『闇の雨』 



5



都内の総合病院の夜間出入り口から、深道と信彦が神妙な面持ちで出てきた。
今しがた、馬場の見舞いを終えたところだった。傷は深く、戦線離脱は避けられなかった。
いったんランキング落ちしたものの、馬場はランキングの裏方として重要な役割を担っていた。
馬場の離脱は深道にとってかなり痛いものだった。
「兄貴ぃ、やっぱりおんなじ奴だったな」
「ああ、そうだな」
無糖の缶コーヒーを飲み終えると、深道はそれを天高く放り上げた。
カラン、と上のほうで音がする。雨樋に引っかかったようだ。
「あ、マナー悪いんだ」
信彦の批判に、深道は唇の端を軽く上げた。
馬場はメールを信彦に送った後、いったん失神したが、病院に搬送され処置を受けたあと、意識を取り戻した。
「左腕に大きな傷って、ケアリーも言ってたよなぁ」
馬場もまた、ケアリーと同じく闇討ちをしかけてきた男の特徴に、左腕に大きな傷を負っていることを挙げた。
「……結構派手にやってくれたな。そろそろ、腰を上げなきゃいけないか」
深道の言葉に、信彦の大きな目がいっそう大きく見開かれる。
「探すの?」
「ああ。アプローチは追々するつもりではあったんだけど……ランカーをこれ以上潰されると 運営に支障が出る。6人ってのは、ちょっとな。さすがに馬場まで潰されちゃあ黙ってはいられない」
じゃあ、と深道は片手を挙げ歩き出した。
「信彦、先帰って寝てろ。ちゃんと歯は磨けよ」
振り返ってそれだけ告げると、深道は夜の闇に消えた。



都内でストリートファイターが集う場所はむすうにある。
その中のほとんどを深道は知っていたし、どこにどんなストリートファイターがいるかまで把握していた。
実際に訪れたことのある場所はその半分以下だが、データはあらゆる手を講じて集めた。
それらのデータは、深道の大切な財産のひとつでもある。
例のランカー狩りを捉えるのなら、ストリートファイターが集う場所を当たるのが一番いい、と深道は考えた。
信彦はまずはランキングの会員を当たるべきだと主張したが、深道はそれを却下した。
それには勿論、深道なりの確たる自信があってのことだった。
例の”ランカー狩り”が倒したランカー、または元ランカーは、いわゆる「深道ランキング」の非会員だという確信。
倒されたランカーは、どれもこれも「深道ランキング」のホームページの、非会員でも閲覧できる、いわゆる宣伝用の ページにその名前やファイト動画が流れている者たちばかりだった。上位ランカーの名前やその動画は、 規定の手続きを経て、主催である深道の審査を通って有料会員にならなければ見ることが出来ない。
あれほどのランカー狩りで、もしも有料会員なら、上位ランカーもとっくに狙っているだろうが、その様子はない。
つまり、ランカー狩りの正体は会員以外。恐らくはそれなりに腕に自信がある者。流れのファイターか根城があるファイターかは知らないが、蛇の道は蛇。
場所によっては場所同士、横のつながりもあるのだ。きっと何らかの情報を得られるだろう。
深道は手始めに幾つかの場所を当たった。最初からビンゴは期待していなかったが、件の男については「知らない」の一言で それ以上は分からなかった。5つ目に当たったのは、かつてエアマスターがホームにしていた場所。
とある大手建設会社の本社ビル裏だった。




「そいつ知ってるぜ」
ヤニで歯を黄色くしたリーゼント頭の男は、突然訪れた深道の問いかけに、特に臆する様子もなく答えた。
他にたむろしていた連中もいたが、深夜の訪問者が彼の有名な深道ランキング主催者だと知ると、クモの子を散らすように逃げていった。
「知ってるのか?」
「ああ。ちょっと前にも顔出したよ」
「名前は?」
「名前ねぇ……さぁ、なんつったっけな……トキタ君、とかシンノスケ君、とか呼ばれてたよ」
「トキタ……シンノスケ、か」
「多分ね。漢字までは知らないけど、多分そんな名前だ。あの喋りは山の手の方のヤツだな。 エアマスターと、その友達の女子高生連中とつるんでたよ」
「エアマスターと?」
深道の声が思わず大きくなる。
情報を得た場所がエアマスターのホームだとはいえ、まさかエアマスターとかかわりのある人間だとは深道自身思わなかった。
「おんなじ高校だっつってたっけなあ。エアマスターと」
自分の知らないファイターがいたということは、深道にはたいしたショックではなかった。
取りこぼしは幾らでもあるのが大前提で、むしろ取りこぼしをいかに自分の手元に置くのかが楽しみだからだ。
それより、エアマスターとかかわりがあるという部分が、妙に引っかかった。
「最初は教科書どおりの戦い方って感じのお坊ちゃんでさ。校則どおりの制服着てたよ。礼儀正しい奴だったな」
「強さは?」
「強い方だろう。俺なんかぜんぜん歯が立たなかった……でもエアマスターと比べりゃそりゃ天地の差だった。
なんつーかな、ハッタリが効いてないっていうか……まぁ俺が言えた立場じゃないが。あれ位、どこにでもいたと思うし、アンタとこのランキングでも下位じゃねえか?」
「だった、ってことは、過去形?」
「だな。いつだったか、武者修行するとか行って突然来なくなってな。ガッコも休んじまったみたいなんだ」
エアマスターがアンタとこのランキングに参加する前だよ、と男は付け加えた。
「なるほどね。だから俺が知らないんだ」
「ついこの間、久しぶりにここに来たよ。エアマスターはどうしてるかって」
「なんて答えた?」
「アンタんとこのランキングに参加してるから、ここには来ないって言ったさ」
「……」
ああ、そうか。
深道の中で、ひとつの答えが導かれた。
ばらばらになっていた点が、線で結ばれる。
「成る程ね」
「久しぶりに会ってびっくりしたぜ……まるで別人だったからなぁ」
「別人?」
「そう、別人」



大収穫を得た深道は、その日はそれ以上ランカー狩りを追うことなく、帰路に着いた。



「……余計なものをそぎ落としたついでに、大事なものまで捨ててきちまったって感じだな」




ランカー狩りは武者修行の後、別人になったと、あの男は言った。
「大事なものまで捨ててきた……か」
男から聞いたその印象を、深道は繰り返した。




「エアマスター、君はまったく……罪な女だよ」
深道が何かを悟り、ニヤリと笑う。



摩季はまだ、伸之助の帰国を知らない。







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