呉の都、建業の城下は賑やかだ。それは呉主孫家の風化によるものでもあり、元来の住人の気質によるものでもあった。それ故に騒動は度々の事、警邏の居ぬ間に一騒動、は毎日のことだった。今日とて同じ。
「邪魔立てするのか!」
「そこを退け!」

 騒ぎ立てる男たちの声、ざあっと引く民衆、慌てて店を畳む露天の商人。逵路の真ん中にはぽっかりと穴が空き、それを囲む人だかりができていた。
「先に事を荒げたのはそちらだろう? こちらに非はないと思うが」
 賊崩れの為りをした男が三人、対するは鎧冑に麻織の布を巻いた女が一人。
「何言ってやがる! お前が手を出してきたんだろうが!」
「天網恢恢、疎にして失わず。悪事は見られているのだよ、君らが過失だ」
 口角に沫を飛ばして怒鳴りつける男を見上げて、喉を鳴らして笑う女。どちらが劣勢か、など問うも愚かしい。観衆が固唾を飲み見守る中、男たちは剣を抜き女を包囲した。
「やってやる! いけ!」
 一人の男の掛け声とともに、二人が剣を女向けて振り下ろした。ひっ、と上がった声は人垣から。

「初動が遅い」
 女の声は、一人の男の腕が細剣によって地に縫い付けられてから静かに響いた。悲鳴、叫喚、呻吟、咆哮。人垣は一気に崩れ、二人の男が女に切りかかる。だが、女は一方の剣を左腕で難なく受け止めると、もう一方を鞘で弾き飛ばした。切られた布の下から現れたのは左腕の鉄盾。体勢を崩した男が向き直る前に、女は盾に全力を預けて力を掛ける男の剣を受け止めつつ足払いを放つ。見事に崩れ落ちた男の手から大剣を取り上げると、その男の腿を刺し抜いて動きを封じた。
 全く表情を変えることなくそこまでやってのけた女に怯えを感じたのか、最後の一人となった男は尻込みしながら剣を構えて女との距離を開ける。二人の苦しげな呻き声が男に恐怖を加える。
「どうした。逃げるか?」
 女の身には大きな剣を、鮮血を垂らしながら向けられて、男は意を決した。
「うおああ!」
 渾身の一撃は、しかし、あっさりと避けられた。懐に入った女がくつりと笑って鳩尾を剣柄で打ち付けて男を昏倒させたのと同時に、警吏が駆けてきた。


 その日、街に出ていたのは陸遜率いる軍だった。騒ぎが起きている、と報告を受けて警吏を走らせ、自身も馬を駆って現場に向かった時には全てが終わっていた。倒れた男が三人、そこに立ちつくす女が一人、遠巻きにそれを見つめる大勢の民衆。ひとまず場を収めなければ、と陸遜は声を張り上げた。
「我が名は呉将陸伯言! この場の騒乱は軍が鎮めます!」
 陸遜の声にがやがやと騒がしかった一帯はしんと静まり返る。彼は馬上から辺りを見回して口を開いた。
「民は退きなさい。不調の者は兵に申し出て医人の所へ。損害を被ったというものは文官に申し出なさい。勘案の後、対処させましょう。この四人の身は呉軍が引き取ります。異議ある者は呉城へと、陸伯言の名を出して面謁を申し入れなさい」
 彼が言い終えると、部下が素早く行動を始めた。民衆を誘導し、応急処置を施した男たちを戸板に乗せて運び、女を捕縛して城へと向かわせる。その場の処理は副将に任せ、陸遜は騒動の主因であろう男女に同行する。事情を問い質し、刑部に突き出すか釈放させるか。そこまで考えて、弱年の自分では城へ連行して他の官に引き渡すだけだろう、と思い至る。
 ――私にはまだ力がない。
 厳重に兵を巡らせて進めていたが、ふと視線を感じて陸遜は前方を見る。縄を曳かれながらもしっかりと歩いていた女が振り返って陸遜を見上げていた。視線がかち合った一瞬、女は陸遜に微笑んだのだった。
 次の瞬間には、女は前を向いて歩を進めていた。


 ――運命が天に在るのなら。……私は力を望みます。


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2008/05/25
よしわたり



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