、朝言っただろ?」 笑って、小倉に話しかける。 小倉は黙々と、箸を動かしているだけだ。 「あの、さ。さっきの――朝、話しかけてきた奴らが一緒に食べようって言ってるんだけど、どうする? 行く?」 2人への申し訳なさも手伝って、俺は小倉に聞いてみた。 小倉は黙っている。 反応はなかったけど、小倉が動かないことで、俺は拒絶したと受け取った。 だから、すぐにその話題は止める。 もう一度、誘ったりはしない。 俺は頭を切り換えて、小倉に話しかける。 「授業、解った? 俺、数学苦手でさ……」 反応のない小倉を相手に、それでも俺は話を続ける。 俺と食べるのも嫌なんだろうけど、動く気配はなかった。 ……だから、話し続けた。 何も反応が返ってないことが、こんなに辛いことだとは思っていなかった。 話して、答えて、笑って、怒って。 そんなやりとりが当たり前だった俺の世界。 そのなかに、飛び込んできた反応のない世界。 ……いや、飛び込んだのは俺だ。 解っていて飛び込んだ。 でも、解っていても、辛かった。 ひとり話し続けるということが、辛かった。 俊也さんは、こうやって小倉との距離をゆっくりと少しずつ近づけていったのだ。 自分が経験して初めて、俊也さんの辛さの一部が本当の意味で解ったような気がする。 でも、俺は。 負けたくない、俊也さんに。 ずっと小倉を護ってきた俊也さんに、どうしても負けたくなかった。 そして何より。 小倉の声を聞くために。 小倉と話をするために。 小倉の笑顔を見るために。 そのためだったら、こんな辛さなんて何ともない。 はねのけてやる。 そのくらい、俺は小倉が好きだ。 だから、諦めない。 絶対、諦めたりしない。 まだ、始まったばかりなのだから。 2003/1/27
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