be side






『離せよ』
 嵐の中で、高波が圧力となって被さる中で。
 サンジの声はやけに明瞭にゾロの耳に届いた。
 それが、握り締めている手のひらの骨を通して、鼓膜に伝わったのか、単なる幻聴だったのか。
 判断はゾロにはつかなかった。だが、決して離してはならないとだけは強く思った。
 ゾロの片手は、サンジの手首をがっしりと掴み、もう一方の手は、ウソップが必死の態でもって離すまいと握るロープの端を掴んでいる。男二人を支えることが、どれほど狙撃手に負担となっているのかを理解していたが、ゾロがサンジの手を離さぬとかたくなに思うのと同じく、ウソップも身の危険を顧みずにゾロと彼が支えるサンジを荒れる海へ落としたくないのだ。
 あとわずかだけ、持ち上げてもらえれば手摺に完全に手が届く。数センチが数キロの距離に思える。せめてルフィかチョッパーの力があれば、ウソップもゾロもこんなにも必死でいないで済んだ。だが、二人ともが海には嫌われている。
サンジが海へと叩きつけられそうになったのも、元はといえば、ルフィが横波に浚われそうになったからだ。誰もが息を呑んだその瞬間に,甲板を走りぬけようと一斉に動いた影の中で、たまたまサンジがルフィに手が届いた。それだけのことだった。
 常からサンジは身のこなしが軽い。重力を思わせぬ飛躍力と抜群の運動能力でもって自在に宙空にあっても身体の方向を転換できる。それが仇となった。
 ルフィを捕らえたサンジは、ぐったりと力が抜けた悪魔の実の能力者を走り寄ってきたウソップの胸元へと投げ込むと同時に、反動で船の外へと放り出されてしまったのだ。
  いつもいつも。口を開けば悪口雑言の数々ばかりを羅列し、ゾロと見れば親の敵であるかのように突っかかってくるだけのコックが死ねばイイ。
思いはしたが、本気でなんぞ一度として望んだことはない。
 ゾロが伸ばした手はどうにかサンジの手を掴みはしたが、そのゾロまでもが欄干を飛び越えて しまうとは考えもしなかった。ナミにルフィを引き渡したウソップが、機転を利かせてロープを投げてくれなければ、もろともに海の中だった。
 甲板では波と戦いながら、それでもウソップは手を離しはしない。その間も、GM号は甲板を守る手を失ってしまい、荒れる海を右に左にと揺さぶられている。このままでは転覆してしまう可能性も大きかった。今すぐに、帆の位置を変え、船の安定を確保しなければ、次に突風が吹き付ければ、簡単に船は沈む。みしみしと小さなキャラウェイ船が軋む音が、暴風雨の轟音を通しても伝わってくる。操舵室ではチョッパーとルフィが歯がゆい思いを味わいながらも、舵を取ろうと格闘しているのだろう。
 そのときにだった。荒れる音の洪水を通り抜けて、サンジの静かすぎる声がゾロに届けられたのは。
 何を弱気ならしくない台詞を吐いているのか。
 気に食わない男であったが、サンジが諦めを言うことはひどく似つかわしくない物事に感じられた。聞き間違いかと意識をサンジから、一向に近づかない手摺に戻しかけたゾロの耳に、今度こそ、はっきりとサンジの声はした。
「ゾロ、これじゃあ船もお前も、ウソップも。全員が巻き添えを食らっちまう。離せよ。後で見つけてくれりゃあそれでいい」
「馬鹿言うな!!この嵐だぞ!落ちたら、二度と浮かび上がってこれるわけねえだろ!!諦めるな!」
 らしくないサンジの言葉に、反射的に噴出したのは怒り以外のなにものでもなかった。
 肩越しに怒鳴りつけ、ロープが引き上げられるのことだけを信じる。絶対にこの馬鹿を船に引き摺り上げて殴りつけてやる。それだけを思いながら、ゾロはサンジの手首を握力の限りで握り締めた。骨が折れているかもしれない可能性も頭を掠めたが、それよりも大嫌いなコックが死ぬかもしれない事実のほうが、よほどにゾロには耐え切れない。
 サンジを捕まえる手は痺れて感覚がなくなりかけていた。全身を殴りつける強烈な波は、ゾロの意識すら時に薄れさせようとしていた。だが諦める気持ちだけはどこにもなかった。嵐が過ぎていきさえすれば、また騒々しい日常が戻ってくると信じて疑わなかった。
 そのときに、少しでも振り向けばよかったのだ。
 これまでにない高波が押し寄せた瞬間、サンジの片手が腰の辺りに触れた感覚があった。何事かを思うより先に、片時も手元から離さずにいた和道一文字の鍔鳴りに気づいたときには、すでに遅かった。
「悪いな」
  不意に聞こえた声に、嫌なものを感じた。それと共に突然にサンジの重力がなくなり、傍らを刀が走り抜けた。がっ、と音を立てて欄干に切っ先が突き刺さり、雨と波に溶けて流れる血の色を見る。同時に、ウソップが引くロープが勢いに任せて引き上げられ、ゾロの身体は面白いほど容易く甲板へと乗り上げた。
手摺を乗り越える間際に、反射的に刀を引き抜いたゾロと。彼を引き上げるために力を駆使していたウソップの目が、かち合った。二人が目を走らせたゾロの片手には、サンジの手だけが残されている。夥しい血液が傷口から流れ出し、甲板に流れ落ちては波に洗われていく。
「サンジ!!!」
 ゾロが振り向くより先に、ウソップが横を走り抜けて海面へと身を乗り出した。その身体が波に圧し戻され、ゾロへと叩きつけられる。 慌ててウソップの首筋を捕まえ、ゾロも荒れる海へと視線を彷徨わせたが、身勝手な料理人の姿は完全に消え去っていた。
「サンジ!!」
 轟く波音に掻き消されまいとゾロとウソップの叫びが狂ったように繰り返される。
 降りしきる雨のと被る波に指を握りこんだゾロは、冷たくなっていく料理人の片手を強く握り締めた。決して離してはいけない。もう、何も失いたくない。
『あとで、拾ってくれよ』
 いつもの人をバカにした口調で軽く言ったサンジの声が、耳についてはなれない。片手だけを残して荒れ狂う海に消えた料理人を諦められない。血走った目つきで遠ざかる海面に悔しさが渦巻いた。
「勝手なことを・・・・」
 ぎりりと唇を噛んだゾロの低い声は、傍らのウソップにも届かなかった。


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