■伝える言葉■ −3− 「それからの宏也は、ひどい状態だった……謝ろうとしていたのに、謝る相手と2度と話すことが出来なくなったんだからな。両親と仲違いしたまま、もう2度と……」 俊也さんが、組んだ掌を痛いだろうほどに握りしめる。 「生きている両親と最後に交わした言葉が、宏也の心を抉って潰したんだ……両親を傷つけた後悔で一杯だった。宏也は……そのショックで、話せなくなった……声を出すことが出来なくなったんだ」 「え……っ」 声を出せない……? 今も……? じゃあ、昨日のあの沈黙は、俺を無視したわけじゃなくて――― 「違う」 俺の考えを見抜いたのか、俊也さんが即座に否定した。 「声を出せなくなったとはいっても、それは一時的なものだと医者は言っていた。……事実そうだった。でも、声を出せるのに、話せるのに、それを宏也自身が拒否したんだ」 息を吐く。 「両親を、そして宏也自身をも傷つけたあの言葉が頭から離れなかったんだろう。言葉を極端に怖がるようになった。そして……言葉と一緒に、感情も呑み込んでしまった……」 小倉がそんな想いをしているなんて、全く気付かなかった。 ただ無視されたと思って、それを理不尽だと感じて。 本当はそうじゃなかったのに。 「うちが宏也を引き取った後も、宏也は話さなかったし、感情も表に出さなかった。俺は宏也に何かしてやりたくて、元の宏也に戻って欲しくて躍起になったよ。どんなに時間がかかっても、少しでも宏也が話せるようになればと俺は必死だった」 「それで……話せるようになったんですか……?」 「やっと……やっとだ。初めて話してくれた時、それがどんなに短い言葉だったとしても、どんなに嬉しかったか……その後、徐々にではあるけど、俺には話すようになってきた」 それを聞いて、俺はほっと息をついた。 でもそれも、束の間だった。 「……でも、そんなに上手くはいかないな……確かに話してくれるようにはなったけど、どこか線を引くような距離をおくような……言葉を選んで、相手を傷つけないように、当たり障りのないように―――そんなのは本当に話しているとは言えない」 一度、恐怖を抱いた言葉は、そう簡単に返っては来ない。 自分の言葉ひとつで、相手が傷つく。 そんな言葉を、簡単に取り戻せるわけがなかったのだ。 「それに、今でも、笑顔なんて全然見せてくれない。泣きも怒りもしない……」 怒りでも何でも良いから、表して欲しいのに。 哀しみも痛みも、表してくれれば俺が何とかするのに。 6年前のあの時のように、俺にぶつけてくれれば良かったのに。 そうすれば、俺は宏也のためにもっと何かしてあげられたんだ――― 俊也さんのそんな想いが、俺にはすごく痛かった。 俊也さんは視線を落とし、言葉を継ぐ。 「それでも……話してくれるだけでも、安堵したのも事実だ。俺の両親とも少しずつ話せるようになって……でも問題は、家の外でのことなんだ」 家の外。 学校や近所の人たち。 俊也さん以外の、人間。 「本当に必要最低限のことしか口にしないんだ。それも初めての場所では声を出そうともしない。その場所に慣れて、宏也なりに理解して、どう接すれば良いのか、どう話せば良いのか……それを考えて初めて、話そうとする。でも……多分、俺と話す時よりもひどいだろうな」 確かにそうだった。 小倉は昨日、言葉どころか声すら出していない。 俺の告白にも、何も。 出席を取った時にも、小倉は右手を挙げただけだった。 その時の小倉は。 「……あれ……?」 確かあの時、小倉は唇を噛み締めていた。 俯いて、強く噛み締めていた。 そして、辛そうに揺れた瞳。 見間違いかもしれないと思った。 でも、そうじゃなかったとしたら。 見間違いじゃなくて、本当に辛かったのだとしたら。 「小倉は、話したいんだ……」 話したくない。 でも、話したい。 相反する想いに、苦しんでいるんじゃないか……? だから、あんなに唇を噛み締めて。 辛そうにして。 表情にこそ表れなかったけれど。 気をつけて見ていなければ解らないほど、微かに瞳を揺らしていたんじゃないか? 俺には、そう思えてならなかった。 「……ありがとう」 不意に、俊也さんが呟いた。 「え?」 何の御礼を言われたのか、解らない。 「……いや、何でもない」 疑問の目を向けた俺に、ゆっくりと首を横に振る。 でも、そう言った俊也さんの表情は、僅かだけれど和らいだように思えた。 「他人にこのことを話したのは担任の先生と君だけだ。だから……最初にも言ったけど、誰にも言わないでくれ」 「俺と担任にだけ……?」 「そうだ。宏也が今日休んだのも担任に頼んだからだ」 俺は、眉を寄せた。 俊也さんの言っていることが解らなかったからだ。 小倉が休んだことと、担任と、どう関係があるのか。 「俺は、宏也に入学式にきちんと出席してもらいたかった。宏也は行きたくなさそうだったけど……でも、高校生活最初の行事なんだから出席して欲しかった」 俺は口を挟まずに俊也さんが続きを話すのを待つ。 「だから事前に担任の先生に会って話してきた。先生は入学式の後のHRで生徒に自己紹介をさせるつもりだと言っていたから、俺はそれを入学式の次の日にしてくれるように頼んだんだ。もちろん、宏也の事情のことも話さなくてはならなかったけど」 自己紹介が、今日、小倉が休んだ理由―――? 「話さない宏也にとって、自己紹介は辛いものだから……先生は承諾してくれて、更に出席を取る時も手を挙げるだけで良いと言ってくれた……他の生徒がそうしても何も言うつもりはないとまで言ってくれた」 だから、俺のせいじゃないと、あんなにはっきり言ったのだ、俊也さんは。 休んだ理由が、小倉の事情だということを知っていたから。 ……今日休んだのが、俊也さんの計らいだったから。 みんなが自己紹介している中で、小倉だけそれが出来ない。 そのために。 でも俺は、自分のせいじゃなかったことに手放しで喜べなかった。 喜べるわけがなかった。 「それで……槙村君はどうしたい?」 「どうって……」 「宏也を、頼めるか?」 「…………」 「どうなんだ?」 詰め寄られて、俺は混乱した。 小倉のことは、解った。 何を抱えているのか、少しでも解った。 でも、やっぱり俊也さんの俺に対する態度は解らなかった。 さっきも思ったように、昨日の今日で俺にこんな話を何故したのか。 俺に賭けた、と、そう言っていた。 「俺に賭けたって、どういうことですか?」 「槙村君は宏也をどう思ってる?」 間髪入れずに言われた言葉に、俺は面食らった。 どう思うか、だって? そんなの、最初から解ってるだろうに。 「……好き、です。小倉のこと」 それでも答えた。 それが本心だから。 「そうだろう? だからだ。だから、槙村君に賭けることにした」 「は……?」 「解らないか? ……だったら、例えば槙村君が宏也のことをただのクラスメイトだと思っているとして、君は宏也の態度をどう思う?」 「それは……」 ただのクラスメイトだとしたら。 俺が小倉に何の感情も抱いていなかったら。 「何回か話しかけても態度が変わらなかったら、もう話しかけようと思わなくなる、かもしれない」 「そうだ。宏也のことを変な奴だと、そう思うだろう」 みんながみんなそうじゃないとは思う。 変な奴だと、それだけで片づけたりはしないと思う。 でも話しかけても何も答えなければ、それ以上小倉には構わなくなるかもしれない。 「でも君はそうじゃない。俺は、今宏也に必要なものは君の想いだと思う。家族じゃ駄目なんだ、他人じゃなければ……」 「俊也さんじゃ、駄目ってことですか?」 「ああ、そうだ。6年間だ……6年間で俺が宏也に何をしてやれた? 家では話せるといっても、それじゃ宏也はずっとこのままだ。俺以外の、誰かの手が必要なんだよ」 「それが、俺……?」 「この6年間で、宏也のことを気に掛けてくれたのは君が初めてなんだ。……宏也のことを話しても、それでも好きだと言ったな? だから……やはり俺は槙村君に賭けようと思う」 きっと俊也さんは、自分が小倉を救いたかったのだと思う。 自分には少しでも話してくれることで、期待したかったのだ。 でもそれには、限界があって――― 俺に小倉のことを頼むと、どんな気持ちでその言葉を言ったんだろう……。 「俺は、小倉と友達になりたいんじゃないんです。それ、解ってますか?」 「……もちろん」 「本当に良いんですか」 「構わない。今は……宏也に、すべてを取り戻してもらいたい、それだけだ」 俊也さんの、痛切な想いが伝わってくる。 小倉が大事で……何よりも大事で。 俺は、そんな俊也さんの目をまっすぐ見て言った。 「……解りました。でも、俊也さんに頼まれたからじゃない」 小倉の声が聞きたい。 小倉と話がしたい。 小倉の笑った顔を見たい。 俺自身が、そう思ったから。 だから、俺は。 「……解ってる、それで良いんだ。俺に頼まれたからじゃなく、君の意志で、宏也の傍にいてやってくれ……」 俊也さんの声が、哀しく痛々しく、俺の胸に響き渡った。 2003/1/25
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