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『闇の雨』
4
暗闇の中、鈍い音が人気の無い路地裏に響いた。
伸之助の足元には、元深道ランカーだった男が倒れていた。
「……あっけないな」
伸之助は呟くと、きびすを返して夜の闇の中へと消えた。
深道ランキングに参戦し、マキと戦うその日のため、伸之助は”ランカー狩り”……元ランカーや現役ランカーを倒してまわっていた。深道の目に留まるようにと。
これで5人目だった。
伸之助は帰国してからほぼ毎日のように、夜外出し朝方帰宅する生活を続けていた。
学校へはまだ一度も行っていない。
昼間は寺の境内や、寺と隣接する霊園の清掃などの雑務をし、その合間に仮眠をとり、夕食が終わると行き先も告げずに出かけ、朝刊が届く少し前に帰宅する……というのが
帰国後の伸之助の生活パターンとなっていた。
その日は昼に本堂で法事があった。古くからの檀家である、某旧家の三十三回忌で、参列者も多く、狭い本堂には人が溢れた。
伸之助は作務衣を着て傷を隠し、まめまめしく働いた。
皆は伸之助を良い子だと褒め、跡取りにならないのかと祖父に尋ねるものも多かった。
その日の夜、遅い夕食をいつものように三人でとった。
「……ご馳走様でした」
一番に伸之助が食べ終わり、丁寧に両手を合わせて頭を下げた。
膳を下げようとする伸之助を、祖父が呼び止めた。
「―――伸之助や」
「はい」
「座りなさい」
祖父の言葉に伸之助は手にした膳を再び置くと、言われるままに元の場所に座った。
「……今日も、行くのか?」
「…………」
主語はなくとも会話は通じた。
「伸之助、お前は毎晩、何処で何をしている?」
「それは……」
「お前がしていることは、学業よりも大切なことか?」
「……」
祖父がアアッ、と咳き込んだ。痰が絡んだらしい。
伸之助が黙り込むと、祖母は祖父の背中をさすりながら続ける。
「伸之助、……あなたのことだからと何も言わないつもりでしたけど、流石に目を瞑ってもいられなくて」
下町生まれの祖母は早口だった。
祖父は腕組みをし、いつもとは違う、複雑な表情を浮かべていた。
流石にこのままでは、高校も出席日数が足りなくなることは目に見えている。
いくら学業が優秀だとはいえ、出席しなければ進級も進学もままならない。
伸之助の両親は伸之助が毎日登校し勉強に励んでいると思い込んでいる。
祖父母も、伸之助が帰国後ちゃんと学校へ行き、勉強に励むと信じていたからこそインドへ行ったことも、
ましてや戸的高校へ転校したことすらも……伸之助ならどのレベルの学校に進もうと、成績を維持すると信じていたから……
両親に言わないでいてくれたはずだ。
伸之助の生活に関して何もいわないという態度を今まで一貫してとってきた祖父母だったが、
それは伸之助が言わなくともちゃんとする子であったからであり、この毎日の伸之助の生活では、流石にそうは行かない。
「高校は義務教育じゃないんですよ。出席日数が足りなければどうなるか、分からない貴方じゃない筈ですよ」
現に、休学届けを出した戸的高校の担任から、伸之助はいつ登校するのか、まだ登校しないのかと電話が何回か掛かってきたのだ。
戸的高校でも伸之助は好成績を修めており、学校側からすれば期待の生徒だった。
伸之助はしばらく考え込んでいたが、やがて重い口を開いた。
「すいません、じいちゃん。ばあちゃん。……言えません」
伸之助はそう言うと、ぺこりと頭を下げた。
「……今、僕がしていることについて言える時が来たら、必ず言います。でも、今は……言えないんです」
大切なこと。それは、ただ一人伸之助が超えたい存在……マキを越えること。この手で、倒すこと。
「それは、学業より大切なことか?」
「……はい」
そのために、マキのいる戸的高校へ転入した。
そのために、インドへ渡った。
そのために、そのために……。
日付が変わる少し前、伸之助はいつものように街に出た。
祖父は伸之助にこう言い、彼の自由を許した。
『ならば好きにすればよい。ただ、その後のことは自分で責任を取りなさい』と。
冷たい夜の風は、寧ろ心地よかった。
伸之助は心の中で祖父母に深く感謝していた。
そして、マキを倒すことを同時に誓った。
井の中の蛙だった自分を、生ぬるい平凡な日々から引っ張り出してくれたマキ。
そのマキを、この手で倒すこと。
深道は薄暗い自室で、ランキングのホームページ更新作業をしていた。
エアマスターの参入により、新規の会員登録も増えた。
会員とのメールのやり取り、メールマガジンの送信など、一見華やかに見えるランキング主催者の作業は細かく、そして多かった。
「全く困ったもんだよ、あの男には」
あの男、とは、すなわち伸之助のことだった。
「カネにならないファイトでランカーたちをつぶされては」
伸之助の手により、ケアリーを含め既に5人が戦線離脱を余儀なくされていた。
いったんはランキングから外れたものの、直ぐに復活するだろうと思われていた元ランカーや、ファンからの人気が高い現役ランカーをつぶされては、
ランキングに穴が開く。
新規のランカーを募るイベントを今から打つだけの時間の余裕は無いのだ。
ランカーから街の喧嘩屋までが一堂に会し、最強を決める”バトルロイヤル”はすぐそこまで迫っている。
「……まぁ、その男が手に入れば、坂本ジュリエッタの参戦よりも面白い結果になるかもな」
深道はマウスを動かしながら口の端を軽く上げた。
その男なら、渺茫をも倒せるかも……という考えが、無いわけではなかった。
「でもさぁ、都内の強い奴らは大概参戦してるはずだろ? なんでそいつの名前とかわかんねえんだよ」
部屋の隅で壁に凭れ掛かって座りこみ、深道の弟の信彦は携帯をいじっていた。
「東京に人間が何人いると思ってるんだ、信彦。取りこぼしが幾らあってもおかしくはない」
「そりゃそうだけどさー……」
信彦の携帯から、間の抜けたアニメソングの着信音が鳴った。
「あ、馬場からメールだ」
「信彦、またその曲か……趣味が悪いな」
「うるせーなぁ、好きなんだから良いじゃねえか」
趣味が悪い、といわれた信彦の着信音は、深夜の美少女アニメの主題歌だった。
信彦はキーを操作してメールを開いた。
『しらないやつにやられたたぶんあいつだ』
漢字変換のない、一文メールだった。
「ちょ、あ、あ、あ兄貴っ!!!」
慌てて立ち上がった信彦の声は裏返っていた。
「五月蝿いぞ信彦」
「兄貴っ、ちょ、馬場!! 馬場がが例の男にやられたっ!」
「何……?」
例の男という言葉に深道は振り返った。
青ざめた顔の信彦が、深道に馬場からのメールを見せた。
「ほら……」
「………」
深道は渡された携帯を手に、しばらく考え込んだ。
「……参戦の意思あり、と見るべきか……」
真夜中の公園の水道で、伸之助は返り血を浴びた手を洗っていた。
馬場と名乗った今日の男は、前の大男よりも容易かった。
意識を失わない程度に加減してやったが、しばらくランキングに上がってくることはないだろう。
「……ランカーの強さにはムラがあるようだな」
伸之助の頭の中には、既に次の獲物の顔が上がっていた。
これで6人目。
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