■トライアングル■


−3−


「……機嫌、悪い?」

 学校に着くなり、机に突っ伏した航は、その声に顔を上げた。
「……最悪」
 心配げに見ている創に、不機嫌も露わにそう答える。
 ……創が悪いわけではなかったのだが。
 昨日のことに加えて、新のことをクラス中のほとんどが既に知っていたこと。
 それが、航の不機嫌を増大させていた。
「……新先輩と、話したんだ?」
 躊躇いがちに聞いてくる創に、航は頷く。
「聞いたよ……本当だった」
「そう……」
「まともな反応は返ってこなかったけどな。2人して、彼女を作れだの、男と付き合えだの……!」
「わ、航……」
「何だよっ」
「声、大きい……」
「あ」
 つい興奮して、声を荒らげてしまった。
 クラスのみんながこちらを見ている。
 そして、その中に。
「武……」
 武も、いた。
 感情の窺えない、けれど鋭い目がじっとこちらを見ていた。
 また、突っかかってこられるような材料を、今度は自ら作ってしまった。
 何でこう、上手くいかないんだと溜息をつく。
 そうしているうちに、武が航の前に立った。
「……お前は」
 武の静かな声が耳を打つ。
「お前は……どうなんだよ……?」
「は? 何をだよ」
 突っかかられる前にと、こちらから喧嘩腰に応じる。
 けれど、言った瞬間に後悔した。
 昨日も創に言われたばかりだったのに。
 性格なのか、ついこういう態度を取ってしまうのだ。
 特に、武相手だと。
「彼女を作るとか……男と付き合うとか、そんな気があるのか?」
「そんなもん、あるわけないだろっ!? 大体、彼女はともかく、何で男となんか付き合わなきゃいけないんだよっ」
 周囲も気にせず、怒鳴りつけてしまう。
 昨日から、何故、こんなことばかり言われるのか。
 憤慨していた航は、武の表情が曇ったことに気付かなかった。

「そうか……悪かったな」

 しばしの後、溜息と共に吐き出された言葉。
 意外な言葉だった。
 それで初めて、航は武の顔を凝視した。
“悪かったな”──?
「な、何だよ、それ……今までそんなこと1度も……」
 どんなに突っかかってきても、謝罪の言葉など、どちらの口からも出たことはない。
 それに、気のせいかもしれないけれど、口調がいつもよりも柔らかかったような気がした。
 それから、どことなく寂しげな声だったような気もする。
 突然の武の態度の変化に、航は戸惑った。
「航……俺は……」
 小さな声で、なにごとかを呟く武に、首を傾げる。
 そして、もっと良く聞こえるようにと耳を近づけた。
 その時。

「こーちゃーん!!」

 武の声をかき消す大声が教室に飛び込んできた。
「な……っ」
 この声、この呼び方は……。
「こーちゃん、ちょっと」
 ドアのところで、中を覗き込みながら手招きしていたのは、良く知った兄だ。
 それも今、1番会いたくなかった兄だった。
「新先輩……」
「……っ、新の馬鹿っ!」
 よりによって学校で、“こーちゃん”などと呼ぶなんて。
 今、話題にのぼっている本人が、平然とここに来るなんて。
 今まで、新が航のクラスに来たことなどなかったのに、どうしてこんな時に来るのか……。
 からかって困らせて楽しんでいるとしか思えない。
 航は、武から離れると、足早に教室を出た。
 航のいなくなった教室内でどんなことを言われているのか……考えたくもない。


「何なんだよ、一体……あれ?」
 新の傍まで来て、その隣に見知らぬ男子生徒が立っているのに気付いた。
 誰だろうと考える。
 新と一緒に来るということは……まさか……?
「そ。これ、俺の恋人。航に会いたいって言うから連れてきた」
「はあっ!?」
 何で、会いに来るんだ?
 嫌がらせかと思いながら、新の恋人だという男子生徒を見る。
 背は新よりも頭半分くらい高い。
 体格も良い。
 けれど、黙ってこちらを見ている表情からは、大人しそうな印象を受けた。
「航君……だよね? 俺、大塚凌(おおつか・しのぐ)っていって……君のお兄さんの恋人なんだけど。その……謝りたくて」
 凌の口調は随分のんびりしたものだった。
 さらりと“恋人”という単語が飛び出したので、一瞬聞き逃しそうになったくらいだった。
「謝る、って……?」
「俺たちが昨日の朝言ったことで、航君に迷惑かけたから」
 どうやら新が話したらしい。
「だから……ごめん」
 そして、新からの謝罪は全くないのに、凌はさも自分が悪いかのように謝っているのだ。
 わざわざ、航の教室にまで足を運んで来てくれたというわけなんだろう。
 出来れば人目のないところにして欲しかったけれど、それでも航は、肩の力を抜いた。
「何だ……新と付き合ってるって言うから、どんな変な奴かと思ったけど、結構まとも……」
 そこまで言って、慌てて口を押さえた。
 いくら何でも失礼だ。
 自分の失言に気付き、頭を下げる。
「……すみません」
「良いんだ」
 そう言って、笑って航を許す凌。
 真面目で優しい人なんだろうなと思う。
 ……何で、新なんかと付き合ってるんだろう……?
 そんな疑問が頭に浮かぶ。
 新と言えば、面白いことが大好きで、飄々としていて、こっちは調子を崩されてばかりで──目の前の凌とは随分印象が違う。
 それとも、違うタイプだからこそ、なのだろうか?
「本当に気にしないで。俺が悪いんだから」
「そんなこと……」
 まだ申し訳なさそうにしている凌に、却ってこちらが恐縮してしまう。
 新への憤りも忘れてしまっていた。
 が。
「ううん、やっぱり俺が悪いんだよ。俺が新に、俺の恋人だって言って欲しいって頼んだから……」
「は……?」
 その言葉に、そんな思いは、あっさりと吹き飛んでしまった。
「告白したの俺だから、俺のことちゃんと恋人だと思ってくれてるか心配で……だから、新は悪くないんだ。責めないでやってくれないかな」
「…………」
 航は絶句して、硬直していた。
 凌が、新に恋人宣言するように頼んだ……?
 ──前言撤回。
 こっちが謝る必要なんか全くない。
 謝った言葉と、申し訳なく思った気持ちを返してくれという気分になる。
 それに、新も新だ。
 凌に頼まれたからといって、あっさり承諾して実行するとは……。
 我が兄ながら、何を考えているのかさっぱり解らない。
 どうして自分ばかりがこんな思いをしなければならないのだろう。
 新も凌も、巽も平然としているのに、何で自分だけ。
 もうこれ以上、掻き乱して欲しくない。
 けれど……それは、無理のような気がする。
 凌の隣でにこにこと話を聞いている新の姿を横目に、航は頭を抱えてしまった。



初掲載(メルマガ):2003/02/14
再掲載(加筆&修正):2005/03/18



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