秘密だ 1



「よぉー、頑張ってるな」

 その声で、ゾロの動きはピタリと止まった。あのデッカイ鉄串を振りかぶったままという中途半端な格好で器用に固まる。唯一、額から流れた汗だけが動き、頬を伝ってポタリと落ちた。
「ちょっと休憩して、これでも飲めよ。水分補給は大事だぞ」
 ギギギ……と音でもしそうな感じでゆっくりと首を動かし、その声の主を見れば、思った通りの人物が立っていた。
 右手にトレイを持ち、その上には涼しげな飲み物がのっている。
「ほら、お前専用ドリンクだ」
 専用。
 差し出されたドリンクを前に、ゾロの顔がピクっと引きつる。飲み物とそれを差し出す人物の顔を交互に見ると、ニコニコした胡散臭い笑顔が向けられた。
「お前専用で俺様スペシャル。特別製。愛情たっぷり」
 愛情たっぷり。
 さらにゾロの顔がピクピク引きつった。
 やはりここは一つ。この錘でガツンと一発なり二発なり殴ってやった方がいいのかもしれない。正常とはいかないにしても、今より少しはマトモなコックに戻るかもしれない。
 そう思うと、鉄串を持った手が小刻みに震えてしょうがない。
 しかし、そんなゾロの危険思想などおかまいなしに
「喉渇いたろ?それ下に置いて、こっち来て飲めよ」
 サンジは笑顔を絶やさず、おいでおいでとゾロに手招きしている。ストローで氷をかき混ぜ
「おいしいぞー」
 呑気なことも言っている。
 目の前でかき混ぜたストローと氷がクルクル回る。
「なんだよ、いらねぇのか?」
 いや、いる。
 頑なに距離を保とうとしていたゾロも、このカラカラとした氷の音にごくっと喉が鳴る。確実に喉は渇いている。額から汗も流れる。
 しかし、今この欲求の赴くままにあのコックの元へ行ったのなら、自ら危険地帯へこの身を投じる事と同じだ。
 喉は渇いた。飲みたい。だが、向こうへは行きたくない。どうする。どうしたらいい。
「……そこに置いとけ」
 そうだ、ジュースを置いて、あのコックが向こうへ行けばいいのだ。
「何言ってんだ。ここまで持ってきてやったんだから、ちゃんとこっちに来て受け取れ」
「後で飲むからそこ置いとけって言ってんだ」
「駄目だ。後で飲んでもいいから、ちゃんとここまで取りに来なさい」
 するとサンジはまた、ゾロへ「おいでおいで」をした。
「……だったら、いらねぇ」
「ああ?」
「いらねぇから、あっちに行け」
 ゾロはぷいっとジュースから意識を逸らすように横を向くと、再びあの鉄串を振り下ろした。錘がブンと音を立てて風を切る。
 確かに喉は渇いていた。いたが、しかし、我慢しようと思えば出来なくもない。いや、我慢する。ジュースは惜しいが、ただの水でも喉の渇きは癒える。今はこの場所を動くわけにはいかないので、後で飲めばいい。そうなのだ。今の自分にとって大事なのは、水ではない。あのコックの元へ近づかないことだ。
 だから、早くここからいなくなれ。
 そう願いながら、横にいる男の存在を無視するかのように、トレーニングに没頭してるフリをした。そう、フリ。本当はかなり気が気じゃない。
 すると
「はいはい、わかりました」
 サンジが大袈裟な溜息をついた。
 やっと諦めたか。その声でホッとしたのか一瞬、錘を振り下ろす手が止まる。けれども、それは本当に一瞬で。顔を引き締めると、また振り下ろすことに没頭してるようにみせた。
 しかし、いつまで経っても諦めたはずの相手はその場から動こうとしない。何故かその場に立ったまま。しかも嫌な視線を感じる。
 不審に思いながら、視線だけ動かして横を見れば
「しょうがねぇなー、ゾロ君は」
 なんてことをブツブツ言っている。
 誰がゾロ君だ。諦めたのなら、早く向こうへ行けばいいものを。
 ゾロは、さっき以上のスピードで錘を振り下ろした。振り下ろすたびに「あっちへ行け、あっちへ行け」と思いながら。なのに
「しょうがねぇから……」
(……?)
「しょうがねぇから、俺がそっち行って飲ませてやるかぁ!」
(!?)
 嬉しそうな顔したサンジがゾロの方へ一歩足を踏み出してきたのだ。
 途端、サンジの鼻先をブンと音を立てて何かが掠める。と、同時に二人の間にパラパラと黄色い髪の毛が舞った。
「……あ……」
「……」
「……」
「……」
「……あっ、ぶねぇだろが! いきなり何してくれんだ!」
「てめぇが近づこうとするからだろうが!」
「だからって、そのでっけーのを人に向けて振り下ろすやつがあるか!」
「うるせぇ! それ以上俺に近づくな!」
 ゾロは、手に持った鉄串で近づいてきたサンジの身体を押しやると、無理矢理鉄串一つ分の距離を取った。
「おい、これ邪魔だ。そっちに行けねぇ」
「だから、そっから先、こっちには来るな」
「なんで?」
 なんで。
 それはこっちにが聞きたい。ゾロは額に青筋をきっちり浮かべると
「なんでじゃねぇだろ、自分の胸に手ぇ当てて考えてみろ」
 低く唸るようにして言った。
 すると、サンジは素直に目を閉じて、自分の胸に手を当てる。
「ん。至って正常」
「……異常なのは、その頭の方だ」
「なんだと、お前の頭の色の方が異常だろうが。そんなこと言うならコレやらねぇぞ!」
「だから、いらねぇって言ってんだろ! それ持ってさっさと向こうへ行け!」
「俺がどこに行こうと、てめェに命令される筋合いはねぇんだよ! いいから早くジュース取りに来い!」
「俺もてめェに命令される筋合いなんてねぇんだよ!」
 鉄串挟んで睨みあった。
「ジュース取りに来い」
「いらねぇって言っただろが」
「取りに来い」
「嫌だ」
「わかった」
「……」
「と、見せかけて」
「あ?」
 次の瞬間、サンジは自前の長い足を利用してゾロのすぐ近くまでジャンプしてきた。そして、何をするのかと思えば、ペロリな感じでゾロの尻を撫でたのだ。
「てめっ!」
 ゾロが叫んだ時には既に遅く
「今日も触らせてもらったぜ」
 ジュースを乗せたトレイをゾロの足元に置くと、サンジは長居は無用とばかりにさっさと階段の向こうへ逃げていった。
「それ飲んでもっと励めよー」
 軽快な足音が遠ざかっていく。
 ジュースと共に、その場に取り残されたゾロは、さっき撫でられた尻をぎゅっと掴むと、苦虫をすり潰したような顔をして、階段の向こうを睨んだ。
 最悪だ。



 話は数週間ほど前に遡る。
 時は夜。場所はラウンジ。
 つまみを作ってやるから一緒に酒を飲もう、そう持ちかけたのはサンジの方だった。二人っきりで話したいことがあるのだという。そして
「聞いて驚くなよ」
 そう前置いて。
 一人酒を傾けるゾロへサンジはつまみを渡しながら、こう告げたのだ。

「どうやら俺は、お前に惚れてるみたいだ」



2004/12/14掲載

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