「は……ぁっ…」
 熱く甘い息が、俺の首筋にかかる。
 少しずつ仰け反っていく身体を支え、繋がったままベッドに横たえさせると、俺は、天志に覆いかぶさり口づけ
た。
「…んっ……」
 火照った顔を快感に歪め、不規則に息を弾ませ、俺の背中に爪を立てしがみついてくる。
 目の前に白い喉が無防備にさらされ、俺は惹きつけられるように彼の鎖骨に唇を寄せ、赤い印を克明に刻ん
だ。
「…っと……もっと…! …あぁっ…!」
 まるで自分を壊したがるように、何度も何度も繰り返し、失神するまで求めてくる天志は、たまらなく綺麗だった。
 
「……ん…」
 ずっと伏せられていた天志のまぶたが、ゆっくりと持ち上がった。
 開いた直後は焦点がぼやけているような感じだったが、俺と目が合うと、ボッと顔を赤く染めた。
 セックスの時の大胆さが嘘のように、普段の彼はシャイだった。
 いつも失神するまで求めてくるくせに、目が覚めると、それが恥ずかしいのか耳まで真っ赤になってうつむくの
だ。
 何度抱き合っても、そんな天志の態度は変わらない。
 
 
 天志が目覚めるのを待って、大抵真夜中、抜け道の三倍ほど時間はかかるが、公園を半周する比較的安全な
道を通り、駅まで送っていくのが常だった。
「佳成さんって、優しいね」
 駅までの道をゆったり並んで歩きながら、天志が俺を見上げて言った。
「なんだよ、突然」
 照れ隠しで、ついついぶっきらぼうに聞き返した。
「だって、あの時、何も訊かないでいてくれたでしょう」
 彼の言う『あの時』が、はじめて公園で会った時のことを指していると気づき、俺は天志の表情をこっそりうかがっ
た。気にしているふうではなく、意外なほど穏やかな笑みを浮かべていた。
「それにね、佳成さんといると、なんだかホッとするんだ。いつだって、本当の自分でいられる」
 街路樹の葉が風で擦れる音を背に、天志はふいに立ち止まった。
「どうしてなんだろうね…?」
 天志は、少し遅れて足を止めた俺を静かに見つめる。
「い、いろいろと恥ずかしいところを見られてるから、かな…?」
 そう言って、恥ずかしそうに頬を染めたのが街灯の薄明かりでもわかった。
 愛しいという思いが胸にあふれ、思わず天志の頬に手を伸ばした。
 想いを告げようと口を開きかけて、……つぐむ。
『からかうのはやめて』
『遊びだってことは、最初っからわかってるわよ』
『冗談でしょう?』
 過去の失恋の記憶が、拒絶の言葉が、頭の中に鮮明に蘇ってくる。
 俺は、天志の頬に伸ばした手を、触れる寸前で…止めた。
 天志は寂しげな微笑を浮かべて、再び、俺の横に並んで歩き出した。
 駅まで、俺たちは無言だった。
 
 
 
 下駄箱で靴を履き終えると、携帯から耳慣れたメロディが流れ、すぐに止んだ。天志からのメールが来ると、この
曲が鳴るように設定してあった。自然と愛しい天志の姿が思い浮かぶ。
 胸ポケットから携帯を取り出しメールを確認すると、天志からの『会いたい』というメッセージが入っていた。
 俺は、それをジッと見つめた。
 どうして、天志は俺との関係を続けているんだろうか。
『一緒にいて居心地がいいから』
『寂しかったから』
『身体の相性が良かったから』
 どれも、しっくりこないような気がする。
 どうしてなのか知りたい、と思った。
 俺は、いつものように『OK』の返事を送った。
 直後。
 少し離れたところで俺のと同じ携帯のメロディが鳴りだした。
 興味をひかれてメロディの聴こえた方へ視線を移した瞬間。
 信じられないものを見た。
 俺と同じ制服(!)を着た天志が、そこにいたのだ。
 しかも、なぜか中條と、親しげに話しながら歩いている。
 
 何故、天志がこの学校にいる!?
 何故、中條と仲良さそうに話してるんだ!?
 
 天志の柔らかな髪を、中條の手が優しく撫でる。くすぐったそうに笑う天志はその手を拒むどころか、ごく自然に
それを受け入れている。
 そう、まるで何年も時間を共有してきた恋人同士のように。
 激しい嫉妬心が、胸の奥から湧きあがってきて、ぎゅっと奥歯を噛み締める。無意識のうちに固く握りしめていた
拳は、いつのまにか白く冷たくなっていた。
 
 ………俺は、失恋したのだ。
 
 
 
 部屋の呼び鈴が鳴る。
 その鳴らし方で、ドアの向こうにいるのが天志だとわかった。
 ノブに手をかけてから、俺は大きく深呼吸をした。
 精一杯、何もなかったような表情を作ってからノブをまわす。
「佳成さん」
 微笑む天志を目の前にして、諦めの気持ちが揺らぐ。
「…何かあったの?」
 視線を合わせられない俺を、心配そうに覗き込んでくる。
 脳裏に、さっきの中條と一緒に微笑んでいる天志の姿が蘇ってきた。
 胸が痛くなる。
「俺たち、どうして一緒にいるんだろうな…?」
 口をついて出てきたのは、そんな言葉だった。
「え…?」
 天志は何がなんだかわからないというような表情で、俺を見た。
 公園で強姦されかけた彼を助けて、そのまま、なだれ込むように身体の関係を持ってしまった。
 そして、ここまでずっと、変わらない関係を続けている。
 けれど、俺は天志が好きで、天志は、中條と……。
 天志の口から聞くよりも先に、自分から離れた方がマシだと思った。
 俺は、彼の心が自分の元にないとわかっていて、今までと同じにつきあえるほど大人じゃない…。
「俺たち、もう会わない方がいいと思う」
「ど…して……僕のこと…キライになった…? それとも、身体に飽きた…の…」
「そんなんじゃない」
 このままでは、天志を縛りつけ監禁して、俺から逃れられないようにしてしまいそうな自分に怯えてもいた。
 天志には、いつだって微笑っていて欲しいのに。
「じゃあ、どうして急にそんなこと言うの? キライになったんでも、僕に飽きたんでもないなら、どうして? 教えて
よ、そんなんじゃ納得できない!」
 思いのほか強い口調で訴えてくる天志に、俺は一瞬戸惑った。
 まさか、こんなに縋ってくるとは思ってもいなかったからだ。
 でも……。
 もう、限界だった。
「俺が………お前に惚れてるからだ」
 俺は吐き捨てるようにそう告げた。
 終わったと思った。
 天志にとって、俺の想いは負担でしかないはずだ。
 俺を遊び相手としか考えてなかった、彼女たちのように…。
「僕だって、佳成さんが好き。ずっと前から、好きだったんだ…!」
 天志は、そう言って俺に強く抱きついてきた。
「!?」
 一瞬、何が起こったのかわからなかった。
 ギュッとしがみついてくる暖かい感触を、両腕で確認する。
 
 ………これって、もしかして両想い!?
 
 
 
「コウちゃんとは、兄弟なんだ」
 中條は、名前を柊一(こういち)という。天志は、彼のことをいつも『コウちゃん』と呼んでいるようだった。
「中條から兄弟がいるなんて、聞いたことがないな」
 俺がそう言うと、天志は寂しげな顔になった。
「事情があって、コウちゃんは一人暮ししてるから…。だから、あんまり話したくないのかも」
 何か複雑な事情があるらしい。
 中條はどこか浮世離れしていて、いつも口許に何らかの笑みを浮かべているからか、そういう部分を全く感じな
かった。
「…悪い。そんな話させて」
「ううん。でも、いつも色々と話を聞いてくれるし、相談にものってくれるよ」
 嬉しそうにそう言う天志は無理をしているふうじゃなくて、俺はホッと息をついた。
「じゃあ、どうして同じ学校だってこと隠してたんだ?」
 さっきからずっと気になっていたことを聞くと、
「だって………あんなことのあとで毎日顔を合わすの、照れるじゃない」
俺の顔色をうかがうように、頬を染めて天志が言う。
 あんなこと、というのが、セックスのことだということはすぐにわかった。
 思わず、俺まで赤面してしまう。
「ホントはね、公園で会ったの偶然じゃなかったんだ」
 中條に似た笑みを浮かべ、天志が口を開いた。
「…え」
「ずっと前から好きだったって、さっき言ったでしょ? あの日、僕、たまたま佳成さんと同じ電車に乗ってて……
佳成さんが降りるのを見て、つい、一緒に降りちゃったんだ。でも、すぐに見失って。佳成さん、どっち行ったんだ
ろうって公園の中で迷ってたら、あのオジサンが近寄ってきて…」
 彼はわずかに唇を噛んで、悔しげに言った。
「佳成さんが助けに入ってくれたとき、夢を見てるんじゃないかって思った。格好良くて、やっぱり思ってたとおりの
人だったって、惚れなおしちゃった」
 照れくさそうに言う天志は、やっぱり可愛い。
 俺の方こそ、夢を見てるような気分だった。
 そっと、天志の両頬を包んで触れるだけのキスをする。
「俺だって……見惚れた。たぶん、そのときにはもう惚れてたんだ」
 鼻の先が触れるくらいの距離での、告白。
「佳成さん…」
 今度は、深い口づけを交わす。
 触れ合う唇は、溶けそうなほど甘かった。
「…ね、今日はここに泊めてくれる?」
 俺の首に両腕をまわしてきた天志は、目の焦点がやっと合う距離で口を開いた。
 不安げに、探るような大きな瞳が覗き込んでくる。
 もしかして。
 もしかしすると。
 今まで失神するまで求めてきたのは………。
「…ああ、覚悟しろよ」
 きつく抱きしめ返した俺に、彼は満足げに微笑んだ。


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