『幸せな結末』



ガキの頃読んだ童話に出てきた王女様ってのは、皆幸せな結末を迎えた。
不幸だったのは王子様に恋をして人魚から人間になったあの話位なもんで、 あとは皆どんな艱難辛苦があったとしても、最後にはめでたしめでたしで本を閉じることが出来た。
魔女に呪いをかけられ、100年の眠りについてしまっても、毒リンゴを齧ってしまっても。
ナイトが、王子が助けに来てくれ、悪者は必ずやっつけられたもんだ。
子供心に王女様というのは幸せになれるものなんだと、ぼんやり思っていた。


果たして彼女にも、幸せな結末は訪れるのだろうか。


黒ひげを追いユバへ向かう途中、ナノハナで3年振りにルフィと会った。
ルフィ達も同じくユバへ行くことを知り、暫くの間同行することにし、ルフィの船に乗った。
そのルフィの船に、俺より先に乗っていた王女様は、俺の知っているどの童話の王女様よりも不幸だった。
国民によるクーデターが起こり、英雄を装った七武海のクロコダイルによって彼女の国は今まさに乗っ取られようとしていた。
彼女は自ら敵の懐へ潜り込み、内情を探り、反乱を鎮めるため戦火へと赴かなくてはいけなかった。
ユバには反乱軍のリーダーがいて、そいつを王女直々に説得するのだと。
そんな話、聞いたことあるか?
王女様ってのは、高い塔の上に捕らえられて、ナイトや王子様が来るのをただ待ってるもんじゃなかったのか?
呪いをかけられて眠り、毒リンゴを齧って死んで、王子が元に戻してくれるのを待ってるもんじゃなかったのか?
彼女はいつだって泣き出しそうな顔をしていた。
実際、よく泣いた。
国の状況を話せば泣き、平和だった頃の話をすればまた泣いた。
膝を抱え、部屋の隅に蹲って、唇をぎゅっとかみ締めていることが多かった。
皆が笑っているときも、決して腹の底から笑うことはなかった。
わが身の不幸を嘆いて海の泡になることさえも、彼女には許されないのだと知った。



どこまでも限りなく続く広大な砂漠。
これを越えなければ、ユバへは行けない。
意気込んで始まった砂漠越えも、いざ足を踏み入れると、それは砂漠を初めて見る者達にとっては想像以上の過酷さだった。
容赦なく照りつける太陽と、一歩毎に足首まで吸い込むように埋まってしまう砂の大地。
メラメラの実の能力者の俺には、この過酷な暑さもどうってことはないが、ルフィたちには相当堪えるようで、皆早々と音を上げていた。
「あっちぃ〜〜〜〜……喉渇いたぁ〜〜〜」
真っ先に音を上げたのは我が弟。その他の面々も、この暑さと歩きにくさに辟易しているようだった。
「しっかしとんでもねえ暑さだな、こりゃ」
「あちぃ〜〜〜〜〜……俺もうだめだぁ」
雪国生まれのトナカイに至ってはそりで引いてもらう有様だ。
砂漠の国で生まれ育ったビビだけは、分厚い日除けのローブを目深に被り、 砂埃に塗れながら只黙々と歩いていた。
前を行く彼女の、白いローブを見ながら思った。
16歳の少女の、その小さな背中に、小さな肩に。
一つの国の命運が、懸っている。
100万を越える民衆の命が、明日が懸っている。
そのことの重みを。
そのことの哀れさを。



夜になり、途中にある岩場でキャンプを張った。
昼間の暑さと打って変わって、砂漠の夜は氷点下まで気温が下がる。
皆は昼間の暑さからは想像出来ないほどの寒さに震え、焚き火を囲み、身を寄せ合って暖を取った。
この時いつにもまして人気者だったのはふさふさの毛皮を持つトナカイで、 ルフィと長ッ鼻が、競うようにしがみ付いていた。
彼女―――ビビはといえば、ナミと寄り添いあい、膝を抱え、小刻みに震えながら黙って下を向いていた。



夜中にふと目が覚めた。
起きたついでに小便、と思って立ち上がったとき、気付いた。
小さくなった炎の向こう、ナミの隣でいたはずのビビがいない。
用を足してるのかと思い、気を使って戻るのを待つことにした。鉢合わせて見てしまう可能性もある。
すっかり小さくなった火に焚き木をくべたり、ルフィの毛布がずり落ちているのを直したりして時間を潰したが、 ビビは戻ってこなかった。


軽く20分は待ったと思う。
まさか迷ったわけじゃあるまい。砂漠の中の岩場は限られた範囲だ。
もう少し、と思ったが、―――気になって探すことにした。
岩壁沿いに歩くこと数分、かなり離れた場所にビビはいた。
岩壁に向かい、しゃがみこんでいた。
「う・うッ……」
口元を手で覆い、苦しそうに嗚咽を漏らしていた。
「……ビビ?」
心配になり、近づいて声をかけた。
「おい、ビビ」
「ぐ、…ッ、…ん、あ、エースさん…、」
振り返った彼女の顔は、無残なものだった。
彼女は嘔吐していたのだ。
吐瀉物―――といっても、俺の知る限り彼女は碌な物を食ってない。
コックがいくらうまい物を作っても、食欲がないと言ってほんの二口三口しか食わなかった。
彼女が吐いたものを零している砂の上には胃液と思われる液体が、湯気を立てながら砂に吸い込まれていた。
手と顔はその胃液に汚れ、目じりには涙が浮かんでいる。
「おい、大丈夫か?」
そばにしゃがんで背中をさすってやると、ビビは小さくすいませんと言った。
「食ってねえのに吐くやつがあるか。胃、荒れちまうぞ」
骨の浮き出た背中が、ローブ越しにも分かった。
「すいません、でも、…う・ッ…」
口を覆う手の間からぼたぼたと黄色い液体――胃液が落ち、湯気を残して砂に吸い込まれていく。
「……ごめん、なさい、ッ…ゴフッ、」
「気にするな。……ホラ、口ン中のモン、全部出しちまえ」
「ん、ふ・ッ…、ゲホッ、」
何で吐いているのかなんて、聞くほうが野暮というものだろう。
ストレス、と一言で片付けるのは容易なことかもしれない。
この小さな身体にかかる重圧は、傍目に見る者の想像を遥かに絶するものだ。
圧し掛かった重圧に耐えかね、人目を憚って嘔吐するその姿を見て、汚いと罵るのは心無い者だ。
俺には、彼女のこの姿は哀れで痛々しかった。
「ちょっと待ってろ、な、」
背中をさすりながら彼女に言い聞かせ、急いでキャンプに戻り、自分の荷物からタオルと水筒を持ってきた。
俺の能力でブリキの水筒の水を温め、口を漱がせ、手と顔を洗わせた。
「……すいません、エースさん。汚いところを見せてしまって」
ビビは何度も謝りながら、タオルで顔を丁寧に拭いた。
「いや、気にするな。……早くキャンプに戻ろう。風邪引いちまう」
「はい、……すいません」
月明かりに照らされたその顔は、青褪めていた。



「ホラ、火の側に座って暖まれ」
彼女を焚き火の側に座らせ、毛布をかけた。
皆はぐっすりと眠っていて、起きる気配はない。
自分のリュックを漁り、隅に一つだけ転がっていたキャンディーを差し出した。
糖分の補給と、口中に残る吐瀉物の後味の気持ち悪さを和らげることくらいはできるだろう。
「……有難うございます」
ビビは押し頂くようにそれを受け取り、干からびて割れかけたキャンディーを口に含んだ。
俺は彼女の隣に座った。
目の前に焚き火、そして隣にメラメラの実の能力者の俺がいれば、大分暖かいはずだ。
パチパチと爆ぜながら闇夜を照らす紅い炎を、二人で黙って見ていた。
俺は何も聞かなかった。
説教染みた事を言えるほど偉くねえし、第一彼女の苦悶や葛藤は、俺なんかには到底計り知れないのだから。
部外者の言葉はいつだって無責任で、一体どれ程の慰めになるというのだろう。
それならいっそ、何も言わないほうがいい。
黙って側にいて、物理的に冷えた身体を温めてやるほうが。よっぽど、いい。



「……何も言わないんですね」
キャンディーが溶けた位時間が過ぎた後、先に口を開いたのは彼女のほうだった。
「ん?」
「叱られるかと思ってたんです」
「……何で? そう思うんだ?」
「だって、エースさんに迷惑を掛けたから……見苦しい姿をお見せしてしまって、その上こうして暖めてくださって……」
迷惑、といわれて当惑した。迷惑だとは思わなかった。
ただ、哀れでならなかった。痛々しくて、放っておけなかった。
「別に、俺は迷惑じゃないぜ? 当たり前のことをしてるだけだ」
「……すいません、」
頭を下げると、乱れた髪がばさりとゆれる。間近で見る彼女の整った顔は美しかったが、その肌は無残に荒れていた。
こんな状況で、手入れも何もないのだろう。小さな吹き出物がぽつぽつと見え、眼窩は落ち窪んでいた。
童話の中の、挿絵の王女様は皆美しく着飾っていた。
かぼちゃのように裾が広がったドレスに、光り輝くティアラ。肘まである清潔な手袋をしていた。
ところが、どうだろう。
俺の隣にいる王女様は。身分を隠すための踊り子の服の上に、汚れたローブ。
ティアラもドレスも、国へ行けばあるのだろうが、今はそれどころではないのだ。
童話のように、ナイトも王子様も来てはくれない。『仲間』とともに、自ら悪者を討たなければならない。
「……ねえ、エースさん。」
「ん?」
「あの、一つお聞きしていいですか?……」
「ああ、何でもどうぞ」
「……もしも生まれ変わったら、エースさんはやっぱり海賊になりたいですか?」
何かと思えば、気の遠くなるような話だ。
「そうだな、……まだ死んでねえし、死ぬ思いをしたこともねえから真剣考えたことはないけど、……うん、次もやっぱり海賊だな」
「そうですか……」
「楽しいぜ、海賊は。毎日スリルと冒険に溢れて……何より海は自由だからな。」
「エースさんもルフィさんと同じで、海賊は小さい頃からの夢だったんですか?」
「……ああ、ただ俺はアイツと違って、ちゃんと航海術も学んだぜ?  ルフィみたいに手漕ぎの釣り船で船出していきなり遭難なんて、間抜けなことはしなかったけど。」
俺の言葉に、ビビがぷ、っと噴出した。
一瞬だけ、ほっとした。笑う彼女を見るのは、何回目だろう。
「……そういうあんたは?」



「私は、……私は……もし生まれ変わったら、”普通の女の子”に、なりたい……」



「…………」
『普通の女の子』
それは彼女の、ささやかな、そして切実な願いだった。
てっきり、戦禍のない平和な国の王女というのかと思っていた。
「貧しくてもいいから、普通の女の子になりたい。国の動向や、民の声に一喜一憂するのではなくて ……例えば恋をして、好きな人の些細な言葉や仕草にドキドキしたりしたいんです。
自分を殺して、王女として凛と振舞うのではなくて……街でお買い物をしたり、好きな人に思い切り甘えたり、 わがままを言ったり、犬も食わない喧嘩をしたり……してみたいんです。私」
「……」
「あ、勿論、”もしも生まれ変わったら”、ですけど。……今の王女の地位が嫌だとか、 生きていることが嫌という訳では、ないんです。決して。普通の女の子の暮らしを経験したことがないから、経験してみたいだけで……ないものねだりというやつです。 もしもの、話ですから、もしもの」
慌てて彼女は念を押したけれど、それが上面だと俺にはわかった。
本当は、彼女は今すぐにでも生まれ変わりたいのだろう。
ここから逃げ出したいのだろう。
何もかも、投げ捨ててしまいたいのだろう。
こんなのは嫌だと開き直り、国を捨てることは簡単な話だ。
けれど、王女として生まれ育って以来の、いわば刷り込まれた責任感と、正義感とプライドがそれを許さないのだ。
それと、人としての根本的な倫理観と理性。
「……あの、今の話、皆には内緒ですよ?」
「ああ、分かってる」
「私のために、わざわざ同行してくださってるルフィさん達が聞いたら、気を悪くするかもしれませんから……」
「……」
「エースさんは口が堅そうだから、お話したんです」
ビビは長い睫を伏せた。
そして会話はそこで途切れ、二人で炎を見続けた。



ふと、肩に重みを感じた。
「ん?」
首をやると、ビビが俺の肩にもたれ掛かっていた。
眠ってしまったのだ。膝を抱えたまま、俺の肩に頭をもたれ掛け、すうすうと寝息を立てていた。
「……やれやれ、寝ちまったか」
眠ってしまった彼女の寝顔は穏やかだった。長い睫毛と、僅かに開いた、荒れた薄い唇が目に付いた。
イーストの人間とは違う、エキゾチックな顔立ち。
「……」
『普通の女の子』というその言葉が、俺の頭から離れなかった。
”普通の女の子に、なりたい……”
あのときの彼女のまなざしは、なんと切なかっただったことだろう。
なんとささやかな願いだろう。
なんと悲しい願いだろう。
このまま、こんな気持ちを抱えたまま旅を続けて、果たして彼女は大丈夫だろうか?
己の気持ちに、押しつぶされるのではないだろうか。
幸せな結末を、迎える前に。



そのとき、ふと思った。
――――せめて、一晩でも。数時間でも。
彼女を今だけ『普通の女の子』に、出来ないだろうか?
偽りでもいい、かりそめでも。
それで彼女を、今逃げ出したい気持ちでいっぱいの彼女を救えないだろうか?
逃げ出したくても、逃げ出せない彼女を。
救うだなんていったら、偉そうかもしれない。慰め? いや、何かの足し程度でいい。
ほんの数日、旅を共にした者として。内情を知りながら、何も出来ない者として。
精一杯できる、彼女への手助け。
どんな叱咤激励の言葉より、それは有効だと思われた。
部外者の言葉はいつだって無責任で、一体どれ程の慰めになるというのだろう。
慰めの言葉を考えるより彼女を普通の女の子にしてやるほうが……よっぽどいい。
断られれば、それまでだ。
彼女はもしかしたら、おせっかいだ、あなたなんて嫌だと言うかもしれないけれど―――言うかもしれないけれど、 何もせずにはいられなかった。
俺は彼女を起こさないように、その細い身体を毛布ごと抱え、立ち上がった。
驚くほど軽かった。
そばにあった、まだくべていない焚き木を数本拝借し、岩場の奥へ奥へ、 さっき彼女がいた場所のまだ奥へと、入っていった。




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