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「人の望みの喜びを」




エレブ大陸の西端、西方三島と呼ばれる辺境の島々の一つに、封印を解かれた神将器、天雷の斧アルマーズが眠る洞窟がある。島の中央、火を抱く山の真黒く焼かれた岩肌の根元に、硫黄臭い煙が吹き上がる開口部が口を開けていた。

人の背丈ほどの入り口から覗いても、暗く深い闇に向かって、延々と岩肌が続くのが見えるだけだ。熱と煙に満たされたそこは、根の国への入り口とも見える。
紺青の髪の大男が、強い硫黄の匂いに顔をしかめながら、闇の奥を覗きこんでいた。魔導師らしい長いローブをまとった、白髭白髪の老人と見える姿がその傍らにある。





マシューは落ち着かぬ気持を抱えて、オスティアの城の廊下を歩いていた。オスティアの密偵であるマシューは、城に在る時でも、盗賊のような軽い拵えをしている。常には活気のある金茶の瞳が、今は物思いに沈んで揺らいでいる。

若さまは、すでにアルマーズの洞窟へと入っただろうか。
厳しい試練の待つという、封印の洞窟へ。

リキアの公子エリウッドの率いる一行は、ベルンでの黒い牙との決戦の後、ここオスティアに退いて戦力の立て直しを図っている。転戦につぐ転戦を強いられ、人は疲弊し物資は不足していた。オスティアは堅固な守りを誇る城郭を持ち、豊かな物流の拠点でもある。足を休めるのに、これ以上の場所は無い。

仲間たちが一時の休息を得る中、マシューの仕える主人であるオスティア候弟ヘクトルは、八英雄の力を伝えるという伝説の武器を手にすべく、大賢者と共に辺境へと飛んでいた。文字通り、魔道の力で時と場所とを飛び越える技を目の当たりにし、ヘクトルの姿が幻のように掻き消えるのを見送った。それから、一時とは経っていないのだが、落ち着かずにうろうろとしているものだから、妙に時間が経つのが遅い。

あの餓鬼でもからかってくるか。
サカ生まれの少年のもとへ向かおうと廊下を歩き出したところで、眩暈のようなふわりと足元の浮く感覚があった。続いて一瞬、視界を覆う白。首根っこを捕まれて振られたかのように、頭の中身が揺れる。気がついた時には吸い込まれるような深い闇を覗き込んでいた。

マシューは、何が起きたのか分からず混乱する。
一瞬前までは、オスティアの城の廊下を歩いていたのである。何事かと思って振り返ると、見慣れた紺青の髪が目に入った。そこにはアルマーズの斧を求めて西方にいるはずのヘクトルと、白髪の老人と見える男が立っていた。

「おう、悪ィな。じいさんが誰か連れてけって言うからよ。お前を呼んでもらった」

額を押さえて座り込みかけるマシューに、ヘクトルが話しかけてくる。

「―――っ。呼び寄せるなら呼び寄せるで、一言かけてくれよ、じいさん。頭ん中ァ、まだぐるぐる回ってるぜ」

老人と見えている賢者の名はアトス。千年を超えし伝説の八勇者の一人である。足元近くまで流れ落ちる白髪と白い髭、庇のごとく伸びた眉の下の目は炯々と光る。

目の前に口を開けているのがアルマーズの洞窟であり、アトスの魔道の力によって、オスティアから辺境の洞窟までを一瞬に飛び越えたのだということが、ようやく分かる。
オスティアの主従から、仲良くじいさん呼ばわりされた大賢者は、ふむ、と一つ唸った。

「んじゃ、行ってくっからよ、じいさん」

それ以上の説明をすることなく、ヘクトルは洞窟の入り口へと向かう。
ヘクトルの後を追って行こうと、マシューはいまだ揺れる頭を押さえながら立ち上がる。

「おぬしらが行くは、試練の道じゃ。心して進むがよい。天雷の斧を手に取るものは、その力を試されようぞ」

「なにがあっても、俺は退かねぇよ」

振り向いた紺青の瞳は強い光を浮かべている。
エリウッドのために。幼馴染の友への友誼のために。
ヘクトルはその力をアルマーズとテュルバンに示さなければならない。

「ちょっとたんま―――待ってくださいよ、若さま。俺はまだ目ェ回ってんですから」

「おぬしもだ。オスティアの目よ。試練の道に踏み込む者は、その心を試される」

ヘクトルの広い背を追うマシューに、アトスの声がかかる。

「俺も退かねえよ、じいさん」

洞窟の入り口に立つアトスに笑いかけ、すでに曲がりくねった岩壁の奥に姿を消した主人に続いて、マシューは地の底へと続く頻闇へと踏み込んだ。




ヘクトルとマシューは、魂だけの存在となってもなお、アルマーズを守護し続ける兵士たちをを倒しながら、洞窟の中へと入り込んでいった。
洞窟の奥、洞窟の壁自体がほの明るく光る、宮殿の広間のごとく開けた場所に、目指す玉座を見つける。

「よし、たどり着いたぜ、アトスのじいさん」

ヘクトルが、玉座に近づきながら吼える。

「若さま―――下がって」

マシューは叫んだ。
玉座にぼうっとした影が浮かび、霧のようなそれがゆっくりと凝って人型をとる。
誰も居なかった玉座には、逞しい筋肉に覆われた巨躯を持つ男が座っていた。裸の上半身には無数の刀傷が走っている。頭に、獣の頭皮を被っており、その奥に強く光る目が覗く。

おお―――戦の匂いがするぞ。

野太い声が響く。玉座に在る男から発せられているというより、地を伝って直接体に響いてくる波動であった。背骨を伝ってくる低い哄笑に、マシューは思わず身震いする。玉座に向かって刃を構えようと思うのに、身体は凍りついたように動かない。

我を戦わせろ。
我が故郷と慣れしは戦場。
我は力なり。
我はテュルバン。
我はアルマーズ。


「なんだと―――」

ヘクトルが口を開く。

我こそは力なり。
我は封印を望まぬ。
無為なる平和を望まぬ。
流される血を啜り、絶命の声を凱歌と聞く。
累々と横たわる屍の続くを、覇者の道と成す。


「あぶねえやつだなあ、おまえ」

常と変わらぬ、ヘクトルの朗々と響く声。

「テュルバン。いや、アルマーズか―――どっちでもいい。俺に力を貸せ」

ヘクトルの紺青の瞳と、玉座の男の影の中にあってなお爛々と光る目が対峙する。

我を求めるか。
我が力を手にするものは、
安寧の床に絶えること叶わず。
お前の死に場所は戦場。
我が愛しき住処なる、狂乱の楽土。
血に塗れ、鋼に打ち砕かれ、
苦悶と絶望とに看取られて、
その屍を晒すこととなる。


それは不吉な予言である。
動かぬ体を震わせ、マシューは叫ぼうとした。
やめてくれ―――そう言おうとするのに、声が出ない。ヘクトルの背を見つめながら、指先一つ動かせなかった。

やめてください―――どうか。

オスティアの主が戦に倒れるということが、何を示すのか分からぬわけではあるまい。
それでも、返事が一つであることは分かっている。自らの遠い未来を思い煩って、今この時、踏み出すことを躊躇うような男ではなかった。その行いを止めようとするのは、ひどく愚かなことなのだと分かっている。それでも―――

やめて―――

その背にすがって、ヘクトルの言葉を止めたかった。

「かまわねえ。俺はエリウッドを助ける」

若さま―――ああ。

「アルマーズ。その力、俺に貸せ」

―――承知。

契約は成された。
マシューは心の中で呻く。
身体を動かずことが出来ぬまま、視界を闇に奪われる。





気がつくと、そこはいまだ漆黒の闇の中だった。
身体の感覚が無かった。
視覚も奪われているのだろうと思ったが、闇に慣れてきた目が、微かな揺らめく光を捉える。鉄格子のはまった扉の向こうから、蝋燭の明かりが漏れてきている。
マシューは狭く暗い部屋の中、壁に寄りかかるように立っていた。石造りの床と壁。冷たい湿気が身体を包んでくる。

どこだ、ここは。

歩いてみようと思うが、身体は動かぬままだ。
誰もいないと思っていた部屋の真ん中あたり、倒れ伏している男に気づく。

誰だ―――

男が低く呻き、足掻くように寝返りを打つ。髭に覆われたその顔が、暗闇の中だというのにはっきりと見て取れた。

あ…あ、若さま―――

年齢と苦痛とで面変わりしていても、それが誰かはすぐに判る。愛しい主の顔を見違えたりはしない。
ごぼごぼと、咳き込むような、水っぽい音が聞こえる。駆け寄って抱き起こそうと思うのに、身体が動かず、悲鳴を上げる。

我が力を振るいたる者、
安寧なる死の床に就くこと適わず。
鋼に貫かれ、孤独と絶望の中に、屍を晒す。


頭の中に響いてくる、韻々たる声。
マシューは心の中、その声の主である狂神へと嘆願する。

あの人を、ひとりで往かせないでくれ。
俺をあの人の傍に置いてくれ。
お願いだから、傍に―――

それは適わぬ。
汝の定めは他にある。


倒れ伏す男の姿が、闇の中に溶けて消える。
マシューは再び頻闇の中にいた。身体はひどく重く、背に冷たく硬い地面がある。腹から腰のあたりに激痛が走って、たまらずに呻く。戦場に交わされる剣戟や雄叫び、そこに混じる苦鳴の響きが、遠く聞こえる

「マシュー」

戦塵の向こうから、名を呼ぶ声があった。
大きな手が身体に掛かり、腕の中に抱きかかえられる。

「マシュー、おい」

目を開けようとするが、瞼が重い。
自分を抱く人の顔が見たい。頬に頬を摺り寄せられて、その濡れた感触で、ヘクトルが泣いているのだと分かる。
痛みも寒さも遠ざかっていき、ただ抱かれる温みだけが残る。
心を満たす、その幸せ。

それが、汝の定め。
戦場に在りて、主の腕の中、死を迎える。


俺が、あの人の死の床に侍れないというのなら、
せめて誰かを―――
あの人を一人にしないでくれ。

愛いことを言う。

低い声が笑う。

運命を変えよとは、人の身を超えた、大それた願いぞ。
望みには、代償がいる。


俺に出来ることなら、何でも。
心に強く思う。

次の瞬間、マシューは再び、倒れ伏すヘクトルの身体を見つめていた。

若さま―――

呼びかけようにも、声が出ない。
ただ、その身体を見守っていると、遠くから近づく足音があった。
扉が開く。
微かな光に浮かんで、紅の髪が見えた。

エリウッドさま―――

オスティアの紺青と鮮やかな対を成す、フェレの真紅。その色を目にし、泣きたいような安堵が心に広がる。
エリウッドさまが見送ってくださるというなら、それ以上のことは無い。若さまがその運命を投げ出すほどに心から愛する人が、最後の時にそばに居てくれるというのなら。
だが、入ってきたのは一人の少年だった。エリウッドではない。しかし燃える火のようなその髪は間違いなくフェレの真紅だ。

エリウッドさまのお血筋か―――

少年がヘクトルの頭を膝の上に抱き上げ、名を呼ぶ。

―――これが汝の望みか。

太い声が囁きかけてくる。

そうだ。
これが俺の望み。
どうか、叶えてくれ。

我は戦神。
我が叶えるは、戦場での死。
汝の主の定めを変えようというのなら、
汝の定めも変わる。


ふっ、と身体が落ちる感覚。
マシューは冷たい泥濘の中に倒れていた。雨が叩きつけるように降っている。
身体の芯まで、凍えるように冷たい。
どうにか目を開けると、片目にかろうじて視力が残っていた。重い曇天が、赤く広がる。
首を廻らして横を見ると、誰のものだか分からない屍。ありえない方向に曲がって投げ出されている自分の腕。

汝は死ぬだろう。

無慈悲な狂神の声が響く。

汝は死ぬだろう。
戦場で。
泥濘のなかに倒れ、
屍のなかに混ざって。


体の中、ごぼごぼと水音。呼吸が出来ないが、肺に溜まった水分を吐き出すだけの力が残っていない。赤かった視界が、たった一つの色さえ失い、灰色ににじみ、闇に染まる。

―――若さま、どこです。

誰に看取られることもなく死を迎え、
屍は木っ端のように、
戦場を駆ける馬どもに蹴散らされ、
誰とも分からぬままに腐り果てよう。


若さま―――

ここは、寒い。

抱いて。

運命は入れ変わり、
汝はただひとり、孤独と絶望の中に、死を迎える。
これが汝の望みか。


そうだ。
これが俺の望み。これ以上は無い、喜び。
テュルバンよ、アルマーズよ。
どうか叶えてくれ―――

―――承知。

低い応えを聞いた。
聞いたと思った。

再びヘクトルを抱きかかえる少年の姿が見える。
その姿を見て、マシューは微笑みながら、涙を流す。
死に臨む主の唇が、マシューの知らない名前を呼んだ。
それから、壁際に立つマシューが見えているかのように、ヘクトルの視線がゆっくりとマシューの顔へと向けられてくる。赤い髪をした少年が、驚いたように顔を上げる。
紺青の目が立ち尽くすマシューの目を見つめてきた。ゆっくりとその手が差し伸べられ、もう一つの名前が呼ばれるのを聞く―――





「マシュー、おい、しっかりしろよ」

間近にヘクトルの声がして、名前を呼ばれる。

「ん―――」

マシューは目を開ける。気がつくと、ヘクトルの腕に抱きかかえられていた。

「あれ、俺、なんで―――」

「アルマーズ手に入れて振り向いたら、おまえがぶっ倒れていやがったんだよ。大丈夫か。どっか打ってないか」

ヘクトルの手が頬を撫で、その感触に誘われたように涙が零れ落ちる。

「うわ…俺なんで…泣いてんですか」

「それは俺が聞きてえよ。どっか痛えとかじゃないんだな」

痛いか―――いや、どこも痛くは無い。そう思ってから、胸の奥が、ひどく泣きたい時のように、痛いほどに重苦しいのに気づく。

「夢を―――」

「ん?」

「夢を見ていたような気がします」

ひどく長い、ひどく悲しい夢を。

「ここには特殊な結界があるとか何とか、じいさんが言ってたな。その影響かもしれねえ。ともかくここを出るぜ。おーい、アトスのじいさん。アルマーズは手に入れたぜ」

虚空に向かってヘクトルが叫ぶ。一瞬の間があって、魔道の力で空間が歪み始め、視界がぐらりと揺れた。思わず目を閉じてヘクトルの肩にしがみつく。
その温みが、身体に染みるようで、何故だか胸の奥が痛かった。





マシューがアルマーズの洞窟で見た夢の全容を思い出すのは、それから十数年を経て後のこととなる。
戦場に在って、微笑みながら。



END



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