「紅蓮」 第1・1/2幕 “蛍”

<其之伍>


「……どうなんでしょうか、先生」
 皆が固唾を飲んで見守る中、遥が恐る恐る尋ねた。
「──ふむ。傷の手当ては一通り済んだし、脈も落ちついてきたようじゃから、とりあえずは心配ないじゃろう」
 しばしの間黙って処置を続けていた町医者は、脈を計り終えると手を布団の中に戻し、彼女たちを振り返ってそう告げた。
「……そうですか……」
「…よかったぁ、もう」
 その答えを聞いて、遥たちは布団に横たわった烈火を見つめ、一気に肩の力が抜けたように息をついた。
 ずっと何かを堪えるように、張り詰めた面持ちで座っていた沙弥香の顔にも、ようやく安堵の色が戻る。
「しばらく様子を見るが、何とか動けるようになるまでに二、三日はかかるじゃろうから、くれぐれも無理はさせんようにな。……それじゃ、わしはこれで。大事にな」
「はい。──どうも、ありがとうございました」
 助手を従えて部屋を後にする町医者に、沙弥香は深々と頭を下げて送り出した。
「……あー、もう。一時はどうなることかと思ったわよ」
 茜が沈黙と緊張から解き放たれた途端、足を崩して大っぴらに肩を落とした。


 ──あの後、綾乃や茜たちとも合流した沙弥香と遥は、烈火を連れてひとまず町外れ近くの宿場へ向かった。
 烈火の状態から、紅蓮の里まで戻るのは無理だと判断した綾乃の提案もあり、また、その宿場がたまたま沙弥香たち一行が滞在している場所でもあったからだった。
 沙弥香の両親は、一晩行方が知れなかった娘の無事の帰りを事のほか喜び、彼女の父の計らいで、遥たちはそのままそこの宿へ身を寄せることとなった。


「……ごめんなさい。私のせいで、烈火さんにこんな怪我をさせてしまって」
 町医者を見送って障子を閉めた後、沙弥香は遥たちに向き直り、改めて頭を下げた。
「そんな、謝ることじゃ……沙弥香さんのせいじゃないですよ」
 遥が慌てて沙弥香の肩に手を置き、頭を上げさせる。
「そうですよ。そんなに気に病まないで下さい」
 綾乃も遥に同調して沙弥香に笑みを向ける。
「そうよ。大体、鬼一匹相手にそんな不覚取るなんて、油断でもしてたんじゃないの?」
「茜さん!」
 烈火を心配しているのは茜も同じなのはわかっていたが、それでもこの場には不用意な発言に綾乃の諌める声が飛ぶ。
「そんな訳ないです! あの時だって、私さえ気にしなければ、こんなことには…!」
 途端に沙弥香の声が高くなり、茜の言葉に噛み付くように反論した。
「わかってる! わかってるわよ、あたしだって、それくらい…!」
 茜も負けじと声を張り上げ、唇を噛んで黙り込む。沙弥香も目を伏せ、言葉をつぐんだ。
 それきり、しばらく気まずい沈黙が部屋に降りた。
「…とにかく、今は烈火さんの回復を待つのが先です。…それまで、沙弥香さん、ここを貸して頂けますか?」
「え? あ、ええ。勿論です…! むしろ私からもお願いします。…でないと、申し訳が立たなくて…」
 沈黙を破った綾乃の問いに、沙弥香は頷いて綾乃たちを見回した。
「皆さんもお疲れでしょうし、ここでゆっくり休んで下さい。父もそう言ってましたから」
「え、でも、それじゃ……」
「いいんです。私もそうして頂きたいですし」
「でも、沙弥香さんこそ疲れてるんじゃないですか? 顔色がよくないですよ。少し休んだ方が…」
 いささかやつれ気味の沙弥香を遥が気遣い、顔を覗き込んだ。
 沙弥香は笑みを向けたまま首を振り、静かに眠っている烈火に視線を戻して呟いた。
「…大丈夫です。烈火さんが目を覚ますまでは……ここにいます」
 真摯な眼差しでそう告げる沙弥香の横顔には、それ以上言葉を差し挟む余地のない雰囲気が漂っていた。
 綾乃たちも彼女の気持ちを察し、無理に休息を勧めようとはしなかった。
 ややあって、今度は沙弥香の方がためらいがちに口を開いた。
「……あの……」
「え?」
 沙弥香は遥たちに向き直り、少し言いにくそうにためらった後、意を決して尋ねた。
「お願いがあるんです。これから、皆さんが目にすることを……誰にも言わないでくれませんか?」
「え…?」
「これから…って?」
 怪訝そうな顔で首を傾げる三人。
「……少しでも早く、烈火さんに良くなって欲しいから……私にしかできないことをしたいんです」
「沙弥香さんにしか…?」
 頷く彼女に、遥たちはますます不思議そうな顔を向ける。
「どういうこと? それって…」
「……治療、です」
「治療?」
「ええ。……ですから……お願いします」
 三人にぺこりと頭を下げ、沙弥香は返事を待たずにもう一度烈火の方へと体の向きを変え、座り直した。
 まだ彼女の言葉の意味がわからない三人は、訝しげに思いながらもただ事の成り行きを見守っている。
 沙弥香はひとつ深呼吸をすると、横たわっている烈火の胸の上に両手をかざし、静かに念じ始めた。
 そして、次第に彼女の両手から淡い光が零れ始めたのを見て、遥たちは驚きに目を見張った。
 光はふわふわと柔らかな膜を形作るように、烈火の体を包んでいく。
「こ、これって……」
 茜が唖然とし、遥と綾乃も言葉なく沙弥香を見つめるばかり。
「……これが、理由です。…こうして、人の傷を治すのは……私にしかできないことですから」
 少しだけ遥たちに視線を泳がせ、沙弥香は訳を明かした。
 三人は目の前の光景に、ただ目を瞬かせるばかり。
 その中で、遥だけが、表情の奥で微かに何かを感じたように、沙弥香を見つめていた。
 沙弥香は少し寂しげに微笑むと、精神を集中させるように目を閉じた。


 そうして、四半時ほどの時間が過ぎた頃。
「……っ……」
 伏せられていた烈火の瞼が動き、微かに動いた唇から声が洩れた。
「!」
 その様子にはっと遥たちが顔を上げ、沙弥香も目を見張る。
「………」
 そして徐に開いた瞼が何度か瞬きを繰り返し、烈火が目を覚ました。
「烈火さん!」
「烈火!」
 遥たちが我先にと身を乗り出し、沙弥香も一旦手を引いて様子を見守った。
「…遥…? …茜、綾乃……沙弥香……」
 掠れた、けれど思ったよりもずっとしっかりした声で、烈火は彼女たちの名を呼んだ。
「烈火さん! 気がついたんですね!」
 遥が心底安堵の表情を浮かべて烈火の顔を覗き込む。
「…ここは…?」
 見覚えのない部屋の天井を見回し、もう一度遥たちに視線を落として尋ねる烈火。
「町の宿場です。あれから町に戻って、ここの部屋を貸してもらったんです」
「…そうか…。…すまない、みんな。心配かけて」
 徹夜明けの疲れの色を残した遥たちを見て、烈火は申し訳なさそうに呟いた。
「…もうっ、何しおらしいこと言ってんのよ。迷惑かけたと思うなら、今度食事でもおごってよね」
「…茜さん…」
 こんな時にもつい憎まれ口が出てしまう茜に、綾乃は呆れ混じりの溜め息をついた。
 烈火と遥は互いに苦笑いを零し、つられて沙弥香の表情も強張りが緩んで柔らかくなった。
「気分は、どうですか? 烈火さん」
「…ああ。さっきよりはだいぶいいよ」
「そうですか………良かった」
 そうして、ようやく硬く張り詰めていた緊張の糸から解放されたのか、安堵の笑みを浮かべた後───沙弥香の体がふらりと揺れ、その場に静かに頽れた。
「沙弥香さん!?」
「沙弥香っ…!?」
 遥たちが顔色を変え、烈火が声を詰まらせながらも半身を起こそうとする。
「沙弥香さん! しっかりして下さい!」
 遥がぐったりと力の抜けた沙弥香を抱き起こし、呼びかけるが、彼女は青白い顔のまま気を失っていた。
「大変…! 早く、誰か呼んでこないと…!」
「私が呼んできます!」
「お願いします、綾乃さん!」
 皆の不安そうな眼差しを受け、綾乃の足音がぱたぱたと急ぎ階下へ降りていった。


<其之六>





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