BEAMS


「やだっ!」
 公園の中の昼間でも薄暗い森の細い道を歩いていると、悲痛な叫びが耳に届いた。
 声のした方向に視線を移すと、二〇メートルほど離れた草むらに、もみ合っている二つの影があった。
 このとき、そのまま通りすぎていたら、この後の俺の運命は変わっていたかもしれない。
 そうできなかったのは、多少は腕に覚えがあったし、危機に直面している人間を放っておけるほど薄情にもなれ
なかったからだ。
 俺は、手にしていたカバンとCDの入った袋をその場に放り投げ、声のしたほうへと全速力で向かった。
 …そこで、見たものは。
 細身で小柄な少年が、筋肉質で大柄なヒゲ面男に乗っかられている姿だった。少年の白いシャツのボタンは全て
外され、白くなめらかな肌と小さな乳首が露出していた。外されたベルトは、少年の手がギリギリ届かない位置に捨
てられていて、男の手が今にも少年のズボンを脱がせようとしているところだった。
「離してーっ!」
 少年は、首筋に舌を這わせる男から顔を背け、両腕を突っ張って必死で逃れようともがいている。
 俺は、力づくで少年を思うままにしようとしている男に激しい憤りを覚えた。
 正義感なんかじゃなく、誰かに八つ当たりしたいという気持ちが強かったからかもしれない。
「やめろ!」
 男が動きを止め、俺を見て眉根を寄せる。
「嫌がってるだろーが」
 俺は少しも怯まず、そう付け加えて睨み返した。
 まだ鼻息の荒い男が少年から手を離し起き上がったところで、俺は、少年に『今のうちに逃げろ』と目で合図した。
しかし、ポーッとした表情で座り込んだまま一向に逃げる様子のない少年に、こっそりと舌打ちする。
 一八二センチの俺よりも高い位置にある男の顔を正面から見据え、いつ殴りかかられても対応できるように空手
の型をとって身構えた。
 一瞬、男の瞳に怯えが走ったのを、俺は見逃さなかった。どうやら、見掛け倒しの臆病者らしい。
 それでも、男としてのプライドがあったのか、それともこの少年に執着していたからか、スキだらけの格好で俺に殴
りかかってきた。
 俺はパンチを素早くかわし、男の背中でヤツの空いた腕を掴み、捩じ上げる。
「痛ェッ…!」
「まだやるか?」
 さらに捩じ上げながら凄んで言うと、男は呻き声をあげ、ギブアップというように慌てて何度も首を横に振った。
 腕を解放してやると、『覚えてろよ』と負け犬定番のセリフを吐いて俺たちに背を向け、そそくさと逃げ去った。
 大きな呆れまじりのため息をつき、男の姿が消えるのを見届けると、俺は座り込んだままの少年に歩み寄った。
「大丈夫か?」
 少年がわずかに頷くのを確認すると、俺は安堵の息を吐いた。
「あの…助けてくれて、ありがとう」
 顔を上げた彼と間近で視線が合って、俺は、その女とも見紛う顔に見惚れてしまった。
 大きな黒目がちの瞳に、二重の瞼、それに添うように緩やかな曲線を描いている眉。心持ち上を向いた愛嬌のあ
る小ぶりの鼻、厚くもなく薄くもない小さめの唇。そして、ほんのりとピンクがかった色白の頬。
 綺麗というより可愛いタイプの顔立ちは、もろに俺好みだった。
 彼のシャツははだけ、小さな桜色の乳首が隙間からのぞいていた。ヘソの下まで肌が露出していて、同性に特別
な感情を抱いたことがない俺でも、やけに色っぽい彼のそんな格好に動揺してしまう。
 俺の視線にようやく自分の格好に気づいたらしく、少年は顔を赤らめ、慌ててシャツの前をかきあわせた。よく見
ると、ボタンが二、三個飛んでいる。
 彼に気づかれないようにこっそりと深呼吸をして気持ちを落ち着かせると、俺は彼に手を差し出した。
「どうだ、立てるか?」
 少年はほんの少し戸惑うような表情を見せたあと、俺の手を取った。
 立ちあがらせようと腕を引いたが、彼は再び、へなへなと座り込んでしまった。
「あ、あれ?」
 彼は困ったような声をあげ、助けを求めるように俺を見上げた。
 どうやら、腰が抜けているらしかった。
 あんなことのあとだ。無理もない。
 少し考えて、俺は彼の前に従者のように屈んで背を向けた。
「おぶされよ。送っていく」
「え…」
「さっきのヤツが戻ってくるかもしれないだろ。少しでも早く、ここから離れたほうがいい」
「……うん」
 彼の重みと体温、俺の首にまわされた男にしては細い両腕に、妙にドキドキする鼓動を胸の内でごまかしながら、
ゆっくりと立ちあがった。
 彼の家の場所を聞くと、二駅先の地名が返ってきた。時間にして電車で約三〇分というところだ。
 駅は公園を出てすぐの場所にあるが、背負われた状態で電車に乗るのは、さすがに彼も恥ずかしいだろう。しか
も、ベルトの抜かれたズボンは乾いた土にまみれ、シャツも草の汁を吸って一部が緑に変色していた。
 誰が見ても『なんでもない』とは到底思えない格好だ。
「俺のアパートがすぐそこだから、シャツだけでも洗って帰るか?」
 さっきの男がまだ公園内にいないとも限らない。少し時間を置いた方がいいように思えて、そう提案した。
「そのあと、家まで送る。…それでいいか?」
「…うん。ありがとう」
 彼の言葉とともに吐く息が首筋に触れた。
 俺は、彼と自分の荷物を手にすると、歩いて一分足らずの自分のアパートへと向かった。
 
 
 
 彼は、俺の用意したぶかぶかのTシャツと、裾を何度も折り返したジーンズを身につけ、浴室から出てきた。
 着替えるついでにと、俺がシャワーを勧めたのだ。さっきまで着ていた服は洗濯機に放り込んである。
 ピンク色に上気した肌と、あらわになっている鎖骨や首筋がやけに眩しくて、俺は不自然にならないようにそこか
ら視線を外した。
 これじゃ、さっきの男とたいして変わらない。
 四畳半の部屋の真ん中に置いてある大きなクッションに彼を座らせ、俺は窓際のベッドに腰掛ける。
「あの…シャワーと服、どうもありがとう。えっと…」
 彼の様子に、自己紹介をしていないことに、ようやく気がついた。
「俺は佳成(よしなり)だ。お前は?」
「天志(たかし)、です」
 天志はそう口にしてから、俺に白昼夢でも見ているかのような視線を向けてきた。さっき俺が助けに入ったときと、
似た視線。
「お前、もしかして中学生?」
「違いますっ。これでも、高校二年」
 少しふくれっ面でそう言った彼は、年齢よりもかなり幼く見えた。
 どうやら、かなり気にしているらしい。
「悪ぃ。じゃあ、ひとつしか違わねーんだな。俺、三年」
「そうなんだ? 佳成さんは、大学生くらいに見えるよ。すごく遊んでそう」
 反撃に出た天志は、俺のウィークポイントを突いてきた。
『遊んでる』
 そう見られてしまうのが原因で、いくつもの失恋を重ねてきた。
 しかも、つい数時間前、同じような理由で淡い想いが消えたばかりだ。
「やっぱり、そう見えるか…?」
 自分でも沈んだ声だな、と思った。
「…でも、ホントは結構真面目みたいだね。この部屋、女の人の匂いしないもん」
 嬉しそうに微笑む天志に、俺はつられるように口許を緩めた。
 そんなことを言われたのは、初めてだった。
 本当の俺を理解してくれる数少ない人間に出遭えた気がして、喜びを隠せなかった。
 天志は何か言いたげに視線を巡らせたあと、真剣な表情で俺に向き合った。
「さっきは、助けてくれてありがとう。あのとき、佳成さんが通りかかってくれなかったら、僕、どうなってたか…」
 公園での出来事が頭の中に蘇ったのか、彼は顔を歪めてうつむいた。
「でも……くやしい。力いっぱい抵抗したのに…!」
 自分の肩を爪痕がつくほどきつく抱いて、天志は震えながらそう言った。
「天志…」
 思わず、天志の肩を軽く抱いた。
 顔を上げた天志と目が合い、次の瞬間、柔らかそうな小さな唇に視線が吸い寄せられた。
 一瞬でも気を抜いたら口づけてしまいそうだ。
 同性相手にこんな衝動に駆られたことなんか、今まで一度もないのに、口づけることが当然のような気さえしてく
る。
 いつのまにか溜まっていた唾を、ゴクリと飲み込む。
 何考えてんだ、俺。
 弱っているところにつけ込もうだなんて、最低だ。
 天志の肩から引っ込めようとした俺の手は、ふいに、彼の手の温もりに包まれた。
「天志…?」
 手の甲に、偶然なのか故意になのか、一瞬、彼の唇が触れる。
 平静を保とうとしていた鼓動が、どうしようもなく波立つ。
「佳成さん」
 理性の限界が近づいている。
「……慰めて」
 見上げてくる涙の浮かんだ瞳に、俺はあっさりと陥落した。
 ―――唇を、重ねた。
 思っていた以上に柔らかな感触。
 触れると同時に、頭の芯が痺れるような感覚にもおそわれる。
 一瞬だけじゃ足りなくて、もう一度、もう一度と、角度をかえて何度も口づける。
 何度目かに離しかけた唇を天志に引き戻され、今度は深く深く繋いだ…。


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