殷周の時代にも、既に易はあるのですよね。
仏教は、とか道教は、とか言い出すと、もはや封神演義そのものからして崩壊させてしまうようですが。
・・・あれ。易と道教は同じではない。ああ、まったく。
ことほど左様に生半可な今回のご報告ですが、とにもかくにもまいりましょう。
#大変遅くなりまして、失礼いたしました。
1 陰陽
お彼岸って何?秋分の日。それから春分の日。
秋分の日って何か、は確か小学校の理科の時間で習ったかと思います。
昼と夜の長さが同じ日。
太陽が真東から出て真西に沈む日。
夏至と冬至の間にある「秋分」は、このあとどんどん夜が長くなり。
冬至と夏至の間にある「春分」は、このあとどんどん昼が長くなっていきます。
ところで望ちゃんの太極図・・・の先っちょに付いてる太極図。
要するに、これ→
これは太極、というものを図に表したものですから太極図。
では太極とは何か。混沌。
万物の生じる、宇宙の根源。
ここから、陰と陽が生まれます。太極図とは、
太極を表し、
これから生まれる陰陽を表し(両儀)、
そして陰の中に陽、陽の中に陰があることを表し(四象)、
さらには陽が極まれば陰を生じ、陰が極まれば陽が伸び、無限に循環するということを表した、
その他にももっとたくさんのことを表しているだろう、奥深く微妙な図でございます。
四象をさらに陰と陽に分けた(結局、陰又は陽を三つ組み合わせた)ものを八卦といいます。
2の3乗で8通りあるから、八卦。
八卦を二つ組み合わせたものが、六十四卦。8×8で64通りあるからですね。
八卦、六十四卦を作ったのは、始まりの人、伏羲であるとされていますv
そしてこれらの卦の解説を、それから六十四卦を構成する一つ一つの陰陽(64×6=384の陰又は陽)の解説を
姫昌様と周公旦が著したということになっております。
(八卦を伏羲が作り、六十四卦を姫昌様が作ったという説もあります。)
伏羲と姫昌と周公旦と、それからその後に続く数知れない人が作り上げてきた、
「すべての事物は陰陽二つの消長に基づくという考え方による、算木と筮竹で吉兆禍福を判断する法」
(三省堂新明解国語辞典)。
これを、易といいます。
・・・ととと、閑話休題。八卦や六十四卦や解説書なんてのはほんとは別にどうでもよいことでした。
単純な陰と陽に戻りましょう。
万物の根源が混沌、そこから陰と陽が生じる。
つまり、すべての事物が陰陽の消長に基づく。
即ち、「年」という事物も陰陽が盛んになり衰えることによって説明されるわけで。
ようやく秋分・春分に戻ってきました。
冬至から夏至に向けては陽が伸びて行き、夏至から冬至に向けては陰が伸びてゆく。
昼と夜とが同じ長さである秋分・春分は、陰陽相半ばする日。
太極図を引いて表してみるとこんな感じ。
毎年毎年くるくると。
ちなみに、十二国記で使令を下すには生気の午前、というのもたぶん同じこと。
一日も陰と陽の変化のうちに。
これらを知ったからってそれだけで易が出来るわけではないのですけど。(^^ゞ
興味をお持ちになられたら、
こんなところで卦を立ててみることもできます。
しかし、立てるのは楽しいんですが結果はなんとも読みがたく。
・・・楽しければいいや、とやはり生半可な姿勢なのでした。(^^ゞ
2 彼此
さて一方、お彼岸は仏教の言葉でごさいます。
「彼」は「あれ」。向こうにあるものを表す言葉。だから彼方は遠い。
対義語は「此」これ。
ということで彼岸(ひがん)は向こう岸。対岸。悟りの世界。
煩悩を川の流れに例え、現世をこちらがわの岸に、浄土、つまり悟りの世界を向こう岸にみるわけです。
私たち、ふつうの人、欲を持ち、人にモノに執着して生きている人間が立っているのはこちら岸。
そして仏教の目的は悟ること。
こちらがわの岸即ち此岸(しがん)を離れ、彼岸に到達することです。
彼岸に到達する方法が、出家することであったり、正しく見、正しく思い、正しく語ることであったり、布施をし、戒律(殺さず盗まず淫れず欺かず深酒をせず)を守ることであったり、南無阿弥陀仏と唱えることであったり、南無妙法蓮華経と唱えることであったり、座禅することであったり、問答することであったり・・・と、またも話がそれるところでした。
この悟りを表す「彼岸」が、何故に秋分、春分と結び付いたか。
秋分、春分の日とその前後3日間をあわせた7日間、お寺さんでは彼岸会が行われます。
到彼岸会と呼ぶのが正確でしょうか。自分が彼岸に到ることを願った法要です。
このころは太陽が真西に沈むことから、西方の極楽浄土を観想するとされています。
ところがところが、これは仏教国の中でも日本でしか行われていない法要です。
彼岸(浄土、悟り)に到達することは国に限らず仏教が目的とするところですし、
paramita(波羅蜜多)がサンスクリット語、「到彼岸」はその訳語で(たぶん)中国でも使われます。
けれどインドでも中国でも、韓国でもタイでも、
秋分、春分のころに到彼岸を主題とした法要を行う習慣はないのですね。
日本では聖徳太子のころから行われたとか、平城天皇のころから行われたとか。
遅くとも平安時代には宮中で(?)彼岸会が行われていたとか。
紫式部のころにはすっかり定着したようで、既に「時期」を示す言葉として使われています。
「彼岸のころほひ渡りたまふ」(第21帖 少女)源氏は秋の彼岸のころ六条院にお引越しなさいました。
このように日本では秋分、春分のころに仏事が行われたこと、(しかもそれが現代まで続き、
「お彼岸」なんて言葉を知らない人はないくらい広く定着していること)には、
仏教だけでなくより古い日本の習俗が関係していると考えられます。
四季の移ろいがはっきりしている日本では秋分、春分という節目が重要なもの。
そもそも「日願」という太陽信仰の言葉が彼岸の由来だとも言われます。
秋分、春分の日の朝早く東の方向にある神社にお詣りして日の出を拝む「日拝み(ひおがみ)」という行事、
この日1日太陽とともに野山を歩いて、太陽の恵みと祖先への感謝の念を表す「日の伴(ひのとも)」という行事があったようです。
このような習俗と仏教が一体となって、「お彼岸」という行事は成立し、続いている。
・・・正確なところは、わからないのですが。
お彼岸の日、お墓参りに行くのは、すでに彼岸に至ったご先祖さまに思いを馳せること。
そして、彼岸というところについて考え、自分が彼岸に至れるように思いをめぐらすこと。
まあ亭主はご先祖さまに手を合わせても、自分が悟りを得ることなんて考えちゃいませんでしたが。
それは私だけではないですよねぇ?<相槌を強要しない(^^ゞ。
先祖供養が第一に来るのは、たぶん仏教の教えとは少しばかりずれたところにあるのでしょうが、
元々の民俗行事が先祖を敬うものであったからなのではないかと思います。
そもそも先祖を祭ること自体、本来仏教が求めていることではないはずなのですが、
しかしやっぱり人間はご先祖さまを拝みたくなるものなのでしょう。
日本の仏教は、本職として仏教に携わっている人はともかく私たち、ふつうの人の関わる仏教は、
ほとんどすべて先祖供養に尽きるという感がありますね。
国民の祝日を定める法律でも秋分の日は「祖先をうやまい、なくなつた人々をしのぶ」とされています。
まあ、彼岸に到達することを祈る日、なんて書けるはずもないのですが(笑)。
まして歴代の天皇の御霊を祭る日とも書けないでしょうけれど。
秋分、春分の日は戦前から秋季・春季皇霊祭として休日でした。
春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ」日とされています。
ふたつともに先祖をしのぶ日では多すぎると思われたのでしょうかね。
もともとが太陽の恵みに感謝する日であったとすれば、あながち外れてもいないかな、というところです。
余談ですが中国や台湾では、お彼岸(と言っていいのか・笑)にはお墓参りに行かないようですが、
清明節というお墓参りの行事がちゃんと別にあります。
やっぱり人間はご先祖さまを拝みたくなるものなのでしょう。
参考リンク先
【易について】
あちこち拝見したのですが、ネット上で対価を得て相談・占いをなさるサイトさまへのリンクは気が進まず。
そうでなく、とりわけ興味深く拝見したのはこちら。
占い・運命学 anecs >
易 いつもいつもお世話になっております
おこよみ焼きさま姉妹サイト。
易論研修会 「リンクフリーではありません」とのことでお名前のみ。
命学館
【彼岸について】
おこよみ焼き >
お彼岸 ほんとうに、いつもいつもお世話に。
宮川仏具店 > 宗派辞典 > 幸せになる方法 >
「此岸」と「彼岸」
浄土宗
諸行無常(音が鳴ります) > 般若心経 >
語句解説
NHK甲府放送局 > 山梨倶楽部 > 暮らしの民俗学 >
彼岸の民俗
情報としてではなく、一押しのお彼岸サイトはこちら。
彼岸の弥勒、此岸の百花(
奈良の都は咲く花のさま)
太極図は平安文様素材集
綺陽堂さまの、曼珠沙華は
篝火幻燈さまの素材です。
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