「バレンタイン CRISIS」
竜の棲む峰々は気高く聳え、天蓋の青は澄んで高い。
南の武国、ベルンの朝である。日はすでに昇り、冬の少しくすんだ色合いの日差しが、深い森の中にある館の庭にも差し込んでいた
鈍い日を銀色に弾いて煌く二振りの刃が、削りあい、結びあい、時として火花を散らして鳴っている。黒い牙の頭領、ブレンダンの息子二人は、おのおの得物を構え、互いの隙を伺っていた。それはよくある光景だった。稽古にしろ、ただの戯れ事にしろ、兄と弟が剣で打ち合うのは日常のことだ。会話するのと変わらない、コミュニケーションの一環である。
しかしながら、今回は少しばかり本気の度が過ぎていた。
「何でそんなに嫌がるんだよおっ」
ライナスは剣を挟んで対峙した兄を睨みつけた。つり気味の目の眦がさらに険を強くする。ぐるっ、と唸るように喉が鳴り、とがり気味の犬歯が口元に覗いて冬の日を白く弾いた。
ロイドは弟の問いには答えず、形の良い唇をむっつりと引き結んだ。いつもは少し眠たげな印象のある目が不機嫌に据わり、はしばみ色の瞳にはひやりと冷たい殺気がこもる。
間合いを取ったまま、切っ先は弟の顔に向け、外さない。
「兄貴の、ばっかヤロオォォォ」
ライナスが、あたりを震わせるような叫びを上げながら、打ちかかってくる。両手持ちのバスタードソードを軽々と片手で振り回す怪力である。横殴りの一撃を、ロイドはすっと後ろに引いて、最小限の動きで避ける。大振りになりそうなところを、力で引き戻して斜めにもう一撃。下から切り上げる動きで細身の刃が交差する。
剣と腕のリーチからすれば、ライナスのほうが有利なはずなのだが、ロイドは素早い身のこなしで、一瞬で懐の中に飛び込んできた。銀の剣の切っ先が、ライナスの喉元をめがけて数度突き出されてくる。ひゅっ、と喉元を掠める風を感じ、ぞくりと肌が泡立った。ライナスはバランスを崩しかけながらも、後ろへと飛びのいた。
「あっぶねえなあ、殺す気かよ」
体勢を整え、大きく足を開いて低く構え直す。人並み外れて背が高いから、そうすると兄の目線と同じ高さで噛みあった。
「殺す」
ロイドは不機嫌なしかめ面のまま、吐き捨てた。
ライナスは、情け容赦の無い兄の言葉にへたりこみそうになる自分を叱咤した。
「なんで、そんな嫌がるんだよ。俺にチョコレートを渡してくれれば、そんだけでいいんだからよ」
――――そのあと、兄貴から口付けして欲しいとか、ホントのことを言えば、口と口で渡して欲しいとか、そんなこたァ頭ン中で思いはしたけど、一言だって口にしちゃあいねえじゃねえかよ。ほんとにぶっ殺されるのは嫌だもんな――――
「チョコだって、俺が用意してきたんだから、兄貴はちょっとこいつを持って、俺に差し出してくれれば――――」
「嫌なものは、嫌だっつってんだろうが」
「いいじゃねえか、お祭りなんだからよ。今日は、好きな相手からエリミーヌ様のご加護と愛を込めてチョコレートをもらうっていう、めでたい日なんだぜ」
「おまえの言ってることは、話が逆だ。女が、好きな相手にチョコレートを渡すと、エリミーヌの加護を得て、男の愛を得られるってのが言い伝えだろうが」
いかにも、げんなり、といった口調で、ロイドは弟の言葉を訂正した。
「なあんだ。兄貴、良く知ってるんじゃねえか。だからさあ、俺にこいつを渡してくれれば―――」
ライナスは、何度か押し付けようとして突っ返された小さな包みをポケットから取り出した。何とかして兄の手に押しこもうとする。背中に氷水をぶっかけられたような冷ややかさを感じ、慌てて突き出した腕を引くと、銀色の一閃が凄まじい速さで通りすぎていった。痒みのような皮膚の突っ張りを感じて腕を見れば、つうっと一筋の赤い筋が引いた。
「あっっぶねー。利き腕落とす気かよ」
「腕でも首でも、てめェの好きなところを叩き落としてやる。そんなに甘いモンが欲しいってんなら、街に行ってどこぞの女にでももらってこい」
「おう、もらってきたぜ。山ほどな」
チョコレートを買いに街まで出かけたときに、女たちから山のような甘物を押し付けられたのである。白狼さまに、と渡された包みも一山ですまないほどの量があった。兄あての分は、包みをひきむしって片端から喰らってしまったが。
「兄貴あてのも、いっぱいあるぜ。喰ってやれよ」
ロイドの目が、うろたえたように揺らめくのを、ライナスは身逃さなかった。
「誰が食うか―――あんな甘いもの」
ロイドは刃を下ろし、口元を手で押さえた。ライナスに意志の表現をして見せるイヤな顔ではなくて、本当に、心からイヤーな顔になっている。眉が少し下がり気味になった兄の困り顔を見て、ライナスの心臓はどきりと波打った。声に出しては言えないが、そういうスキのある時の兄は、たいへんに可愛いのである。
隙をついて抱きしめようと腕を伸ばす。掌に腰の辺りを捕らえたが、ロイドは身体を回しながら、肘を上げて顔を狙ってきた。それがみごとに鼻ッ柱に入って目から火花が飛ぶが、兄の身体を捕らえた手は放さない。無理やり引き寄せ、力任せに抱きしめて、剣を握った腕の自由を奪う。ロイドの手から剣が落ち、カランと音がした。目線が合って、火花が散る。
「兄ちゃんたち!」
屋敷のほうから、澄んだ少女の声がした。
にらみ合っていた兄弟は一瞬ハッとした顔をして、戦闘体制を解いた。抱き合うような体制になっていたのに気づいて、お互いに一歩ずつ距離をとる。
屋敷から少女の華奢な身体が飛び出してきて、ぱたぱたと駆け寄ってくる。
ニノは細い脚にひらひらしたスカートを纏わりつかせ、白い皿を捧げ持っている。反射的に走りだそうとした兄の身体を、ライナスは後ろから両脇に手を突っ込んで、がっちりと縫いとめた。
「うっわ、馬鹿、何しやがる」
「兄貴こそ、いったい、どこに逃げる気だよ」
「逃げてねえ。これは、身体が勝手に――――」
「兄ちゃんたち、あたし、チョコレート作ったの。これ、兄ちゃんたち用に特別製なんだよ。はい、エリミーヌ様のご加護を込めて」
にっこりと、満開の花のように笑ったニノが白い大きな皿を差し出した。そこにはうずたかく積みあがった、粘度の高そうな黒っぽい固まりが、なんともいえない駄々甘い匂いを放っていた。チョコの匂いだけではない、どう考えても食べ物とは思えない、女の使う脂粉のような香りと、さらに得体の知れない匂いも混ざっている。
「おう、ありがとうよ、ニノ!うわあ、うまそうじゃねえか」
ロイドを抱えたまま、ライナスはでかい口をニカッを開いて笑った。抱きとめた兄の身体が、木切れでできた人形のように固まるのが伝わってきた。
数十分後、ライナスは屋敷の庭に座り込んだ兄の背を支えていた。座るというより、へたりこんでいたというのが正しいかも知れない。
ロイドは、ニノ作のチョコレートの幾つかの固まりを、どうにか表情を変えずに飲み込んだ。空の皿を嬉しそうに下げた義妹が、おかわりを持ってくるというのを、丁重に断るのに最後の力を使い果たし、ニノの姿が屋敷の中に消えるのと同時に、膝が砕けたのを、ライナスが抱きとめたのである。
「大丈夫かよ、兄貴」
「―――――――――――――――――――――――大丈夫だ」
苦しそうに丸まっている背中を、大きな掌でさすってやる。
「や……さわる、な」
その声は、擦れて弱い。
「部屋まで、運んでいこうか」
肩を掴んで身体を引き起こそうとすると、屈み込んでいた身体が震えるのが、指先に伝わってきた。のろのろとロイドの顔が上がる。そのはしばみ色の目は熱っぽくうるんでいる。
「はなせ―――」
兄の唇が震えながら言葉を紡ぐのを見る。その唇から目が離せなくなり、気がつくと、飢えた人が肉に喰らいつくように、激しく口付けていた。
抱きしめた身体を持上げるようにして、庭の外れ、樹影の濃い場所へと連れ込んだ。太い樹の、屋敷から陰になる側に兄の身体を縫い止める。
「つっ―――馬鹿」
抗議を始めようとする唇に喰らいついて、深く唇を合わせる。唇を掠める兄の息は熱い。
「ん―――ライナス、馬鹿野郎―――」
めずらしく、兄の方から舌を差し込んできたのに驚く。口の中に入り込んできた舌を咀嚼するように噛んでやると、腕が首に絡みついてきた。腿を脚の間に差し込んで、ずるりと股間を擦ると、ロイドの口から低い喘ぎが上がった。すでにひどく固くなっている中心を確かめるように掌に包むと、じれったげに腰が擦りつけられてきた。
「ライナス―――」
兄のきれいに整った顔が、辛そうに歪む。震える唇の間からちらちらと舌が覗いた。服の上から、性器をもみしだくようにしてやると、固く目を瞑ったまま、自分の唇をゆっくりと舐める。
「兄貴――――」
呼ぶと、僅かに目が開き、濡れて光る瞳が覗いた。
「絶対変だ」
「変だよな」
同じ懸念を含んだ声が被る。
それ以上深く考えようにも、熱のある人のように、一枚ヴェールを通したかのように、思考と感覚がぼんやりと鈍りはじめている。
「ライナス、ライナス――――」
泣き出しそうな声で名を呼ばれ、わけの分からない熱の中に、巻き込まれるのを感じた。ただ、腕の中の熱と、自分自身の熱だけを感じる。
幾度も入り込んで、吐き出して、繋がり続けたまま狂ったような交わりを続ける。
兄の声が切れ切れに自分の名前を呼ぶのが聞こえ、それがひどく愛しかった。優しくしてやりたいと思うのに、獣のようにむさぼる動作を止められない。突きこまれて反り返る背中を爪を立てて捕まえ、さらに深くまで入り、引き出し、押し込む。熱い粘膜が絡みついてくるのが気持良い。押しひしがれた身体が、悲鳴のような声を上げた。
締まった胴のあたりに腕を回し、なんども打ち付ける。くちゅくちゅと、内側の擦れる水音と、ぱん、ぱん、と最奥に打ち付けるときの、肌と肌がぶつかりあう音。鼻の奥と舌の上に、ひどく甘ったるい、味と香りが残っている。
「ライナス、ライナ―――」
兄の背がびくびくと反って、常には剣を握る指が、草をかきむしるように動いた。前を握り込んで扱くと、指先が熱い液体で濡れる。
「あっ、ああ―――はあっ、は…っ」
肩を大きく揺らして、息をつく身体から、いまだ固い凶器のような己を抜き出す。ロイドがはあっと息を吐き出し、緊張の残っていた身体から力が抜けきる。
「ん―――」
身体を返して顔を覗き込むと、閉じていた瞼がゆっくりと上がった。いつもははっきりとした意志を浮かべている金茶色の目はひどく揺らいでいて、それでも濡れた熱の底に、ライナスを様子を測っているらしい兄の理性を感じる。もう一度中に入り込もうと脚を開かせると、小さな溜息が聞こえた。ロイドは再び目を閉じ、整った横顔を見せた。息が上がったままなのに、その顔はいつもより白く、寄せられた眉が少し苦しげに見える。
「だめだ」
ライナスは唇をがりっと噛んで、どうにか動きを止める。
「だめだ―――」
「ライナス?」
ロイドが、探るように見上げてきた。
「だめだよ、こんなん。止めらんなくて、兄貴を殺しちまうよ」
汗だか涙だか分からない流れが、頬を伝った。
「こんなもんで、俺が死ぬか、馬鹿」
べちっ、と音のする強さで頭を小突かれる。顔を両手で掴んで引き寄せられた。ロイドは自分から脚を開いて、腰の辺りに絡みつかせてきた。頬を舐められる感触がくすぐったい。
「しょっぱい」
顔をしかめた兄が、楽しそうに喉声で笑う。
「ライナス」
熱っぽい目が見つめてきた。
その表情を見て、ライナスは息を飲む。そんな兄の顔は今まで見たことが無かった。目元も口元も甘く溶けて、誘いかけてくる。
――――そんな顔して。知らねえぜ、どうなっても――――
指で入り口を探りあて、濡れた体内へと一気に入り込む。
あからさまに艶めいた嬌声が上がり、ライナスの心を震わせる。微笑みをふくんだままの兄の唇が、コロセ、と言った。
ライナスが、台所にてお菓子の研究に余念のない義妹を捕まえたのは、次の日であった。
「よう、ニノ。昨日の特別製チョコレートとやらの作り方を教えてもらいたいんだがよ」
「うん、いいよ。ええと、ちょっと待ってね」
よいしょ、とニノが重そうにテーブルの上に広げたのは、少女の腕にようやく抱えられるほどの大きな本だった。ルーン文字で飾られた厳しい表紙には、「魔道大全 第三十二巻」と銀の箔押しで刻印がしてある。台所にはまったくもって相応しからぬ本である。
「あった。これなの。魔道文字で、媚薬入りチョコレートって書いてあるんだよ。ラガルトおじさんに媚薬って何?って聞いたら、仲良くなれる薬だって。ロイド兄ちゃんとライナス兄ちゃんに食わせてやれば喜ぶぞって――――」
「あんの、クソ馬鹿………」
押し殺したような声が、ライナスの後ろから聞こえた。地の底から湧きあがるような冷たい殺気が背中に伝わってきて、思わず亀のように首をすくめる。
「ニノ。この本に載っている食い物は、以後絶対に作るな。わかったな」
言葉と表情は穏やかだったが、ロイドの笑顔には凄みがあった。
「あ、う、うん。ロイド兄ちゃんがそう言うなら。でも、これとか美味しそうなんだよ、ほら。イボガエルを使ったブルーベリーのパイとか、ナメクジいっぱいのオレンジピール―――」
ライナスはおそるおそる振り返ってみる。
ロイドは抜き身の剣をぶらりと下げ、気分悪げに口元を押さえながら、ふらふらと台所を出て行った。
END
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