勝負の行方


 濃いオレンジ色の夕陽を背に、オレは、たった今まで拳を交えていた男を見下ろし、口の端のジンとする痛みに
も構わず、笑って見せた。
「あんた、なかなかやるじゃん。今まで闘ったヤツん中じゃ、いっちゃん手強かったぜ」
 過去18年間、ケンカに関しては負け知らずのオレにとって、力の拮抗した相手との出会いは、たまらない喜びだ
った。
 ケンカに勝利したあとには、友情が芽生えることは芽生えるが、力の差がある場合、どうしたって上下関係が生
まれる。
 例え、オレの方にそんな気がなくても。
 しかし、目の前の男・孝行とのケンカは、純粋に楽しかった。お互い手加減などせずに、全力でぶつかり合えた
からだろう。
 今日のところは、オレの方が僅差で勝利したけれど、ヤツは腕を痛めていたことを隠していたのだ。オレの蹴り
を防ぐときに、よーく注意してなきゃわからない程度だが、腕を僅かにかばっていたのが見てとれた。
「くそっ…」
 下唇を噛み締め、孝行はオレを睨み上げた。見つめてくる濃茶の瞳からは、憎しみなどの陰湿な感情は微塵も
感じられない。ただ、悔しさだけが浮かんでいた。
 こんなヤツだからこそ、孝行とは対等な関係になれると思った。
「いつでもかかってこいよ。あんたなら、いつだって相手してやっから」
 わざと勝者の立場からのセリフを口にしながら、ヤツに右手を差し出した。
「……本当だな? 今度こそ、お前を負かしてやる」
 不敵に笑い、オレの手を取って立ちあがった孝行は、敗者には見えなかった。
 
 
 
 数日後、ヤツに呼び出された場所は、前と同じ赤鉄橋下の河川敷だった。
 ヤツは、背中まで伸ばしている髪を後ろで束ね、橋柱にもたれて待っていた。
「わりぃ、待たせたな」
「待ってる間、作戦を練るのもいいものさ…」
 孝行の口調になんとなく違和感を覚えたが、たいして気にもせず、ヤツに歩み寄った。
「そんなに、不用意に近づいていいのか」
「え?」
 …とたん、ぐいっと胸倉を掴まれ、目の前が暗くなった。
 何が起きたのか理解するよりも先に、弾力のあるものがオレの唇に押し付けられた。きつく吸われ、空気を求め
て自然と開いた口に、狙っていたかのように、すかさずヤツの舌が侵入してくる。
「……っ…!」
 散々口中を嬲られて、ようやく解放されたオレの唇は、痺れを残していた。
「な…に、すんだよっ、オレにはそーゆー挨拶の習慣なんか、ねーぞっ!」
 ゴシゴシと手の甲で口を拭いながら、オレは、息があがった状態で、やっとそれだけ口にした。
「ここまでされといて、どうして、そういう発想が出てくるかな」
 静かな口調とは裏腹に、孝行はオレをその場に強引に押し倒してきた。
 幸い、なのか、それともヤツの計算なのか、押し倒された場所は橋の影になっている草むらの中だった。草の擦
れる音と、青い匂いが鼻先をかすめる。
「ど、どういうつもりだ!? 勝負するために、オレを呼び出したんじゃねーのかよ」
「勝負する、なんて、俺は一言も口にしていないはずだが」
 言葉と同時に孝行の手が触れたのは、オレの、ズボンのベルトだった。慣れた手つきで器用にベルト、ボタン、
チャックと外し、その手は素早く下着の中に潜り込んできて、オレのモノをすっと撫でた。
「……ひっ…!」
 オレは、あまりのことに、ビクンと体を大きく震わせた。
 ヤツの手が掠めていった部分は、はがゆいくらいの感触だけが残り、思わず震えた息を吐いてしまう。
「感じた?」
「んなわけ、ねーだろっ! 男に触られて、感じるもんかっ」
 口許に余裕の笑みを浮かべ、真っ直ぐにオレを見つめてくる孝行に、精一杯強がってみせる。
 オレはとことん負けずギライな性分だった。
 男にいきなりキスされた上に、押し倒された……なんて、完璧に男として負けてる!
「ふーん…。これならどうだ?」
 ヤツは意味ありげに言うと、オレのそこをゆるく握り、ほんの少しだけその手を滑らせる。
「…あ…っ」
 ふいに漏れた声に、慌てて自分の口を押さえた。
 感じてないなんて、嘘だ。
 何故だか、孝行の手に包まれても、握り潰されそうな恐怖なんかなくて、ただ………たまらなく気持ちよくて。
「…我慢するなよ」
「感じてねーって、言ってんだろ!」
 オレもたいがい強情だ。
 男に触られて感じてるって事実を、オレはどうしても認めたくなかった。
 認めることで、今までの自分が覆される気がして。
 弱い自分がさらされるような気がして。
「ふうん…」
 孝行は、何か楽しい悪戯を思いついたような表情を浮かべて、口を開いた。
「じゃあ、賭けをしよう」
「……賭け?」
「俺がお前をイカせられなかったら、1週間お前の言うことをどんなことでも聞く。でも、もし、お前がイッたら……」
 孝行は、わざと一呼吸を置いた。
 一体、どんな無理難題を言われるんだろうと不安にかられたオレは、孝行をじっと見上げた。
「1週間、俺の恋人になるんだ。もちろん、セックス込みで」
 なんだって!? 男同士で、恋人だと!?
「冗談じゃない! 何でオレがっ!?」
 ケンカのときと同じ、不敵な笑みを見せて、孝行は口を開いた。
「男に触られても感じないんだろう? だったら、お前にとってはこの賭け、勝ったも同然じゃないか。…それとも、
まさか、勝つ自信がないとか…?」
「じ、自信ないわけ、ねーだろーがっ!」
 挑発されると、反射的に受けてたってしまう、自分の性格が悔やまれる。
「賭け、成立だな」
 覆い被さってくる影に、オレは無意識に身をすくめた。
「シュンスケ…」
 初めてオレの名前を呼んだ孝行は、オレのシャツのボタンを全部外すと、胸の突起に唇を寄せた。
「…っ…!」
いきなりきつく吸われて、再び声を上げそうになるのを、口を押さえて堪えた。
 下半身に、自分でやるのとは全然違うリズムで刺激を加えられ、あまりの快感に全身が震えだす。
 声が出せれば、もっと楽に違いない。しかし、そうすれば、オレは負けを認めることになってしまう。
 たまらない疼きが放出先を求めて身体の中で荒れ狂い、もうひとりのオレが、『さっさとイッて、楽になれよ』と悪
魔のように囁く。
「んっ……」
 しかし、ときおり、指の隙間から漏れてしまう声と、荒くなっていく呼吸は、どうしようもない。
「手をどけて」
 孝行が意地悪くそう口にした。オレが首を振ると、ヤツは強引にオレの口を塞いでいた手を引き剥がした。
「やっ…ああっ……ん」
 恥ずかしい声が堰を切ったように溢れ出し、もう、自分の力では押さえられなくなってしまった。
 酷い男だ。
 睨みつけようとヤツを見上げると、意外にも潤んだ熱い瞳に出会った。
 てっきり、思いどおりにコトを運んで、ほくそえんでいるだろうと思っていたのに。
 視線が交わると同時に、ぬるぬると滑る孝行の手の動きが速くなり、きつく扱かれる。
 頭の中心が真っ白になり、触れられている部分だけに感覚が集中していく。
「…は…あっ……あーッ…!」
 すでに限界まで達していたオレの欲望は、さらなる刺激に耐えられず、ヤツの手に快感を放出してしまった。
 痺れたようにだるくなり、全身を汗が覆う。
 今まで、数えきれないほど自分で慰めてきたけれど、これほどまでの快感を経験したのは初めてだった。
「イッたな」
 呼吸の整わないままのオレに、孝行が言った。
「恋人決定だ」
 嬉しそうな声だ…と思ったのは、オレの勘違いだろうか。
 降ってきた孝行のキスは、甘く、優しかった。
 何故だか、勝負に負けたような気がしない。悔しいとは思わないのだ。
 どっちが上とか、下とか、立場が変わったような気もしない。
 まだ、対等な関係のままのような気がする。
 もしかすると、ケンカのときに感じたように、こいつとなら恋人としてだって、上下関係なくつきあえるかもしれな
い。
「勝負は、勝負だ。…恋人になってやるよ」
 身体を起こし、身支度を整えながら、オレはあきらめを含んだ口調ではっきりと告げた。
「ただし、1週間だけだからなっ!」
「…わかってる」
 引き寄せられて、ヤツの腕の中に包まれた。甘い感覚が湧きあがる。
「たった今から、俺たちは恋人同士だ」
 1週間の辛抱だ。
 そう自分に言い聞かせてから、甘い感覚の説明がつかないまま、オレは孝行の腕に身を委ねた。


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