「紅蓮」 第1・1/2幕 “蛍”

<其之六>


 障子の戸がすっと開き、烈火たちの視線が一斉にそこへ集まった。
「綾乃! 沙弥香は?」
 静かに部屋に入ってきた綾乃に、烈火が真っ先に尋ねる。
「大丈夫だそうです。ちょっと疲れているようで……少し休めば大事はないと言ってました」
「そうか……」
 安堵の溜め息と共に烈火の肩が下りる。
「良かった〜」
 遥も安心した笑顔を見せた。と、
「──失礼します」
 そこへ別の声がし、綾乃の後ろから初老の男が顔を出した。
「…あ、どうぞ」
 綾乃が一礼して男を招き入れ、障子戸を閉める。
「このたびは、皆さんが沙弥香を助けて下さったとのことで、感謝しています。本当にありがとうございました」
 男は居住まいをただし、烈火たちに深々と頭を下げた。
「え? い、いや、俺たちは……」
「あの、それじゃ…?」
「はい。私が沙弥香の父で、この一座を率いている弥吉と申します」
 座長はそう言って再度会釈した。
「座長さん、沙弥香さんは大丈夫なんですか?」
「ええ、疲れているようなのでしばらく休ませることにします。…あの子も、無事に戻れたのはあなた方のおかげだと言っていました。…怪我の具合は、大丈夫でしょうか?」
「…あ、ええ。俺は大丈夫。……むしろ、俺の方が彼女に助けられたようなものだし」
 目を伏せて呟く烈火の声は、最後の方は独白のように小さかった。
「どうぞ遠慮なく、具合が良くなるまでここで養生して下さい。沙弥香もそう強く望んでましたから」
「でも、それじゃ……」
「いいんですよ。どのみちあの子も少し休ませないといけませんし、広場での公演は一旦中断します」
 座長は人のよさそうな笑顔を烈火たちに向けて頷き、続けた。
「……それに、あなた方がいてくれた方が、沙弥香もきっと喜ぶでしょう」
「え?」
 遥が怪訝そうな視線を向ける。
「ここへ来てから、あの子の様子がいやに楽しそうでしてね。…それはきっと、皆さんのおかげだと思うんです。……今まで、ずっと旅暮らしで同じ年頃の子供と遊ぶことも、殆どありませんでしたから。きっと、皆さんが親しくしてくれたのが嬉しかったんでしょう」
「……」
「ですから、私からもお願いします」
「そんな、お願いしなきゃいけないのは私たちの方です。……こちらこそ、よろしくお願いします」
「お、おい、綾乃……」
 何か言いかける烈火を制し、綾乃が座長と差し向かいになり、頭を下げた。
「それでは、皆さんもお疲れでしょう。部屋の用意はできてますから、どうぞおくつろぎ下さい」
「はい、ありがとうございます。後でまたお世話になります」
 一礼して退室する座長を送り出し、綾乃は障子戸を閉めると烈火たちに向き直った。
「綾乃、俺は別に……」
「何言ってるんですか。烈火さん、まだとても満足に動けるような体じゃないでしょう?」
 図星を指され、烈火は言葉に詰まって視線を泳がせる。
「今はとにかく、体をゆっくり休めて、早く傷を治すことが先決です。そうしないと、次の任務が出た時に響きますよ」
「そうですよ、烈火さん。無理しちゃ駄目です」
 綾乃の主張に遥も同意する。
「せっかく遠慮しないでいいって言ってるんだから、こういう好意は素直に受けなきゃ損じゃない」
「…茜さんはもう少し遠慮を知った方がいいと思いますけど」
「何ですって? どういう意味よ、綾乃!」
「ま、まあまあ、茜さん」
 綾乃が何気なく洩らした一言に、茜が食ってかかろうとするのを遥が慌てて止める。
「…お前ら、こんなとこでまで喧嘩するなよ」
 すっかりいつもの調子に戻っている茜を見て、烈火が呆れ顔で溜め息をついた。
「…沙弥香さん、烈火さんのことをずいぶん心配してましたから……きっと、無理をしてでもあの力を使ったのかもしれないですね」
 遥が障子戸の向こうへ視線を向けて呟いた一言に、烈火の顔が上がった。
「知ってるのか? …それじゃあ…」
「ええ。私たちがここにいる間も、このことは誰にも言わないで欲しいと言って……ずっと烈火さんを看てたんです」
「……そうか……」
 視線を落とすと、肩の傷に手を置く烈火。まだ鈍い痛みが響いたが、それでもあの状況で負った怪我の状態を考えれば、昨日よりずっと楽になっている。
 綾乃と茜も、先刻目にした沙弥香の不思議な力を思い起こし、考え込む表情になる。
「…あの力って、何なんだろ。あの子、何かの修行でもやってたのかな」
「…いや。なぜああいう力があるのかは、自分にもわからないと言っていた。……だから、その通りなんだろう」
 沙弥香の言葉を思い出し、呟く烈火。
 あの時の彼女の目に偽りがなかったことははっきりわかる。…そして、おそらくその力のために、過去に辛い思いをした経験があるだろうことも。
「……早く、元気になるといいですね、沙弥香さん」
「…ああ」
 神妙な面持ちで、皆が一様に頷いた。


 ──その日の夜。
 捜索の疲れと、烈火がもう心配のない状態まで落ち着いたこともあり、遥たちは食事の後早々と部屋に引き上げ、休息を取っていた。
 夕食時もまだ起きてこなかった沙弥香のことを気にかけつつ、烈火も床に就こうとしていたその時。
 障子戸が、す…と音も無く開いた。
「……あ」
 戸の開いた隙間から顔を覗かせたのは、沙弥香だった。烈火と目が合うと、小さく声を上げる。
「沙弥香…! もう大丈夫なのか?」
 烈火も彼女の姿を認めると、身を起こして尋ねた。その拍子に傷が疼き、思わず顔をしかめる。
「…あ、駄目です、まだ急に動いちゃ…!」
 沙弥香が慌てて中へ進み、烈火の側へ歩み寄る。
「すみません、もう休んでるかと……もしかして、起こしてしまいましたか?」
 遠慮がちに尋ねる沙弥香に、烈火はいいや、と笑って首を振った。
「まだ起きてたよ。……それより、君こそ、もういいのか?」
「ええ、私は大丈夫です。……遥さんたちも、もうお休みに?」
「ああ。みんなも俺たちを捜して疲れてたはずだから、早めに休んでもらったよ」
「そうですか…。皆さんにも、ずいぶんと心配をかけてしまいましたね」
 申し訳なさそうに呟く沙弥香の顔を、烈火は少し困ったように見返した。
「君のせいじゃない。もう気に病むなよ」
「……はい」
 そうは言っても、烈火が自分を助けるために重傷を負ったことは事実なのだ。そのことが、沙弥香の気に留まらないはずもなかった。
「……傷、まだ痛みますか?」
 包帯の上からそっと烈火の胸に触れ、小さく呟く沙弥香の手を、烈火が掴んで止める。
「今日はもういいよ、沙弥香。これ以上は君の体にも負担だろう」
「…! でも……」
「いいんだ。無理しないでくれ」
 彼女の手を握り、穏やかに微笑む烈火。その眼差しに見つめられ、沙弥香はそれ以上言葉を返すことができなかった。
「……わかりました、今日は…。…でも、ここにいる間は、できるだけのことをさせて欲しいんです。……それとも、かえって迷惑でしょうか?」
「いや、そんなつもりで言ったんじゃないんだ」
 慌てて手を振り、否定する。
 正直、次の任務が出るまでには体調は万全にしておきたいし、怪我が早く回復するのは自分にとっても有り難い。
 だが、そのために沙弥香の治癒能力ばかりを頼っていては、彼女自身にもかなりの負担がかかることになる。それを察してのことだった。
「ただ、あまりその力を使っては、君の体も……」
 言いかけた烈火の言葉を遮るように手を握り返し、沙弥香は静かに首を振った。
「いいんです。私はその方が嬉しいんですから…。…迷惑でなければ、しばらくお世話をさせて下さい」
 すがるような眼差しで頼まれると、それ以上断ることもできず、烈火は頷くしかなかった。
「……ありがとう。でも、今日はもう休めよ。明日、また世話になるから」
「はい…!」
 本当に嬉しそうな沙弥香の笑顔に、烈火も表情を緩め、頷いた。
「…それじゃあ、今日はこれで失礼します。…烈火さんもゆっくり休んで下さいね」
「ああ。お休み」
「お休みなさい」
 ぺこりと頭を下げて立ち上がると、沙弥香はそっと部屋から退出し、最後に一礼して障子戸を閉めた。


 それから数日、沙弥香と彼女の両親の勧めもあり、烈火は傷が癒えるまでその旅籠(はたご)で養生することになった。
 遥たちもその方が良いだろうと判断し、彼女たちはひと足先に紅蓮の里へと戻っていった。
 もちろん、毎日必ず誰かが宿には顔を出し、烈火の様子を見にきていた。
 沙弥香は殆ど付きっきりと言ってもいいほどに烈火の身の周りの世話を焼き、時間を見つけては彼の傷の治癒を続けていた。
 その甲斐もあって、烈火の怪我は驚くほどの早さで日ごとに回復していった。
 通常では考えにくいその回復力に、町医者はしきりに首を傾げて理由を尋ねたが、烈火たちは沙弥香の心情を気遣って曖昧に誤魔化し、決して本当のことは話さなかった。

 ──そして、五日ほどの時間が過ぎた。


<其之七>





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