凄まじい空気を撒き散らしながら、ゾロは夜の狭い船内を歩き回っていた。
 吐く息は荒く、目は血走って据わっている。
 捲くれがった唇の隙間からは、巨大な犬歯が覗いている。
 腰のものをがしゃがしゃ鳴らし、ごんごん重たい靴音が夜の甲板にうるさく響く。
「ゾロ、いったいどうしたのよ」
 今から討ち入りにでも行きそうな勢いの男に、ナミは興味深々に振り返って呼び止めた。
 ごとん・・・と甲板の足音が鳴り止む。
 暑苦しい半身だけ捻って、ナミへ向けたゾロの顔は狂犬みたいだ。
「あんた・・具合でも悪いの?」
「ふん・・・てめぇか。テメェにゃ用はねえ」
 野太く呟いた男は、鼻の辺りにまで小皺を寄せて凶暴な唸り声だけを残していった。
 ごんごんがしゃがしゃ・・・・
 深夜の甲板に消えていく騒音は、鎧武者の亡霊のようだ。
「ま、いいか」
 どうせゾロがヘンなのなんて今に始まったことじゃないし。
 不穏な空気はあるものの、とりあえず自分には関係がなさそうだ。クールに決め付けたナミは、さっさと寝るかと部屋へと戻った。
 ゾロのことなんて頭からは綺麗さっぱり消えてなくなっていた。

 ちきしょう、ちきしょう、ちきしょーーーっ!どうしていねえんだ!!

 ナミにあっさり見限られたゾロは、実は大変な状況に陥っていた。
 昨日の夜から見張りで、珍しくも風邪をひいた。不覚にもクシャミの連発をするゾロに、目を輝かせて近づいてきたのは、ぬいぐるみみたいに愛くるしいチョッパーである。
 この船医。見た目は非常に愛らしいのだが、性格やら倫理観がかなりよじれている。
 育ての親であるヤブジジイとオニババアは、とんでもない性格破綻者だ。その二人を慕っていたチョッパーの性根が無事で済むはずが無い。
 元は純真だったかもしれないトナカイは、強烈な二人の医者によって、妙な具合にインストールされバージョンアップまで完了している。
 良識がありそうなトナカイだが、内実にはそんなもん欠片もない。外見と内面のギャップは、グランドラインの面積よりデカイ。天晴れ、麦わらの一味だけのことはある。

「ゾロっ、風邪ひいたのか?風邪か、風邪なのか?」

 かなり歪んでいる船医からすれば、この船の連中は頑丈すぎる嘆きがある。
 凍った河に落ちても熱も出さないし、背骨を怪我していてもぴんぴんしている。大出血していようが、大怪我しようが、瀕死になろうが、数日経てばけろりと元通りになってしまう。せっかく新薬を開発しても、献体もいなくてかなりストレスが溜まっていた。
「あのなオレ、いい薬持っているぞ」
 わくわくとマッドドクターの血が騒いだのは、仕方ないのかもしれない。
 風邪は万病の始まりと言われている。一発で直せる薬を見つければ、ノーベル平和賞モノであるそうだが。いまだ、単純な風邪を治療する有効な方法は見つかっていない。新薬開発従事者が一度は必ず通る(かどうかは知らないが)道のひとつとして、チョッパーは風邪に効果てきめんの薬を開発した。あとはコレを飲むだけなのだが、いかんせん。実験するマウスもラットもいない。サルや豚も望めない。こうなったら次に上陸したときにでも使おうかな。
 そこまで決意した矢先のゾロのクシャミである。見逃す手はない。

「ん?いらねえ」
 しかしゾロはつれない。全治二年の大怪我だって寝て完治させた男だ。たかがクシャミひとつで薬なんて要るはずない。しかも、見上げるチョッパーの目と顔は、いかにも何かたくらんでいる顔つきだ。素直に受け取るには、あまりに危険だろう。
「なんでだぁぁぁぁぁあぁ!!!」
 対して、あっさりきっぱり断るゾロに、チョッパーはショックのあまり号泣して叫んだ。
 ただならぬ船医の様子に、周りにばらばら仲間たちが集まってくる。要は暇だ。

「てめぇ、なに泣かしていやがるんだ」
 横柄な態度で咥えタバコのサンジは、ぶっきらぼうに言い放った。
 とにかくこの男、ゾロに突っ込めるネタがあれば、即座にぐいぐい突っ込んでしまいたい。ちいさな針の穴ほどの欠点でも、ゾロには容赦ない。
 ゾロが空けた極小サイズの穴も、一メートルに拡大して見せる特技がある。
「うるせえ」

「なんだよーゾロー。チョッパーに何したんだ?」
 次に口を開いたのがルフィだ。
 世界は彼の腹時計と冒険心を満たすためだけに回っている。
 トラブルは余さず自分の取り分とする男は、今日もにししし・・・と明るく無責任に笑っていた。
「何もしてねえ!薬を飲めって言うから断っただけだ」
「なんだ、呑んでやったらいいじゃねえか」
「剣豪さまは医者嫌いか?」
 すかさずトラブルコンビはゾロを追い詰めようとする。その光景にナミは、なんだそんなこと。の一言でその場を離れ、ウソップは不穏な空気に脊髄反射で反応して、そろそろ後退った。
 残った二人は、ゾロの胡乱な視線もどこ吹く風だ。
「だめだぞ、ゾロ。チョッパーは医者なんだから、言うこと聞かないと」
「なら、てめぇが呑め!」
「クソまりも、テメェがやんなきゃなんねぇことを人に押し付けるんじゃねえよ」
「いつからオレがやらなきゃならねえことになった!」

「「「たった今だ」」」

 牙を剥くゾロへ、3馬鹿の声がみごとに重なった。
 仲間を得た心強さからチョッパーは邪気のない顔で薬を差し出す。ゾロがふいと横を向く。
「あーあ、情けねえよなあ」
 おら貸してみ。
 サンジの溜息交じりのバカにしきった声がしたと思った途端、ぐわっと空気が揺らいだ。
「おわっ!!」
「避けるんじゃねえ!!」
 咄嗟に身体を引いた鼻先を黒い革靴が掠め取った。ぶん・・・と空気の唸りまでついていた。
 手加減なしの威力に冷や汗が滲む。その背後に人の気配があり、次の瞬間にはゾロの身体にルフィの腕がゴムゴムとがっちり巻きついてきた。
「ゾロ、だらしねえぞ」
「ル、ルフィ!てめえ、離しやがれッ!!」
「今だぞサンジ」
「うっしゃ!そのまんま抑えておけ!!」
「おう、ゾロ、クチ開け!!!」
「ぐぉぼっぼぼぼぼぼ・・・!!」
 唖然と見守るチョッパーの前で、面白がったルフィはゾロにツタのように巻きついて離れない。
 強引に背後からクチを開かせ、調子に乗ったサンジが更にクチを大きく開かせる。
 頑丈なゾロだが、たぶん、いや絶対に顎が外れた。
 それよりも何よりもヤバイんじゃないのか。
 実験体が単純に欲しかったチョッパーは、思わぬ展開にたらりと一筋の冷や汗をモコモコの毛皮の下で流していた。

・・・・・それ、そんなに飲ませたら・・・・・・・・

 チョッパーが止める間もなく、ゾロのクチには一瓶丸々の液体が、これでもかと注ぎ込まれた。むせ返ろうが抵抗しようがお構いなしだ。ジタバタもがくゾロで散々っぱら遊んだ二人は、空になった瓶に満足げに笑って、その場を離れていった。

「ゾ・・・・ゾロ・・・・大丈夫か」
「げへっげへっげへっ・・・・・あ、あいつ等・・・・・」
 甲板に倒れたゾロは、気遣うチョッパーには目もくれず、涙目になったものすごい形相で二人の背中を睨みつけていた。


 それが昼過ぎの出来事だった。
 新薬のおかげか、それとも元から風邪なんてひいてなかったのか。
 ゾロは夜までクシャミひとつも出ないで終わった。
 それどころか、夕方ごろから体温が上がってたまらなく暑い。
 熱でも出たのかと思ったが、これ以上チョッパーと関ることだけは避けたい。チョッパーだけならいいのだが、面白がってやってくる二人が面倒だ。
 まあ、夜中までなってもこのままだったら、こっそり船医の元を訪れよう。ヘンな薬も飲まされたし。もしかしたらアレが原因かもしれない。とりあえず、運動でもして汗で流してやろう。
 ゾロにしては非常に賢明な考えの元、その夜の素振りはいつも以上に長引いた。
 その間にも体温は上がる。
 運動しているからな。思ったがどうにも変だ。
 腰の辺りがむずむずする。正確には股間がずんずんきゅんきゅんしてきている。

 たら・・・と鼻血が流れた。

(うおっ!な、なんだいったい・・・)
 迷わず焦った。運動しているだけで鼻血なんて、オレは毒でも飲まされたかもしれない!
 単純でアホな剣士はすかさず思った。いまだかつて運動していて出血なんてしたことない。これはやはり薬の所為だ。きっとそうだ。
 悩んでいないようで、実はかなり気にしていた。だから明確には思わないよう、一生懸命に現実逃避していたのだが。流血となっては逃避もへったくれも、あったもんじゃない。
 副作用があるかもしれない不安を、一生懸命に隠して過ごしていた半日。

(どどどどどどどうしたらいいんだーーー!!)
 オレは死ぬのか、俺は死んでしまうのか!あんなワケの分からん薬の所為でオレは死ぬのか!

 いっつも怪我ばっかりしているくせに、ゾロは頭痛がするほどショックを受けた。パニックで涙が頬を伝った。情けない、顔でも洗おう。ちょっとだけ冷静になれた。
 気を取り直して、一歩を踏み出したそのとき、
「あうっ・・・」
 股間に脳天がぶっ飛びそうな気持ちよさが走った。変な声まで出てしまった。
「お・・・・?おお???」
 甲板の上だったし、月明かりも星明りもあったが。構わず、ゾロはズボンの中を覗き込んだ。
 ちょっと見えにくい。仕方ないので膝まで下ろしてみる。
「な・・・・なんだ、こりゃーーっ!!」
 反射的に叫んだゾロは見た。
 ギンギンにそそり立つ巨大な、それこそ自分でも見たことも無いサイズにまで育ったどでかいちんこが、堂々と月明かりを浴びて首を振り上げていた。


 自分が勃起している事実はゾロを安心させたのだが、それから何度出しても全然萎えない。
 それどころか、出せば出すほど突っ込みたくなる。
 何でもイイから突っ込みたい。魚のクチでもいいから入れたい。出したい、入れたい・・・
 いったいどっちなんだ。
 それこそ突っ込みを入れたいところだが、ゾロの事情は切羽詰まった。
 コレが昼間の薬の副作用であることは、即座に考えがついた。だが、原因が分かっても解決方法がつかめない。ただいまGM号は海のど真ん中を航行中である。
 陸の影は染みもない。通りかかる船もない。
 魔獣とかマリモとか筋肉だるまとか呼ばれているが、ゾロは一応は人間だ。海王類で済ませようと思ったが、獣姦だけは人として避けたい。その前に、この責任は擦り付ける相手がいる。
 ゾロが狭い船をシリアルキラーのような形相でさまよっているのは、実はこんなにも切迫した事情があったのだ。
 もっとも、ゾロだって若いぴちぴちの10代だ。食欲・睡眠欲・性欲は迷惑なまでに旺盛で、体力は人外魔境状態だ。
 ナミが目の前に現れた瞬間、ヤッてしまおう。不埒な考えを抱かなかったわけじゃあない。
 ただ、ゾロは男としてのヘンな自負があった。

 オレとヤッたら絶対に妊娠させちまうな。

 根拠なんてない。勘だ。そう思うだけだ。
 しかし、見るからに精液も濃いなら精子もうじゃうじゃいそうなので、なんとなく納得できる。
『この女がオレのガキを産むだぁ?ふざけんな、こんな性格ブスの卵と俺のモンが混ざるなんざ死んでもごめんだ。冗談じゃねえ!!』


 秒速で思ったなんて、絶対に言えない。


 継いで見つけたのはウソップだった。彼は男部屋で今日も新作作成に励んでいる。
 むき出しのナヨっぽい肩とか腕の丸さがそそった。そそったが、ウソップはヤバイ。
 ナミが惚れているのも最大の理由だが、ウソップが野獣になりかかっている自分の腰使いについてこれるかどうか分からない。
 この船では一番、普通に近い男だ。
 体力だって人並みのウソップの尻を壊さないようにする自信なんて欠片もない。
 ウソップの隣で座っていたチョッパーも却下である。獣人化してくれたらOKだが、いかんせんチョッパーはチビすぎる。ケツの穴が裂けること必須。まだ理性が生まれたての蜘蛛の糸レベルなゾロだが、ここも根性でやり過ごす。

 とにかく、ターゲットは決まっている。なにも焦ってリスクを負う必要なんてない。
 自分に薬を飲ませた二人が悪い。どっちでもいい。とにかく先に見つけたほうが、ゾロの巨大化したちんこを慰める役になるしかない。

 黙って物騒な気配を撒き散らし、血走った目つきでウソップたちを心底からびびらせた狂剣士は、来たとき同様、すたすたごんごんがしゃがしゃと。
 騒音を撒き散らして消えていった。
 後に残った二人は硬直しすぎて、明朝まで金縛り状態であったという。

 だがゾロは後ろなんてどうでもいい。
 下半身事情は逼迫している。穴があったら甲板の穴でもいいとまで考えがレベルダウンし始めている。このまんまじゃ、甲板とファックを開始しそうだ。
 生き物ではない。
 いくら大事で世話になっている船でも、さすがにソレばかりはヤバイ。ヤバすぎる。
 メリーさんが妊娠する。ゾロは船と結婚だ。
 銃が悪魔の実を食う時代だ。ありえるかもしれない。
 羊頭との家族生活に想像を逞しくしてしまい、ゾロはとにかく焦った。速攻でルフィかサンジを見つけださないと、剣豪の道が危うい。
「くそっ・・・・・・・・・ここでもねえ・・・」
 バンッと音高くキッチンのドアを開いたそこは、もぬけの殻だった。いつもなら少なくても料理人の姿があるのに、今日に限っていない。
 まさか逃げられたか。
 しかし海の上で逃げる場所なんて決まっている。絶対に船のどこかにいる。
 風呂場も倉庫も探した。マストの上も覗いた。後甲板にもいない。蜜柑畑に隠れているのか。思わず土まで掘り返して探したが、やはりいない。
 土の中にいるわけないが、頭が回らない。
 下半身に血液も意識も集まって、何も考えられなくなっている。
 格納庫をもう一度、見に行くか。
 立ち上がったゾロは、かすかな物音に気付いた。
 ひょいと顔をあげた先には、眉間に皺を寄せ、ゾロの奇行に何か言いたげなサンジがいる。
 しかし、そんな顔なんてどうでもいい。
 カモは葱と鍋を背負ってやってきた。

 おっしゃぁぁぁぁ!!!見つけた!!!!

 自分に正直な剣士は心ならずも満面の笑みまで浮かべた。心の中でガッツポーズまでとった。










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