『闇の雨』 



3





渋谷にある予備校に伸之助が通っていたのは、戸的高校に転入する前だった。
製薬会社のビル内にあったその予備校のレベルは高かったが、伸之助はどうにもなじめなかった。
いつも窓際の席に座っていた伸之助は、講師の話も上の空に窓の外を眺めるのが日常だった。
『……あれ、何やってんだろうな』
窓の外に立ち並ぶビル群の中に、気になるビルがひとつあった。
古びたそのビルの屋上には、落下防止にしてはひどく大げさなフェンスが設けられ、夜だというのに 人影がいつも複数あり、何かをしていた。
『ストリートダンスの練習? 違うな……ビルの貯水槽の点検? いや、違う……』
薄暗いが照明が灯っている。人影はダンスでも点検でもない、不自然な動きをしていた。
そう、まるで戦うような動きを。
『あれは、何をしているんだろう……』
目を凝らしても、それは遠くはっきりとは分からなかった。
帰りがけに確かめようとしたが、なんとなくためらわれて確かめないままだった。





元々学校の授業と家庭学習だけでも成績は上位だった。
戸的高校への転入を機に、その予備校は辞めてしまった。





そのビルの前に、伸之助は立っていた。
二日前、インターネットカフェのパソコンで見た、深道ランキングのホームページ。
サンプル動画に映っていた、11位から20位までのランカー同士の戦い。
その対戦は、地名こそ出ていなかったが「専用の対戦場所」で行われている、と説明されていた。
専用の対戦場所。間違いない。このビルだ。伸之介は確信していた。
背景にある他のビルの感じ、ひどく高い落下防止フェンス。貯水槽の形。間違いない。
「ここか……」
今夜も誰かいるだろう、きっと。
深道ランキングに参加する……つまり「深道ランカー」になる方法は、大きく分けて二つ。
主催者・深道本人によるスカウトか、時々行われるイベントへの参加。
深道本人にスカウトされるには、ストリートファイターとして名をあげるしかない。エアマスターも、
この方法で参加に至ったという。
もう一つの、イベントへの参加……在野に埋もれているファイターを見つけるために、行われるらしい。
一般から広く参加者を募り、上位ランカーと対戦し、勝利するとランカーとなれる。
しかしホームページには、イベント予定はしばらくは無い、と書かれていた。
そうなると方法は一つだけだ。
マキと戦うためには、又、自分の修行の成果を試す為にも。
正式にランカーにならなくとも、何らかの形でランキングに参加するのがいいと、伸之助は判断した。




その為にはどうしたらいいか。
街の喧嘩屋を何十人倒すより、手っ取り早い方法がある。
上位ランカーを倒すことだった。





古びたビルの扉は鍵も掛かっておらず、簡単に開いた。
貸しビルらしいがテナントは一軒も入っていない。けれど人が此処を利用している形跡は確かにある。
掃除も行き届いているし、空気は埃っぽくなく、真新しいジュースの自動販売機が幾つもある。
何より人のいた気配がここにはある。
伸之助は呼吸を整え、いつでも戦える精神状態になった。
上へと続く階段を登ろうとすると、上のほうから足音が降ってきた。どうやら誰か降りてくるらしい。
「ランカー、か……?」
伸之介は立ち止まり、降りてくるであろう人間を待った。





「オマエ誰だ?」
降りてきたのは、金髪の太った男だった。
力士崩れらしい髪型と体型だった。
「新人ランカーか? ここは11位から20位までのランカーの場所だぜ」
「僕は、」
伸之助は構えも迷いも無く、踏み込んだ。






瞬殺。
その言葉の通り、勝負は一瞬で決まった。
「……あ……が……ッ」
男はズシンと音を立て、その場に崩れ落ちた。
「あっけないな……」
倒れた男に一瞥をくれると、伸之助は階段を登り始めた。





屋上には誰もいなかった。
照明も消えていた。
「……誰もいないか」
もしかしたら時間が遅すぎたのだろうか。
「しょうがない、明日また来るか……別のランカーを当たるか」
引き返した伸之助は、まだ倒れている男の傍を通り、夜の街へと消えた。






「……ケアリーが?」
深夜のファーストフード店で、ランキング主催者・深道は不可解な電話を受けた。
電話の主はランキングのアルバイトのスタッフから。
11位から20位までの対戦専用の貸しビルで、元8位のケアリーが何者かにやられたという。
「ケアリーの具合は?……うん、……ふぅん、……そう、」
ケアリーは肋骨が何本も折れているらしく、病院に運んだらしい。
電話口の向こうのバイトの声は興奮していた。
意識が戻ったケアリー曰く、全く知らない、高校生くらいの男に、一瞬でやられたという。
何らかの拳法の使い手だろうと思う、と。
ケアリーはかなりの巨漢だ。その辺の喧嘩自慢程度では倒せるはずは無い。
倒したという男の腕には大きく痛々しい傷があったというが、そんな男には深道も心当たりがなかった。
少なくともランカーではないし、注目しているストリートファイターにも居ない。
「……わかった、有り難う。また明日ケアリーの見舞いに行くよ……ご苦労様、」
電話を切り、深道は小さく口の端で笑った。




「……ランカー狩りか? 面白い……」








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