「この世界の終わりに」
目覚め。
ゆっくりと、覚醒が始まる。
肩に圧し掛かってくる重みがあった。
ライナスだな、と思う。自分に寄りかかって寝ているのだ。
いつも、重いからくっつくなと言っているのに。
重み、弟のからだ、その質量。
何だろう、ひどくなつかしいような気持ちがするのは。
ああ…ここは少し寒い―――な。
目を開ける。
がらんとした広い部屋の中にいる。薄暗い照明。
眠っているうちに、寄りかかってきたらしい、ライナスの頭が肩に乗っている。
どこだ、ここは。
悪い夢の途中で起こされたときのように、ぼんやりした感じがする。そういえば、夢を見ていたような気もする。ひどく重苦しい悪夢を。
「ん―――」
ライナスがうめいた。目覚めかかっているらしい。
ライナス―――
すぐそばに横顔。高い鼻梁、大きな口。
なんだろう、自分は大事なことを忘れている。
「あに、き―――?」
ゆっくりと目を開いて自分を見る。
その目が金の色に光る。
ああ。
頭の中で記憶がはじける。いっせいに、色とりどりに。生の記憶。眩しい、爆発するように脳髄にひろがる記憶の束。目の前が白く発光する。戻ってくる、戻ってくるのだ。人であることの源、意志の核である、彼のものである記憶が。
ロイドは激しく目を瞬かせる。金色の目から涙が零れ落ちた。
ああ。
母に抱かれて笑う子供の姿を見る、その安らぎが蘇る。
弟に抱かれてあえぐ自分を見る。その感覚が生々しく肌の上に蘇る。
人を切る手ごたえ。剣が骨にあたり、がっと手ごたえのあるその感覚が蘇る。
記憶の中で、弟のなきがらを葬る自分の姿をみる。その肺を潰されるような苦しさが、
自分の命を断ち切るため、剣を振り下ろそうとする男の悲しげな目が、
最後に聞いた、一人取り残される少女の叫びが。
最後に目に映った、叩き折られた剣の鈍い輝きが。
なにもかも、ロイドをロイドたらしめていたものたちが、ひしめき、押し合い、反発し、溶け合いながら、一斉によみがえってくる。
ああ、あ…あ!
自分の傍にある体にしがみつく。相手もまた、しがみついてきた。ああ、覚えている。自分はこの感覚を覚えている。
そうして、すべてが自分のなかに流れ込んできて、ロイドという人間を作り上げ、一つになっていく。
それは、この世界へと生れ落ちる感覚ににていていたかもしれない。
炎に焼き尽くされるような衝撃と激しい光の渦が去った後、ロイドは、二度と会えないと思っていた弟と、見知らぬ部屋で静かに抱き合っていた。
「馬鹿だ、おまえは」
弟の顔を見て最初に口をついたのは、そんな言葉。言いたいことはもっと別にあったはずだった。
「馬鹿だ、言うこときかずに」
ライナスが困った顔をした。見慣れた弟の顔。その瞳の金の輝きは弱まっている。
「ごめん」
ロイドは自分が泣いているのに気づいた。息を吸おうとして、おかしな具合に喉が震えたからだ。言い募ろうとする唇が震えてうまく動かない。
ライナスがロイドの両腕の付け根を掴んで引き寄せる。
「馬鹿…こんなことが…言いたいんじゃない」
時間が無い。時間が無い。それがわかる。どういうわけか、今この瞬間だけ、自分たちを支配していた存在が弱まっているのだ。何か、他のものに気を取られ、こちらに向けてくる力が弱まっている。ずいぶんと長いことその力と同調してきたから、わかるのだ。それが今にも力を取り戻し、自分を完全に支配するだろう事も。
「ごめん」
腕の中に抱き込まれる。強く強く。
ああ―――
会えないのだと思っていた。二度と会えないのだと。こうして、会えたのだから、薄気味の悪い化け物の仲間になるのもそう悪くはなかった。
「二度と、俺を、離すな」
ロイドは弟の胸に顔を埋めて微笑む。
髪をなでられる。大きな両手が顔を包み込んでくる。唇が降りてくるから、背を伸ばして、思い切り顎を上げてやる。そうすると、ちょうど唇が合うのを覚えている。
広い背にしがみつく。そばに、そばに、溶け合うぐらいにそばに。体温がたかく、抱きしめると熱かったからだは、いまは、ぬるく、自分と同じ温度。
キスをする。繋がる。もっとそばに。もっと、一つになればいい―――愛しい体のそばに。愛しい心のそばに。
時間が無い。
世界が白く変わっていく。雪に塗り込められた冬の日のように。
扉がきしんで、開く音がする。戦の喧騒が近づいてくる。
白くなって、雪のように溶けていく、記憶。自分であったもの。
悪くはない―――こうやって、最後まで、お互いの存在を貪っていられるなら。
溶けて、一つになって消える。
世界の、終わりを、一緒に。
END
|