■伝える言葉■ −2− 改めて昨日のことを考えて、重大なことに気付いた。 俺、小倉とは友達でも何でもないのに、友達かと聞かれて頷いた。 あの時はそう答えるしかないと思ったけど、今思えば、完全にその場しのぎだけのための言葉だ。 俺は友達じゃないどころか、小倉に恋愛感情を抱いているのだ。 そのことを、もうお兄さんは知っただろう。 嘘だということがばれただろう。 でもそのことよりも。 小倉に友達が出来たということに安堵していた様子を思い出すと、友達じゃないことをお兄さんが知った時にどれだけ落胆したかということが心に引っかかった。 だからって俺は小倉と友達になりたいわけじゃないし、どうしようもないけど。 ……遅い。 来ない。 もう本鈴も鳴ったし、先生もすぐに来るのに。 俺は、ずっと教室のドアと空いた席を交互に見遣っていた。 でも、どれだけ待っても、小倉が教室に入ってくることはなかった。 もしかして、昨日の俺の告白のせい? だから、来ないのか? ……そんな、いくらなんでも…… 今日はまだ授業はなく、オリエンテーションだけだった。 HRでは、自己紹介をしたが、小倉のことが気になって上の空だった。 自分が何を話したのか、クラスメイトが何を話したのか、全く覚えていない。 今日はきちんと小倉と話をしようと思っていたのに、結局、小倉は来なかった。 ―――小倉の家に行ってみようか。 昨日の今日で行きにくくはあったけれど、どうしても小倉と話をしたい。 俺は鞄を掴むと、立ち上がった。 「槙村」 そこへ、声をかけられた。 振り向くと、クラスメイト2人が立っている。 確か、酒井と山崎だったと思う。 この2人に声をかけられたのは初めてじゃなかったから覚えていたのだ。 休み時間にも、この2人はこうやって俺に話しかけてきた。 もっとも俺は、小倉のことを考えていたからまともにこの2人と会話したことはなかったけど。 そんな俺の態度にもかかわらず、また声をかけてくれるとは思わなかった。 「どこか寄って帰らない?」 酒井が俺を誘う。 「あ――悪い。用事があって」 「……そっか、残念だな……」 「じゃ、また今度な」 俺の拒否の言葉に、本当に残念そうな顔をしている。 誘ってくれたのに、悪いことをした。 そう思いつつ、足は小倉の家へと向かう。 今度は断らないようにしようと、俺は心の中で2人に謝った。 俺は、再び、小倉の家の前に立っていた。 今日は、躊躇わずにインターホンを押す。 しばらくして、ドアが開いた。 「あ」 ドアから顔を覗かせたのは、昨日も会った小倉のお兄さんだった。 「君は……」 お兄さんは少し目を見張ってから、黙って出てきた。 そして、俺の傍まで歩いてくる。 「……小倉が」 俺は小倉の友達じゃない。 ほんの少しの罪悪感を感じて、でも、俺は続ける。 「小倉が、今日休んだから……俺のせいかと思って……」 お兄さんは驚いたような顔になったあと、ゆっくり首を横に振った。 「槙村君のせいじゃない」 「でも」 「本当に違うんだ。元々、今日は宏也は学校へ行かない予定だった」 「え……?」 意味が解らない。 学校へ行かない予定だったなんて、そんなことがあるのか? 「だから槙村君のせいじゃないから、気にしなくて良い」 「…………」 「明日はちゃんと行くから」 「そうですか……小倉は……」 「今、自分の部屋で本でも読んでると思う。……槙村君、今から時間あるか?」 「へ? はあ……」 「じゃあちょっと話さないか。……いや、話があるから、聞いてくれ」 そう言うと、さっさと歩き出した。 俺は訳が解らないながらも、慌ててその後を追う。 お兄さんは無言のままだった。 河原に着くと、ようやくお兄さんが足を止めた。 俺はその少し後ろに立ち止まると、その背中を見ながら考える。 話っていうのは、やっぱり小倉と俺のことなんだろうな。 友達じゃないということと、そして、俺の告白のことを……。 「あの、すみません」 先に謝っておこう、そう思った。 お兄さんは振り返って訝しげな顔を向ける。 何を謝っているんだ? というように。 「俺、小倉の友達じゃなくて」 「ああ、そのことか……別に良いんだ、そのことは」 あまりにもあっさりとした口調に、俺の方が面食らった。 昨日の態度からは考えられないようだと思った。 「俺もひとつ嘘をついた。だからお互い様だ」 「嘘って……」 「俺は、宏也の兄じゃない」 「え……」 小倉のお兄さんじゃ、ない……? 「じゃ、じゃあ……」 「誤解しないでくれ。兄じゃないけど、家族は家族なんだ。俺は小倉俊也(おぐら・としや)という。同じ姓だろう? 宏也とはちゃんと血だって繋がってる」 「じゃあ、一体……」 「俺は、宏也の又従兄弟なんだよ。爺さん同士が兄弟なんだ」 又従兄弟。 爺さん同士が兄弟。 それって……? 「宏也は、養子なんだ。宏也の両親は、宏也が9歳の時に交通事故で亡くなった。それで、うちが引き取ったんだ」 「養子……」 「俺は宏也のこと本当の弟みたいに思ってるよ。宏也の両親が亡くなる前からずっと……もちろん、今も」 昨日、小倉の兄だと言った時の、あの躊躇うような言い方。 言い淀んだのは、このためだったのだ。 「宏也も俺も兄弟がいなかったから……家も近かったしな」 でも、どうして俺にこんな話をするんだろう? 昨日会ったばかりの俺に、身内の話をこんなにあっさりと。 「俺は……槙村君に賭けてみようと思ったんだ」 「賭けるって……」 「……君に頼みがある」 俺の疑問を遮って、言葉を続ける。 「宏也の声を、言葉を……全てを取り戻してやって欲しい」 顔を苦しげに歪めて、縋るように、否とは言わせないというような気迫で、俺を見る。 挑むような視線で。 でも俺は、どうすればよいのか解らない。 小倉の声を、言葉を、取り戻す―――? 何を、言っているのか解らなかった。 「……説明する、宏也のことを。でも絶対に他言しないでくれ」 反射的に頷いていた。 そのくらい、俊也さんの口調には有無を言わせない響きがあった。 俺は黙って俊也さんが話し始めるのを待つ。 その後、俊也さんが語った内容に、俺は目を見張った。 小倉の両親は、共働きで家を留守にすることが多かった。 そのため、近くに住んでいた俊也さんたちが面倒を見ていたそうだ。 小倉は5歳年上の俊也さんに本当の兄のように懐いていて、俊也さんも小倉のことを本当の弟のようにかわいがっていた。 両親と一緒にいられない寂しさを埋めてくれたのは俊也さんだったのだ。 だから、小倉は両親に対して寂しさを感じながらも、耐えることが出来た。 それが破られたのは小倉が9歳、小学4年生の時だった。 その頃小倉は、言いたいことははっきり言う性格だった。 時にはきつい言葉を投げかけることもあったらしい。 それでも最初は良かったのだ。 小倉にきついことを言われても、相手は何も言わなかったから。 言いたいことをはっきり言う性格は、クラスメイトの間では長所として受け止められていた。 それは小倉が、相手に対して無意味なきつい言葉を投げかけることがなかったからだ。 相手に何か非があるような場合に言う程度だったのだ。 それは正義感とかそういうものだったのかもしれない。 でも、ある日、言われた相手が反撃してきた。 何がきっかけだったのか、それは今になってはよく解らないが、とにかく相手はむちゃくちゃに怒った。 そして、恐らく怒りにまかせてだろうが、小倉を傷つけるような言葉を言ったのだ。 『お前の親、いっつもお前のこと放ったらかしなんだろ! お前が嫌いだから、一緒にいてくれないんだ! お前、親に嫌われてるんだよっ』 その時の小倉の表情は蒼白だったらしい。 それはそうだろう。 親に否定される、そのことは小倉自身を否定しているように思えた。 まだ9歳だった小倉にも、そのことが朧気ながらも解ったのかもしれない。 返す言葉もなく、小倉は学校を飛び出した。 向かった先は、自分の家だった。 もちろん両親がいるはずはなく、それはいつものことなのにその時の小倉にとっては、傷ついた心に更に追い打ちをかけられたのだ。 ずるずると床に座り込み、膝に顔を埋めた。 早く帰ってきて。 お願いだから。 それだけを思って。 それからどのくらいたったのか、いつもよりは早い時間に両親が帰ってきた。 真っ暗な部屋の様子に、訝しげな声をかける。 うずくまっている小倉を見て、両親は心配そうに肩に手を置いた。 小倉はそれを、反射的に振り払っていた。 あ、と後悔したが、両親が驚いたように小倉を凝視しているのを見て、また俯く。 そんな小倉の様子に戸惑いながら、それでも両親は話しかける。 たまには家族で外で食事でもしようか、と。 そのために、いつもより早く帰って来たのだ。 でも小倉はそれを拒絶した。 早く帰ってきて欲しいと思っていたはずだったのに、学校でクラスメイトに言われたことが、頭の中をぐるぐると回っていたのだ。 『僕のこと嫌いなくせに!』 そして、言ってはいけないことを、言ってしまったのだ。 途端、両親は傷ついたような目で小倉を見遣る。 それでも宥めようとする両親を、更に小倉は責めた。 『僕が嫌いだから、仕事のほうが大事だから、僕を放って置くんだ! 嫌いならもうこのまま放っといてよ!』 喚き散らす小倉に、最初は優しく宥めようとしていた両親も、さすがに苛立ちを隠さなくなった。 そして、言ったのだ。 『それなら、ひとりで留守番をしてなさい。私たちだけで食事に行ってくるから』 父親のその言葉に、小倉は凍り付いたように黙った。 両親が他にも何か言っていたけれど、小倉の耳には、もう何も聞こえていなかった。 ただ俯いて、両親の様子を耳と気配で感じているだけだった。 父親は母親を促すように、玄関のドアを開ける。 最後まで小倉を気にして何度も振り返っていたが、ついには母親も家を出ていく。 ドアが閉まる音が、静かな部屋に響いた。 その音に、はじかれたように顔を上げる。 でも、その時には既に、両親の姿はなかった。 どのくらい、そうしていただろうか。 小倉は、うずくまって膝を抱えたまま、自分の言葉を後悔していた。 何であんなことを言ってしまったんだろう。 折角、食事に行こうと言ってくれたのに。 ひとりきりの部屋が妙に寒く感じられて、孤独感が増す。 その時に頭の中に浮かんだのは、俊也さんだった。 俊也さんの所へ行けば、寂しくない。 そう思った小倉は、家を出て、俊也さんの所へ向かった。 家の電話が鳴り響いていることには、気にも止めずに。 その日、小倉の両親から外で食事をするということを聞いていた俊也さんは、いきなり来た―――それも、常とは違う小倉の様子に驚きを隠せなかった。 落ち着かない小倉を必死で宥め、俊也さんは何があったかを聞き出した。 小倉は、自分の言ったことを後悔していた。 両親が自分のことを嫌いじゃないということも、本当は解っていた。 それは忙しい合間を縫って、食事にと言ったことからも窺える。 あの時は、クラスメイトに言われたことを思い出してしまい拒絶してしまったけれど、本当は解っていたのだ。 ―――謝らなければ。 帰ってきたら、真っ先に謝ろう。 2人で、そう決めた時だった。 俊也さんの家の電話が、鳴った。 それは、小倉の両親の死を告げる、電話だった。 2003/1/19
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