「紅蓮」 第1・1/2幕 “蛍”

<其之壱>


 ──それから二日ほど後のこと。
「すみません、わざわざ買い物に付き合って頂いて」
「別にいいさ。今は特に急の用もないしな」
「そうそう。たまにはこういう日でもないとね〜」
 烈火たちは遥の買い出しに付き合って、再び皇莱の城下町まで来ていた。
 豊年祈願祭に合わせて市が立っている最中でもあるので、町はいつにも増して賑わいを見せている。
 必要品を買い込み、そろそろ戻ろうかと思っていたところへ、遥がいやに大きな包みを抱えて角の店から出てきた。
「遥さん? 何ですか、その包み」
 綾乃が首を傾げて尋ねる。
「あ、あんぱんです。店主さんがとっても優しい人で、たくさんおまけしてくれて」
 満面に笑みを浮かべて言う遥に、一同の視線が一瞬固まる。
「あ、あんぱんって……それ全部?」
「はい!」
 事も無げに答える遥に、唖然とする茜。包みの中身はどう見ても、十数個は下らない量はありそうだ。
「は、遥……いくらなんでも、それは買い過ぎじゃないか?」
「そうですか? 大丈夫ですよ、これくらいの量は全然平気です」
 流石に烈火も呆れ顔になるが、遥は一向に気にした様子もなく、満足げに包みを抱きかかえて顔を綻ばせた。
「………」
 それ以上言葉を返すこともできず、烈火たちは互いに顔を見合わせて肩を竦めた。
「それじゃ、買い物も大体終わったことですし、そろそろ戻りましょうか?」
「あ、ああ……そうだな」
 上機嫌で先を歩き出す遥の後ろについて歩きながら、
「遥さんって……見かけによらず、意外と…変ですね」
 綾乃がそれとなく呟いた一言に、顔には出さないが、皆胸の内で同意していたのは言うまでもなかった。


 皇莱の城下町を後にし、雑踏から離れて紅蓮の里へ戻る道の途中。
 四人が雑木林と公道を隔てる川岸へ差し掛かった時のことだった。
「な、何するんですか! やめて下さい!」
「いいじゃねえか、ねぇちゃんよ。ちょっとくらい付き合えや」
「い、嫌です! 離して下さい!」
「何だよ、つれねえなぁ」
 いかにも雲行きのよろしくない会話を耳にし、烈火たちは橋の手前で足を止めた。
 視線を辺りに巡らせると、年の頃十六、七の娘が、川沿いの路傍で柄の悪そうな三人の男にからまれているのが目に留まる。
 遥の目があっと見開かれ、その隣で烈火も眉根を寄せた。
「…ったく、大の男が真昼間からみっともないわね」
 茜が呆れた溜め息を吐き、ぽきぽきと指を鳴らす。
「あの人、助けてあげないと……」
「当然です」
 遥に言われる間でもなく、茜と綾乃が彼らに向かって足を踏み出そうとした時。
「待ちなさい!」
 突然、辺りに凛とした女の声が響き渡った。
「!?」
 そこにいた皆が一様にその声のした方を振り返る。
「何だ、てめえ」
 チンピラの一人が、声の主を見咎めて凄んだ。
 視線を同じように向けた烈火たちも、その人物の姿に目を凝らす。
 意外にも、そこに立っていたのはからまれている少女とそう変わらない年頃の娘だった。風になびく黒髪と、額に結んだ薄紅の飾り紐が目を引いた。
 年の割にはどこか大人びた雰囲気を持ち、整った顔立ちをしている。
 娘はひらりと欄干を飛び越え、男たちの近くへと降り立った。
 チンピラの一人が小さく口笛を吹き、ニヤニヤと薄笑いを浮かべながら彼女へにじりよる。
「なかなかイキがいいじゃねえか、ねぇちゃん。何なら、あんたがあいつの代わりになってくれてもいいんだぜ?」
 下卑た笑みを見せて腕を掴もうとする男の手を、彼女はぴしりと払いのけ、男を睨みつけて言った。
「お断りです。早くその子を離しなさい」
「なっ…この女ァ!」
 激昂したチンピラが彼女に掴みかかったが、娘はひらりと男の突進を避け、すかさずその腕を掴むと勢いを利用して投げ飛ばした。
「ぐえっ!」
 男は橋の親柱に正面からぶつかり、呻き声を上げた。
「この女!」
 他のチンピラたちも怒声を上げて彼女に襲いかかったが、身軽な動きに次々とかわされ、肩透かしを食らう。
「はっ!」
 娘は短く気合を発すると、チンピラの一人を足払いで転ばせ、一人は首に手刀をお見舞いし、一人は胸倉を掴んで投げ飛ばした。
「ぐぇっ」
「ぎゃっ!」
 男たちはそれぞれ三様に痛い目を見て押し潰されたような呻き声を上げる。
 あっという間に男たちが叩きのめされていく様に、からまれていた娘はただぽかんと見つめるばかり。
「へぇ……」
「すごーい」
「やるじゃない、あの子」
 烈火たちもまた、娘の鮮やかなお手並みに感嘆の声を上げた。
「ってて……このアマ! なめんじゃねえ!」
 一人が顔を振って立ち上がると、額に青筋を立てて憤り、懐から短刀を取り出して娘へ向けた。
「!」
 娘の表情が険しくなり、さっと踵を返して身構える。
「へへへ、こいつにゃ素手じゃ勝てねえよなぁ。…おとなしくしてりゃ、痛い目見なくても済んだものを……」
 勝ち誇った笑みで一歩一歩近づいてくる男を見据え、娘は片手を帯の後ろへそっと滑り込ませた。
「ちょいとおいたが過ぎたなぁ……この礼は、たっぷりさせてもらうぜ」
「おいたが過ぎるのはあんたの方だぜ、おっさん!」
「なに!?」
 突然横から割り込んできた声に、男が眉をつり上げて振り向いた途端、鈍い音と共に男が手に持っていた短刀が宙に飛び、乾いた音を立てて地面に転がった。
「い、いてぇぇぇ!」
 短刀を跳ね上げられた衝撃に痺れる手を押さえ、男が呻いた。
 娘もはっと声の主の方を振り向いて目を見張った。
「何だ、てめ……!」
 憎々しげに怒声を上げようとした男の顔は、しかしその相手の方を見た瞬間に強張った。
 抜き身も青い長刀の切っ先が、ぴたりと鼻先に突きつけられていたからだ。
「いくら素手で敵わないからって、女に刃物向けるなんて最低だな」
 烈火の鋭い視線が怒りのこもった口調と共に男を射抜く。
「さっさと消えた方がいいんじゃないか? でなきゃ、もっと痛い目見る羽目になるぜ」
「ち、畜生! 覚えてやがれ!」
 男は青くなりながら捨て台詞を残し、残りの仲間二人を促して川下の方へと保々の体で逃げていった。
 烈火が溜め息をつき、刀を鞘に収める。
「べー、もう忘れたわよーだ。…ったく、他に言うことないのかしらね」
 茜が男たちの去っていった方を見て舌を出す。
 娘は事の成り行きを目を瞬いて見ていたが、はっと顔を上げると最初にチンピラたちにからまれていた少女の側へ歩み寄った。
 まだ呆然としている様子の彼女に手を貸し、立ち上がらせて優しく声をかける。
「大丈夫? 怪我はない?」
「は、はい……大丈夫です。おかげさまで……ありがとうございました」
 少女はようやく我に返ると、服についた埃を払い、深々と頭を下げた。
「無事ならいいのよ。それより、これから気をつけなさいよ。あんまり一人でひと気のないところ出歩いちゃ駄目よ」
「は、はい。本当に、ありがとうございます」
「おーい、楓ー」
 そこへ、遠くから男の声が響いてきた。
 一同が視線を泳がせると、一人の百姓風の男が橋の向こうから手を振っているのが見える。
「あ、お父さん!」
 少女が男の姿を認め、手を上げて呼び返した。
「あの人がお父さん?」
「はい。迎えにきてくれたみたいです」
「そう、よかった。それじゃ、気をつけて帰りなさいよ」
「はい! どうも、ありがとうございました」
 桶と包みを拾って抱え直すと、楓と呼ばれた少女は振り返り振り返り頭を下げながら橋を渡って父親のところへ走っていった。
 少女の姿を見送ると、娘は改めて烈火たちの方へ向き直った。
「あ、ごめんなさい。さっきはどうもありがとうございました」
 今度は自分たちに頭を下げられ、烈火は慌てて手を振った。
「いや、別に礼を言われるほどのことじゃないよ」
「でも、刀を向けられた時は、ちょっとどうしようかなと思ったから。助かりました」
 そう言って屈託なく笑う娘の表情には、怯えの色は少しも見られない。どうやら、烈火たちが手を出さずとも、切り抜けられる自信はあったようだ。
 彼女の身のこなしを見ていても、何かしら武芸の覚えがあろうことはうかがえたから、不思議ではなかった。
「あんた、見かけによらず結構やるじゃない。何かやってんの? 武術とか」
 茜が娘の顔を見て尋ねる。
「い、いえ。そんな大したものじゃないです」
「でも、とても素敵でした〜。………あら?」
 今度は遥がまじまじと娘の顔を覗き込む。
「…あ、あの……何か?」
 真面目な顔で凝視されて、娘が思わず身を引く。
「あの……もしかして、この間、城下町の広場で舞を踊ってた方……じゃないですか?」
「え?」
 遥の言葉に、烈火たちも一様に娘の方へ視線を留める。
「あ……え、ええ。そうですけど…。見てくれたんですか?」
「わぁ、やっぱりそうなんですね! すごーい! ええ、二日前に見てたんですよ、私たち。とっても素敵でした〜」
「あ…、どうも、ありがとう」
 ようやく話が飲み込めたのか、娘は肩の力が抜けた様子で笑顔を遥に向けた。
「そう言われれば……」
 記憶の糸を手繰り寄せて重ね合わせると、今は殆ど化粧っ気のない素顔だが、流れるような黒髪と、細面(ほそおもて)の整った顔立ちは確かに二日前に見た踊り子だった。
「そうか、君があの時の…」
「へぇ〜」
 それぞれに改めて見つめられ、娘は照れくさそうに笑った。


「そっか、沙弥香ちゃんていうんだ」
「ええ。沙弥香、だけでいいですよ。その方が慣れてるし」
「いつも、あちこちを旅してるの? 皇莱は初めて?」
「いえ、これで二度目です。前に来たのは一昨年ですけど」
 娘──沙弥香は請われるままに、遥たちの問いに気さくに答えた。
 数年前から、父親が率いる芸人一座の公演のために、各地を転々としていること。
 見よう見真似で覚えた舞の腕を見込まれ、次第に一座の中心演目になっていったこと。
 そして今まで回ってきた町や村でのことをなどを、沙弥香はかいつまんで語った。
 快活で歯切れのいい話し方からもうかがえる、物怖じしない明るい彼女の人柄に、烈火たちは皆好感を持って聞き入っていた。
「今年は豊年祈願祭の時期に合わせているので……もうしばらくは、ここに滞在する予定です」
「そうなんですか。じゃあ、まだしばらくはあの場所で?」
「ええ」
 沙弥香は頷いて、よっ、と腰掛けていた欄干から飛び降りた。
「ここはやっぱり人が多いから緊張もするけど……その分、やり甲斐もありますから」
 そう言って彼女は背伸びをすると、烈火たちの方を振り返った。
「よかったら、また来て下さいね。私も、大勢の人に見て欲しいし」
「ええ、時間ができたら、また行くわ」
「沙弥香さんも頑張って下さいね」
「ありがとう。……それじゃ、そろそろ今夜の準備もしなくちゃいけないから、私、町に戻りますね」
「ああ。気をつけてな」
 もう一度ぺこりと頭を下げ、彼女は手を振って町への道を戻っていった。
「素敵な人ですね〜。私、今度踊り習いに行っちゃおうかな」
「ええ? あんたみたいなトロい子が踊りなんかやったら、逆に衣装に振り回されてぐるぐる巻きにされるのがオチじゃないの?」
 遥がしみじみ呟いた言葉に、茜がからかい半分に反応する。
「そんなぁ〜! 茜さん、ひどい!」
「冗談よ、冗談! あんたってすぐムキになるんだから」
「もうっ」
「ぷっ…」
「あははは」
 むくれて顔を膨らませる遥の予想通りの反応に、朗らかな笑い声が一同の中から上がった。


<其之弐>





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