寿ぎの笑み



「小兄さまは?」
居られませぬ、と焦りを含んだ官の声を後ろに聞きながら、周公旦は苛立たしげに歩を進めた。日の出は近く、もう人探しに難渋するほどの暗さではない。兄の自室、中庭、膳所に望楼。姫発が居そうなところはすでに一通り自分の目でも確かめたのだが。
まさか執務室には居ないだろう。となればもう、街に出たと考えるほかなかった。

「・・・そんな、幾ら何でも」
声に出せば官人らをより恐縮させる。それがわかっていたから飲み込んだものの、旦としては舌打ちをしたいくらいのところだった。代わりに吐いた溜息が白く揺れる。
新年の儀式に世継が居なくてよいものか。しかも今日は、只事でない「新年」である。

「旦、どうしたんだい」
抑えようとしても抑え切れないといった態でかりかりとしている周公旦に、後ろからのんびりと声が掛けられた。旦は礼を執ったものの、頭を上げたときその表情は明らかに「何を呑気な」と言っている。
「小兄さまが、」
おいでになりません、と言い終えるより早く、姫昌は頷いた。こちらの表情はいつもどおりに穏やかだ。
「ああ、どうせまた街に出ているのだろう?構わないよ。」
しかし、と顔色を変えた周公旦が反論しようとするのを、姫昌は手を上げて止めた。
「諸官が待っているよ、早く新年の儀を済ませてしまおう」
そうして先に立って祖廟へと向かう。周公旦は動けなかった。

「父上!」
旦の声は悲痛といってもよかったが、姫昌は笑って振り返ることでそれを封じ込めた。
「早くおいで、みんなが凍えてしまうよ?」
重ねて促され、周公旦は父に従って歩き出すしかなかった。それでも後ろに控えて歩きながら再度の説得を試みようとした瞬間に、先手を打たれた。
「旦、お前が若水を汲んでおいで」
嫌です、と言えない訳ではなかったが、それは不孝であるばかりでなく無益であるということを、彼は重々承知していた。こんなときの父が決定を変えることはない。

「小兄さま、どうしていらしてくださらないのです・・・恨みますよ」
周公旦の呟きは、誰にも届かなかったはずだ。


そもそもの事の起こりは数ヶ月前、姫昌の突然の一言だ。
「旦。今年から、冬至の月に新年を祝うから」
「は?」
もちろん周公旦は聞き返した。姫昌はいつもの笑顔で同じ言葉を繰り返す。
殷の暦では新年は冬至の月の翌月だ。何故って初代の湯王がそう決めたから。
王がそう決めたから。
暦というのはそういうもので、だから旦は三度目を聞き返すことはしなかった。
ただ着々と暦をつくり、儀礼を用意し、城下に知らせたのだった。
殷に代わる。
改暦はそのような意味を持ち、だから初めての「新年」に、世継が居なくて良い筈がなかった。

「発も初めての新年を、一緒に祝いたい人がいるんだろう」
黙るしかなくなった周公旦に、姫昌はのどかな声で話しかける。
確かに街でも賑やかに晴れやかに、初めての新年が祝われているはずだ。 姫発はきっと仲間たちと快活に騒いでいるだろう。
「しかし、」と旦はまた言いかけてけれど言い止める。
何度繰り返しても同じ反論は、同じように退けられるしかないのだ。
旦には父の考えがわからない。

百歩譲って姫発不在で儀式を進めるとしたとしても。
発の在るべき場に自分を代わりに置くことなどありえない。あってはならない。
「それじゃあ儀式が終わらないだろう?」
父が言うだろうことは容易に想像がつき、そもそも旦には従う以外の選択肢はないのだが、彼はどうしても考え込むし、そして考えれば考えるほどわからない。

夜が明けた。さらさらと儀式は進む。
姫昌は壇上で天と祖霊に祝詞を奏し、民の安寧と豊作を祈る。
周公旦は淡々と儀礼をこなしつつ、まだずっと考えていた。

自分を兄に代えることなどあってはならないのに。
なのに自分のいま立つ位置はそれ以外の何物でもない。
ありえない。
何に腹を立てていいのかわからないのに苛々として落ち着かない周公旦は、ひとつの問いに捕らわれた。

それはちょっと偽悪的な。いや実際のところ思うだけでも不忠な。
本心からの問いではない、と思う自分と、これが本心かもしれない、と思う自分の、両方がいた。

城奥の井戸で今年初めて汲んだ水を、壇に昇り姫昌に渡す。
手渡すとき水瓶の中でとぷんと水が跳ねた。

「私がここに代わっても、よろしいのですか」

受け取った姫昌と視線が合ったその一瞬に、囁く。
父親を困らせてやりたいと思ったのは、きっと本心の一部だ。
次の姫昌の答えは、欠片も予想していなかった。

「いいよ」

間髪入れずに返された答え。
姫昌の手の中では、水は動かなかった。さっき旦の立てた波紋が、きれいに円を描いている。
水瓶がすでに旦の手から離れているのは幸いだった。持っていたとしたら取り落とさなかった自信はない。

自分の言ったことなのに、眉を跳ね上げかつうろたえた周公旦に、姫昌は微笑みかけた。
「いいよ、お前が心底望むのならね。それが旦の本心なら、私はお前を推すよ」

「なっ・・・!」
口を開こうとした旦を目配せで制し、姫昌は旦に背を向けて水瓶を祭壇に捧げる。
周公旦も儀式の最中であったことを思い出し、我に返って壇を降りた。


あれは天と祖霊を前にした一言。ありえない。あってはならない。
普段でも姫昌は無論軽々に口先だけを言いはしないが、天の前に誓った言葉は覆せない。
あんな言葉を?嘘だと言ってもらいたいのに。
結局うろたえているのが自分で、父の考えは考えるほどわからない。
姫昌の余裕の笑みが、癪に障った。

(父上?)
ありえない。・・・ありえない?
「いいよ、お前が心底望むのならね」
姫昌の囁きが、耳の中に蘇る。
恙無く全ての次第を終えて壇を降りてくる姫昌と目が合ったとき、旦はやられた、と呻いた。

心底望むのなら。

いつの間にか、問われているのは彼なのだ。
まずもって、いま心底望んでいないことを見抜かれている。
だってありえない。周公旦はそれをありえないことだと考えている。
そして、さらに。

旦が心底望むのなら。

全ての手を打ち尽くして、それ以外に手がないと思うなら。
全ての事情を考慮して、それが本当に最善だと思うなら。
そうなって初めて、自分は心底それを望むだろう。

旦が立てば世は荒れる。それはもう、間違いなく荒れる。
そんなことを自分は望まない。
それを父は知っている。
それでもなお代わることが望ましければ。
いや、旦の次兄はそんな王にはならないだろう。
姫発は確かにいいかげんで、言いたいことは山とありはするけれど、王にとって最も肝心なのはそこではない。
それも旦はわきまえている。これもまた父の掌の上。

そして、それでも。
それもこれも全てを考慮してしかもなお。
民のためにそれが唯一最善だと思うなら。

そのとき自分のその判断を是とすると、父はそう言っている。
本心から、自分がそれを望むなら。

それはある種信頼に違いない、いや絶対的な信頼と言ってもいい。
けれどこれは要求だ、呆れるほどに高い。

その判断にはひとかけらのかげりも許されない。
正しく判断し、そしてその状況に至るまでの判断も行動も、すべて正しくなければならない。
自分にも責められるべき点があることを知りながら、兄に代わることを心底望むことなんて、旦には到底できないだろう。
そして望んだら、為せ、と。
さらには必要があれば、望め、と。

姫昌は、天かけて祖霊にかけて、それを推すと誓ったのだ。

呻きたくなるほど厄介で物騒な要求を、このひとは笑顔に紛れて放り投げる。


儀式に続く祝いの宴に向かう周公旦の肩を、後ろからやってきた姫昌がぽんと叩いた。
「旦、難しい顔をして、どうかしたかね?」
「いえ、別に・・・。」
なんと答えていいかわからない旦に、姫昌は今年もう何度目かの笑顔を向けた。

「明けましておめでとう。今年もよろしく頼むよ」
それは去年の、そしていま現在の旦への信頼。
だから心配しなくていい。いまのままのお前でいいから。
笑顔の中にはいろんなものが紛れている。

「・・・はい」

返事をした周公旦の顔も、少し緩んだ。



カウンタ20001を踏んでくださったぬのさまに。
たいっへんお待たせいたしました<(_ _)>。ごめんなさい。
お題は「かっこよくて男前な姫昌様の話」。
姫昌様の話、です。旦の話でも発の話でもなくて。・・です・・よね?
亭主は息子たちを手玉にとって楽しむ姫昌様が大好きですo(^-^)o
だから逆に、甘えてみてる四男の話でも、密かに信頼されてるかもしれない次男の話でも、
試されてるかもしれない三男の話(^_^;)、でもいいのかも知れませんが。
伯邑考あんちゃんは出せなくてごめんなさい。

さて嘘報告は必要です・・・嘘と言うよりある線より先はでっち上げ?
ぬのさまにおかれてはたぶん既知の事実のご報告になろうかと思いますが、
せずにはいられない亭主の言い訳としてお読みくださいませ。

大変にお待たせした挙句、詳しい方には粗も目に付くでしょうが、心をこめて。
(明らかな誤りがあればどうかどうかご指摘ください。)
今後ともよろしくお願いいたします。

05.11.23 水波 拝

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