「紅蓮」 第1・1/2幕 “蛍”

<其之参>


「烈火──っ!」
「沙弥香さーん!」
 それから程なくして、二匹の鬼を倒した茜たちが烈火と沙弥香を捜して後を追ってきた。
「烈火さん? どこにいるんですか!?」
「沙弥香ー!?」
 口々に二人の名前を呼びながら、鬼の足跡を辿って崖の側まで走ってきた茜たちは、どこにも二人の姿が見えないことに、次第に不安を感じ始めていた。
「おかしいですね、二人ともどこに行ったんでしょう」
 綾乃が周囲を見回して呟く。鬼が薙ぎ倒したとおぼしき樹木の残骸などがあちこちに散乱していることから、烈火がこの辺りで鬼と戦ったことは間違いないはずなのだが。
「あ、綾乃さん! あれ!」
「!」
 遥が指差したその先には、崖っぷちにうつ伏せになっている巨体の骸が見えた。袈裟懸けに走っている斬り口を見れば、それが烈火の太刀筋であることはすぐにわかる。
「…烈火さんですね」
「ええ……でも、烈火さんに沙弥香さんも、どこに行ったんでしょうか」
「こんなとこからどこ行くってのよ」
「!? 茜さん、ちょっと待って!」
「え?」
 崖から向こう側を見下ろそうとした茜を、綾乃が咄嗟に引き止める。
「何よ、綾乃」
 綾乃が慎重に外側から崖口を確認し、表面に手を触れる。
「…見て下さい、この岩肌。ここから急に色が変わって、土が剥き出しになってます。…ついさっき、崩れたばかりみたいに…」
「…え? どういうこと?」
「ついさっきって……、……!!」
 遥がはっと表情を変え、弾かれたように顔を上げる。
「まさか……綾乃さん!!」
「な、何よ。どうしたってのよ?」
 遥が崖下を見て言葉を絞り出す。
「まさか……まさか烈火さんたち、ここから…!?」
 綾乃も唇を噛み締めて頷く。
「おそらく……そうとしか……」
「な……」
 茜も愕然として二人の視線の先を追った。
 聞こえるのはすぐ近くを流れる滝の音、見えるのは下流に行くに従って辺りを漂う霧のような水煙ばかり。どれほどの高さがあるのか、ここからでは見当もつかない。
「冗談でしょ、こんなとこから……」
 流石に茜も色を失い、ただ呆然と霞の渓谷を見下ろすばかり。
「と…、とにかく、捜しましょう! まだこの近くかもしれないし、早く二人を見つけないと!」
「そ、そうですね。急がないと…!」
 我に返った綾乃の声に、遥も茜もはっと引き戻される。
「ったく、面倒ごと増やしてくれんじゃないわよ、あのバカ!」
 膨れ上がる不安を打ち消すかのように憎まれ口を叩く茜も、表情は硬い色を残したままだった。
「行きましょう!」
 三人は脇目も振らず、一心に走り出した。


「……う……」
 冷たさと、鈍い痛みが沈んでいた意識を徐々に浮上させていく。
 目の前を覆っていた暗幕が薄れていくと共に、水の流れる音が耳に届き始める。
「……ここは……」
 重たげな瞼が上がり、ぼやけた視界が開き始める。
 川原の石や苔の生えた岩肌の輪郭が次第にはっきりしてくると、はっと沙弥香の目が見開かれた。
「っ、いたっ……」
 起き上がろうとした途端、体の節々に鈍痛が走り、顔をしかめる。
 彼女の服は川岸に倒れていたせいで半分以上が水気を帯び、体に張り付いていた。
 手足に目をやると、あちこちにかすり傷や打ち身の痣が見て取れる。そして、服についた赤黒い染みも。
(これは──)
 傷自体はどれも大したことはなく、血痕は彼女のものではない。おそらく崖上からの落下の際に付いたと見られるが───
「…!!」
 そこで現状へ至ったいきさつを思い出し、沙弥香の面差しが強張った。
 雑木林での鬼との遭遇、間一髪で駆けつけてきた人影。鬼との戦いの最中起こったこと、衝撃で地盤が崩れ、崖の上から宙に放り出された瞬間。
 その時、
『沙弥香っ!!』
 浮いた体が落下し始める寸前、自分を呼んだ声と、咄嗟に抱きかかえられた腕の感触──。
「烈火さん!!」
 ようやく我に返った沙弥香は烈火の名を叫び、立ち上がった。
「烈火さん!! 烈火さん、どこにいるんですか!?」
 自分と共に崖下に落ちたはずの烈火の姿が見えず、懸命に周りを見回して捜し始める。
「烈火さん! お願いです、返事をして下さい!」
 濡れた服の裾が重くまとわりつくのも構わず、苔で滑りやすくなっている川原石に足を取られそうになりながらも、沙弥香は声の限り呼び続ける。
 だが、辺りは緩くなった水の流れの音と、時折飛び去る鳥の鳴き声がかすかに聞こえるばかりで、彼女の呼びかけに応える声はない。
「烈火さん! 烈火さーん!!」
 半ば涙声になりながら、沙弥香は必死に烈火を捜し回った。
 そして、自分がいた場所から少しばかり下流の方へ下ったところの、大きな岩盤の向こうで、ちらちらと何か赤いものが水面に揺れているのを見つける。
 はっと目を見張り、急いでそこへ駆け寄る沙弥香。 
「…!!!」
 そこで再び彼女の両目が見開かれ、言葉が途切れる。
 彼女の目の前には、全身に傷を負い、青白い顔をして力なくうつ伏せに倒れている烈火の姿があった。
 彼の周りに漂う水は、流れる血で赤く染まっている。
「烈火さん!!」
 沙弥香は悲鳴に近い声で叫び、駆け寄った。
「烈火さん! 烈火さん、しっかりして下さい!!」
 涙目で彼の体を揺すって呼びかけるが、烈火はぴくりとも動かない。
 不安と恐怖で心臓が嫌な音を立て、手はがくがくと震えたが、沙弥香は懸命に歯を食いしばってかぶりを振った。
(駄目、ここで取り乱しちゃ……! 早く、怪我の手当てをしなきゃ!)
 泣きそうな顔を力いっぱい引き締め、唇をぎゅっと噛みしめて沙弥香は周りを見渡した。
 すると、川縁に沿って少し下流へ進んだところに、古い小屋らしきものがあるのが目に留まった。
 おそらく炭焼き小屋だろう。沙弥香は立ち上がり、ばしゃばしゃと川を越えて小屋の側へ走り寄ると、戸を叩いて叫んだ。
「すみません、誰かいませんか!?」
 何度か叩いて呼びかけても応えはなく、手をかけて戸を開けてみると、中は無人だった。
 この刻限になっていれば、誰もいなくても無理はない。
 沙弥香は溜め息をついたが、すぐに気を取り直すと踵を返して烈火のところへ戻った。
 気を失ったままの彼の体を懸命に川岸から引き上げ、華奢な自身の背中に必死に背負うと、真摯な瞳をきっと前に向け、しっかりと地を踏みしめて歩き始めた。


「烈火ー!!」
「沙弥香さーん!!」
 その頃、綾乃たちは手分けして二人を捜していたが、手がかりは途絶えたままで、行方は一向にわからなかった。
「まずいですね。もうすぐ日が暮れる……このままでは私たちまで道に迷いかねない」
 綾乃は額の汗を拭い、既に日の沈んだ西の空を見上げた。
 空は徐々にその暗さを増し、辺りには夜の帳が下り始めている。
「茜さん、そっちは!?」
「だめ、いないわ!」
「こっちにもいません!」
 遥がもう一方の繁みから顔を出し、二人の側へ駆け寄ってきた。
「どうする、もう少し上流の方に行ってみる?」
「そうですね、向こうの方はまだ捜してませんし」
 茜と遥が顔を見合わせて提案するが、綾乃がそれに異を唱えた。
「いえ、もう大分暗くなってしまいましたし、ひとまず町まで戻りましょう。後はそれからです」
「え?」
「な、何言ってんのよ綾乃! 烈火たちを放って帰る気!?」
 二人が信じ難い顔で綾乃を凝視する。
「違います!! …ただ、闇雲に捜し回っても疲れるだけです。それに、私たち三人だけでは捜す範囲にも限界があります。…だから、ここは一旦引き返して、里のみんなや影舞の人たちにも協力を仰いで行動した方が確実でしょう」
「あ……」
 綾乃に諭され、茜と遥は言葉を途切れさせた。
 綾乃とて、烈火たちの身を案じる気持ちは同じだ。だからこそ、少しでも効率の高い方法を選んだ方がいいと判断したのだろう。
「そうですね、その方が早く烈火さんたちを見つけられるはずですし……ね、茜さん」
「わ、わかってるわよ! ただあたしは……」
 遥に同意を求められ、茜はムキになって反論しようとしたが、綾乃の声に止められる。
「とにかく、急がないと。事態は一刻を争います。一旦戻りましょう」
「はいっ」
「あ、ちょ、ちょっと!」
 言下に踵を返して走り出した綾乃と遥の後を、慌てて茜が追いかける。
 意識せずとも足は速まり、焦りは気持ちを急き立てた。
 烈火と沙弥香の無事を祈りながら、三人の影は長く尾を曳いて町の方へ戻っていった。


(──ここは──……)
 烈火は暗い、闇の中を漂っていた。
 周りは全て漆黒の闇に覆われ、前後どころか上下すらも定かではなく、自分が立っているのか浮いているのかさえもわからない。
(どうなったんだ…? 俺は、確か───)
 ぼんやりと暗幕に覆われた世界の中で、不意に目の前にぼうっと光が浮かび上がる。
(……あれは……?)
 夜が徐々に白み始める明け方の情景のように、その光は段々大きさを増し、やがて烈火の体を柔らかく包み込んでいく。
(……温かい……。何だろう…、この感じは……)
 そして、膨らんだその光は次第に闇をも覆い隠し、彼の意識は光の中へと吸い込まれていった。


「………」
 ぱち、と近くで小さく火の粉の爆ぜる音がした。
 重い瞼がゆっくり持ち上がり、薄く濁った視界が開く。
 最初に映ったのは、見覚えのない煤けた古家の天井の梁。
 何度か目を瞬き、まだ薄煙が張ったようにはっきりしない情景を見定めようとした時、そこで初めて人の気配に気づく。
(……?)
 視線を天井から下へ巡らせると、ぱちぱちと火を躍らせる囲炉裏がまず映る。そして、その隣には──両手を彼の胸元へかざし、目を閉じて何かを一心に念じているような趣きの──沙弥香の姿があった。
 更に、彼女の両手からは、淡い……まるで蛍の光のような……柔らかな光がふわふわと零れ、烈火の体を温かく包み込んでいた。
「……さや…か……?」
「!」
 赤錆が浮いたように掠れた声を何とか押し出すと、沙弥香がはっと目を見張った。
 と同時に、彼女の両手から発していた光がふっと途切れる。
「烈火さん! 気がついたんですね!?」
 彼の顔を覗き込み、心底安堵した表情で沙弥香が呼びかけた。
「……俺は……、うっ…!」
 体を起こそうとした途端、右肩から脇腹にかけて激痛が走り、烈火は呻いた。
「駄目です、まだ動いちゃ! ひどい怪我なんですから!」
 慌てて起き上がろうとする彼を止め、諌める。
「…ここは…、どこなんだ?…」
 気を抜くとまた薄れそうになる意識を何とか引きとめながら、沙弥香に尋ねた。
「谷川沿いにあった炭焼き小屋です。誰もいなかったので使わせてもらいました」
 そう言って烈火の額に乗せていた布を手に取り、桶に汲んできた水に浸して絞る。
「傷のせいで熱が出てきたみたいですね…。ごめんなさい、私のせいで」
 細い眉を心底申し訳なさそうな形に歪め、沙弥香は絞った布で烈火の顔の汗を拭いた。
 ひやりとした感触を心地良く感じ、烈火はふと表情を緩め、彼女の手に触れた。
「…君のせいじゃないさ。…気にするなよ」
「……」
 何も言えず烈火を見返す沙弥香。傷つきながらも自分のことを気遣って見せる笑みが、彼女には余計に痛々しかった。
「…それより…、さっきの……あの光は……?」
 その問いかけにはっと沙弥香がはっと我に返るが、すぐに答えようとはせず、少しだけ困ったように微笑んだ。
「…後で、説明します。それより、今は傷の手当てが先ですから……もう少し休んで下さい」
 ほんの僅かだが、悲しげな色が彼女の瞳をよぎったように見えたのは、気のせいだったろうか。
 沙弥香はゆっくりと両手を烈火の胸の上にかざし、静かに目を閉じた。
 すると、彼女の両手から再びあの柔らかな光が零れ始め、烈火の体をゆらゆらと覆っていく。
「…………」
 この力は、一体……彼女の何なのだろう───頭の中では疑問に思いながらも、その心地良い感覚に包まれると、不思議と落ち着いた気持ちになっていく。
(何だろう…、この温かさは…。…どこか……懐かしいような気がする……)
 ふわふわと、水の中に漂っているような快さを覚えながら、緊張と疲労からくる睡魔に襲われ、烈火の意識は再び眠りの底へと落ちていった。


<其之四>





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