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「傍らに在る風の名前」 




ごめんね。
私は帰る。

地平を越え、
果てなく広がる
緑の中へ。

ひとり、草の褥に倨居し、空に手を差し伸べ謳いましょう。
それは楽天。なれし故郷。
父と母が眠る場所―――いつか、私も還る場所へ。



帰郷の旅路へと歩き出した少女は、二度と振り返らなかった。
数年前、サカからキアランに向かう旅の間、身につけていた素軽いサカの服をもう一度まとい、腰に一振りの剣を携えて。
リンディスと呼ばれたキアランの公女は、一人のサカの少女へと戻っていく。
リンのサカへと向かう旅立ちを、キアランの騎士二人だけが見送った。



キアランの騎士団長を勤めるケントは、見送りなどいらないからと断る少女に、せめてキアランの領境までと申し出て、セインと二人だけの随行を許された。

「ここでいい」

人里を離れ、波打って幾重にも広がる新緑の丘の上に国境の関がある。境の印を越えるとすぐに、リンは乗っていた馬から飛び降りた。手綱を渡しながら、生き生きとした輝きを宿す緑色の瞳がケントを見上げ、顔を覗きこんできた。

「ごめんね、ケント。私、キアランの公女にはなれなかった」

「いいえ」

ケントは首を振る。

「リンディス様は、ご立派な公女でいらっしゃいます。サカへ向かわれても、あなたは私たちの公女なのです」

そう言って、せいいっぱいの微笑みを浮かべる。

エレブの運命をかけた戦いから二年。キアラン公爵の死の後、公爵位を継ぐことは固辞しながらも、公女としてのリンディスは、戦乱で荒れた国の立て直しのために、身を削るようにして働いてきていた。祖父を失った寂しさも、故郷の草原を恋うる気持も口にはせず、石造りの館で笑って暮らした。国の代表としてオスティアとの交渉の表に立ち、キアランの差配をオスティア公爵のもとへと滞りなく移し終えるのに時間がかかったが、それも成し遂げた。キアランの公女の名が、誰よりも相応しい誇り高い娘だ。

「元気でね、ケント、セイン。母なる大地の恵みと父なる天の守りが、いつもこの国とあなたがたの上にありますように」

リンは、ケントとセインに向かい、キアランの城に居るときは口にしなかった、サカの言葉で別れを言う。それから少し背伸びをし、騎士たちの頬に触れるだけの口付けをした。その唇の柔らかさに、ケントの心は震える。
少女は一度も振り返らず、懐かしい故郷へと歩いていく。籠から放たれた鳥のように、馬銜を外された馬のように。
街道を行くリンの姿が小さくなり、視界にそれとは分からなくなっても、ケントはその姿を追い続けた。騎士として剣を捧げ主と仰いだ人とのあっけない別れである。道は分かたれ、生あるうちに再び出会えることは、きっと無いだろう。

どうか、ご無事で。
美しい草原の国で、あなたに相応しい幸せを。
あなたの姿を見ることができないのは寂しいけれど、何時も心の中で思いましょう。
こめかみのあたりに、つんとした痛みが上がってくる。
泣きたいのかもしれない。消え去った祭りのざわめきを、名残惜しんでむずかる子供のように。
自分は騎士だから、泣いたりはしないけれど。
胸に穴が開いて、すうすうと風の抜けていくような寂寥。

二年前、竜の背に乗り、青空に吸い込まれるように消えていった竜騎士を見送った時も、こんな気持がした。キアランの騎士団に留まらないか、という申し出をすまなさそうに断り、行ってみたい場所があるから、と笑った。
それが遠慮であることは分かっていた。ベルンの騎士団から追われる身では、身を寄せる場所を見つけるのも難しいだろうに、故郷を放たれて久しい竜騎士の瞳は、晴れ晴れと天空の青を映して澄んでいた。

風のようだ。
彼も彼女も。
私の傍を吹き抜けて行って、手を伸ばしても捕まえることは出来ない。

公女の去った今、キアランは、オスティアの直轄地となる。キアランの騎士団は新公爵として即位したヘクトルのもと、形の上ではオスティアの騎士団へと統合され、その一つの師団としてキアランに配属されることとなる。実質的には、新しく即位したオスティア候の厚意により、キアラン公爵の在位の頃のかたちのまま、城付きとして残されるのだった。
オスティアへの統治権の委譲を進めるにあたり、リンディスは幾度かオスティアの城を訪れていた。公女に随行したケントに対し、オスティア候ヘクトルから、オスティアに仕えキアランの監督官の任に就くようにという要請があった。リンディスからも強く請われ、ケントは監督官として拝命を受けることを承諾した。

キアランのため、私に出来ることがあるのなら、少しでも私の力が必要とされているというのなら、吹き過ぎる風を見送って、私はここに残る。不器用に、そろそろと根を張って、動かずに。
だけど―――
リンの消えていった街道の彼方をぼんやりと見つめていると、肩に乗せられる手があった。その温みにほっと息をつく。
セインとケント
「行こっか」

話しかけてくる男の、微笑みを含んだ表情を見る。
傍らにいる男は、誰よりも風に似ている。何処にいても誰といても、縛られることなく、屈することなく、自由で。

私が惹かれる人たちは、みんな風に似ていて、みっともなく地上にしがみつく私を揺らして、吹き抜けていく。
風に止れとは言えない。去っていった人たちを、私は時折宝物のように思い出すだろう。天高く、小さな影となって飛ぶ鳥を、見上げて恋焦がれる地這いのように。

ここにいてくれ、とは言えない。
それが彼らの在り様だから。それが私の在り様だから。

だけど―――

私の傍らで笑っている男が、差し伸べる手をすり抜けて行ってしまったら、どうしよう。
キアランの地も人も変わらないけれど、キアランと呼ばれた国はたった今、消えた。私とセインが騎士として忠誠を誓った国は無く、主と仰いだお方も、去って行かれた。
セインがこれからどうするつもりなのか、私にはわからない。ここに留まって、オスティアに騎士として奉公するか、それとも―――

この男もまた、風の性に心をまかせ、吹き過ぎていくのか。

どうするのか、と聞けば良いのはわかっている。聞けば何も隠さずに答えてくれるだろう。リンディス様がご自分の意志を打ち明けてくださってからずっと、セインに対してその身の振り様を確かめなければと思い悩みながら、ずるずると一日伸ばしにしてこの日をむかえてしまった。

情けないことに、怖いのだ、私は。
セインが行ってしまったら、私はどうしたらいいのだろう。
ここにいてくれとは言えない。
言ってはならない。
どうしたらいいのか、私には分からない。

自分がひどく情けない顔をしているような気がして、ケントはうつむく。

「ん、どしたの」

肩に乗せられていた手が、頬を撫でてきて、そのまま髪に差し込まれる。

「リンちゃんがいなくなって寂しいなら、俺の胸で泣いてみるか」

「馬鹿者」

笑おうと思った。笑えたのかどうかは、よく分からない。
聞けばいい。おまえは、どうするつもりなのかと。

「セイン」

「ん?」

口を開くのに、声が出なかった。
ためらう数瞬のうちに、腕を引かれて抱きこまれる。

「なあ、泣くなよ。俺がいるだろ。おまえの横にいるだろ」

「誰が泣いてなど―――」

思い切り声が震えた上、途中で言葉が継げなくなる。
泣いてなどいない。騎士たるもの、決して涙など見せてはならぬ。
息を継ごうとしたら、しゃくりあげるような音になった。抱き合う肩に顔を伏せると、緩く髪を梳かれる。
本当に、泣いてなどいないから。

「おまえは―――」

「なに?」

「おまえは行くな」

言ってしまってから、何を言ったのかに気づいて、どうしようもなくうろたえる。

馬鹿な、何を言って―――

「どこにも行くな」

子供か、私は。

「行かない」

宥めるように背中を撫でられる。

「ここにいる。おまえの横にいる。おまえが嫌だって言っても、いる」

ゆっくりと身体を撫でられる感触に宥められ、混乱して飛びかかった思考が少しずつ戻ってくるから、自分のしでかしてしまったことに呆然とする。
騎士の名誉も矜持もあったものでは無い。結局のところ泣いて縋って―――甘やかされ、子供のようにあやされた。情けないにも程がある。

なんだか、もう……合わせる顔が無いとはこのことだ。かといって、ここから逃げ出すわけにもいかないし、私はいったい、どうすれば―――

「あんまり可愛いこと言うから、ここで押し倒そうかと思った」

「ばっ―――」

腕を解かれ、触れあっていた気配と、耳元で聞こえる含み笑いが離れていく。

「帰ろう」

そう言われて、顔をあげる。
セインがいつも通りに飄々と笑っている。

「そうだな」

見慣れた笑顔に応えて、ケントも笑う。
帰ろう、キアランに。私の居るべき場所に。傍らに風を連れて。



END



挿絵:るぱ様 HOME RUPA-ROOM (2003.9.14)
  Copyright 2003 ©るぱ様 All Rights Reserved.
ご近所のよしみをいいことに(封印サーチさまでロイドかライナスで検索かけるとお隣さんv)るぱさまのお宅からかっさらってきたセインさんを、挿絵につかわせていただくべく書いたSSです。快くイラストの使用を許していただいて、本当にどうもありがとうございました。

この話は、緑赤カップルエンディングのつもりで書いております。何で緑赤にカップルエンディングが無いんじゃーと憤ったのは私だけではないはずだ。ケントが乙女―――というか、全体的に色々と夢見ててすみません。エロ書くのは恥ずかしくもなんともない私ですが、純愛ラブラブを書くのは、自分的にちょっくら羞恥プレイ入り気味な感じです。
そうか―――だからヘクエリ書きたいと思いながら、書けないでいるのね。
いや、この話書くのは、たいへん楽しかったですけど。

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