■月夜を抱く君■


−6−




「…………」
 長い沈黙が落ちる。
 夜の闇が一層深まり、それでも和都は身動ぎひとつせずに勇士の返事を待つ。



「一昨日のこと、か……」
 しばらくして、勇士が呟いた。
 和都は、はっとして勇士を見つめる。
 ここに来たばかりの時のように再び夜空を見上げている勇士は、今何を考えているのだろう。
「……今日は、月は見えねえな……」
 つられて、和都も夜空を見上げた。
 雲に覆われた夜空には、月も星のひとつすらも見出せない。
 ふと、あの日は満月だったと思い出す。
 夜の闇を照らし出す、淡い満月の光。
 夜の全てを抱くような、灯火。

「……和都。あの時のことを謝るのは簡単だけど、俺は謝らねえ。ただ……」
 逡巡するように言葉を切った勇士の表情には、迷いの色が浮かんでいる。
 けれど、やがて迷いを振り切ったのか、ひたりと和都を見据えた。
「……あの時の俺は、今の俺じゃなかった」
「……はい」
「それでも、あの時の俺も俺のうちだ。今言えるのは……それだけだ。それ以上は――」
 言えない、と。
 それきり、勇士は固く口を閉ざしてしまう。
「柏原さん……」
 和都の方も、そう言うしか言葉が出ない。
「それだけの説明じゃ、もう会ってもくれなさそうだな」
「…………」
「でも、お前を諦めるつもりはねえから。俺は勝手に会いに行く」
「え……」
「会いに来た俺をどうするか、それはお前の自由だ。――時間取らせねえって言いながら、長居しちまったな。帰るか。……嫌じゃなければ送ってく」
「…………」
 立ち上がった勇士を、和都はただ眺めていた。
 自分も立ち上がろうとするけれど、何故だか身体が動かなかった。
「和都? 帰らねえのか?」
「……柏原さん。僕は……」
 何を言おうとしたのか、和都は口を開いて、けれど、その先を言葉にすることはできなかった。
 色々な感情が、頭の中で渦を巻いている。
 一昨日の夜のこと。
 勇士の言う通り、謝ってもらって納得できるのなら話は簡単だ。
 けれど、和都はそれでは納得できない。
 何故、自分にあんなことをしたのか、その理由を知らないまま謝ってもらっても、わだかまりは溶けない。
 勇士は自分を好きだと言うけれど、あの時はそうではなかったはずだ。
 出会い頭のあの出来事の後のことだと、勇士自身がはっきりそう言った。
 それに例え好きだからだとしても、いきなりあれはないだろう。
 あんな――あんなこと、を。
 今とは別人のようなあの夜の勇士が脳裏に甦る。
 ――けれど。
 昨夜、勇士といる時間が居心地が良いと感じたのもまた、嘘ではなかった。
 積極的に会いたい相手ではないと思ったのも、会えば自分の中にあるその矛盾が更に大きくなりそうで怖かったから――。
「い、良いです」
 思わず、口走ってしまっていた。
 勇士は不思議そうに、和都を見遣る。
「良い? 何が?」
「……柏原さんと会うこと……良いんです。嫌じゃ、ないです……」
「和都……」
 勇士の瞳が、驚きに見開かれる。
 次いで、安堵したように、表情が綻んだ。
 それを見て、今までのわだかまりが薄れるのを和都は感じた。
 ベンチから立ち上がり、勇士の隣に並んで、夜の中を歩き出す。


 やがてぶつかるだろう、勇士との間に立ち塞がる壁の存在には全く気付かずに。
 勇士と新しい関係を一から築けるのだと疑いもせずに。

 この時、和都は一番大事なことに蓋をして、その一歩を踏み出してしまったのだった。



2006/04/16




短いですが、きりが良いのでここで一旦切ります。





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