■トライアングル■ −4− 新と凌が帰り、航は不機嫌も露わに教室に戻ってきた。 新と凌への苛立ちを抱えたままだったからだ。 けれど、それよりも確かめたいことがあった。 だからひとまず新たちのことは置いておいて、航はまっすぐ武のいる方へと歩いていった。 「武」 航が呼びかけると、武が振り返る。 「……何?」 「さっき、新が来た時。何を言いかけたんだよ?」 そう、新が来る直前に武が言っていたことが気になっていた。 『航……俺は……』 あの後、武は何を言おうとした? どんな言葉を続けようとしたのだろう? それを知りたくて、武に対して怒っていたことを抑えて訊きに来たのだ。 ……それなのに。 「ああ、あれ……何でもないから」 あまりにもあっさりとした言葉に、 「嘘つくなよ! 何だったんだよ。あの時お前、ちょっと様子が違ってただろ」 また声を荒らげてしまう。 「……別に……。……ただ、航が男と付き合う気がないって解って……残念だと思っただけだ」 「なっ! どういう意味だよ、それ!?」 そんなに男と付き合ってほしいと思っていたのだろうか? そう考えたら、航は頭に血が上って怒鳴りつけていた。 「そのままの意味」 武の冷静な口調に、更に腹が立つ。 人が真面目に聞いているのに、その答えは何なんだ? 冗談にも程があると思う。 それに、まさかとは思うけれど……本気で言っているとしたら、尚更、悪い。 航が睨みつけると、武は話はもう終わりだというように睨み返してくる。 そのまま、武は不機嫌そうに教室を出て行ってしまった。 「ちょ、武っ!」 航の声にも振り返らずに。 「何なんだよ、あいつ……」 ぼそっと呟いて、出ていったドアを見つめる。 武が何を考えているのか、解らない。 解らない……。 航は家に帰ると、すぐに自分の部屋のベッドに身体を投げ出した。 今日もまっすぐ帰ってきたので、新と巽はまだ帰っていない。 母は父の所に行っていていないし、しばらくはひとりでいられる。 ゆっくり、考えることが出来るのだ。 土曜日の昼に家にいることなどほとんどなかったのにな、と思いながら、航は学校での事を思い出していた。 結局、武は授業をさぼった。 言いたいことは山ほどあったし、何を考えているのかも気になっているのに。 けれど顔を見たら、また同じ事の繰り返しになってしまいそうなので、却って良かったのかもしれない。 「何が悪かったんだろ……」 呟いて、再びベッドに寝転ぶ。 何で、武とこうなってしまったのだろう? もう、以前には戻れないのだろうか。 武と創と、3人でいた頃には。 時には新と巽も加わって、みんなで楽しい日々を送っていた頃には。 もう、戻れないのだろうか……? 最近は、戻れないのだと諦めようと努めていた。 何度も自分にそう言い聞かせた。 本心は全く逆だというのに。 本当は……出来ることなら、昔のように、普通に、楽しく……武と創と3人で過ごしたい。 「俺は戻りたいのに……」 武は、そう思ってはくれないのだろうか……。 不意に、目の奥が熱くなったような気がして、航は目を両腕で覆った。 「航?」 どのくらいそうしていただろうか、声がかけられ、ドアが開いた。 「……巽?」 ドアの所に立っている巽を認めると、訝しげに呼ぶ。 「まっすぐ帰ってくるなんて、珍しいね」 「巽こそ、帰ってくるの早いじゃん。部活は?」 巽は、知る限りでは部活を休んだことがなかったから、航も同じ言葉を返す。 「今日は休み」 「ふーん、珍しい……」 巽が所属する演劇部は、滅多に休みの日がない。 まして、長時間練習できる土曜日に部活が休みになることは、本当に珍しかった。 それに今は9月。 11月には文化祭があるというのに。 「まだ、台本が出来てないんだってさ」 「……大丈夫なのか?」 文化部は夏休み前から準備しているところがほとんどなのだ。 演劇部もうそうだと思っていた分、ちょっと心配になってしまった。 「大丈夫なんじゃない? ま、何とかなるよ」 いつものように冷静な物言いだった。 本人が冷静なのに、何故、自分が心配しなくてはならないのかと疑問に思って溜息をつく。 「……巽は良いよな。いつも冷静で」 つい、愚痴を零してしまっていた。 「航、冷静になりたいの?」 巽の言葉に、深く頷く。 いつもそう。激昂した後で後悔してばかりだ。 そんなだから、武とも上手くいかないのかもしれない。 「なりたいよ、なれるものなら。何で俺、こんな性格してるんだろ。冷静にできたら……変わってたかもしれないのにさ」 「無理だよ、航には」 即答され、航はむっとする。 「……そんな、はっきり言うことないだろっ」 「ほら、やっぱり」 「う……」 確かに、巽みたいにいつでも冷静でいるのは無理かもしれない。 けれど、それを自分ではない誰かに――巽に言われると、さすがにこたえた。 「た、巽は冷静すぎるんだよ」 苦し紛れにそう言う。 ……まあ実際、巽は冷静すぎると本気で思ってはいたのだけれど。 「性格だから、これは。航と一緒で、どうすることもできないよ。でも俺は、結構この性格気に入ってるけど?」 正直、羨ましかった。 巽みたいに自分も自分を気に入っていると言えたら良かったのに。 「……俺は航の性格、好きだよ。別に良いんじゃない、そのままで」 一瞬、耳を疑ってしまった。 聞き間違いかと思ったのだ。 巽が、そんなことを言うなんて信じられなかった。 「巽……俺のこと、そんなふうに思ってたんだ?」 「まあね。……そんなに意外? 俺がこんなこと言うの」 信じられないと思っているのが解ったのだろう、巽が微かに笑った。 航は黙ったままで、巽を見ていた。 怒りっぽくて、すぐに感情を露わにするところの、どこが良いのだろう。 そう思いながら。 それでも巽の言葉は嬉しかった。 本当に、嬉しかったのだ。 あの日以来、武は何も言って来ず、新のことを聞かされる前の状況に戻っていた。 航には、この状況を喜んで良いものかどうか、解らない。 嫌な気分にさせられることはないけれど、武との関係が良くなったわけではないし、良くなる見込みもないように思う。 このまま何も変わることなく、今までと同じ日々が戻ってきただけなのだ。 たまに突っかかってくるだけの存在に戻っただけなのだ。 そう、それだけのこと。 そのはずなのに……何故か、寂しく思えてならなかった。 「え……?」 そんなある日のこと、唐突に武に話しかけられた。 静かな口調に、かけられた言葉に、驚きを隠せなかった。 口を「え」の字に開けたまま、航は呆気にとられて武を見つめてしまった。 ……だって、もしかしたら、自分の願望が武の言葉をそう聞こえさせたのかもしれないと思ってしまったから。 自分の都合の良いように置き換えてしまったのかもしれない。 そんなはずはないと解っているのに、そう思ってしまうほど武の言葉は航に衝撃を与えた。 けれど武は、もう一度、はっきりと言ったのだ。 「今まで……ごめん。もう、お前に突っかかるの、やめるよ」 「……本当に?」 航が思わず呟くと、武は頷いた。 信じられない、と頭の中が混乱した。 今の今まで、武のことが全く解らなかったのに、まさか、武がそう言ってくれるなんて。 それでも、湧き上がってくる嬉しさは抑えられない。 その嬉しい気持ちのままに武に言葉を返そうとして――けれど、気付く。 突っかかるのをやめるとは言っているけれど、昔のような関係に戻るとは言っていないのだ。 航は慌てて口を噤んだ。 ぬか喜びはごめんだと思ったから。 けれど、そのすぐ後。 武の口から出た言葉は。 「元に……幼なじみに、戻ろう」 航の想い、そのままだった。
初掲載(メルマガ):2003/03/04
再掲載(加筆&修正):2005/04/05 |