「サンジ!やめろ!」
「うあああああああ!」
「サンジ!」

叫びなのか、唸りなのか。
とても人間とは思えない無様な咆哮を上げたまま、サンジは凄まじい勢いでゾロを殴りつけ遠ざけた。距離が開いたと見るや否や、素早くテーブルを周りさらにゾロから離れようとする。

「サンジ・・・」

近づこうとすると全身を引き攣らせ、警戒心をむき出しにする。
もう叫んではいなかったが、呼吸は荒く蒼い双眸は限界まで見開かれた。怯えを孕んだその目に、ゾロの動きまで止まってしまう。

こんな反応をされるとは思ってもいなかった。
拒絶をするだろうとは予想していたが、まさか怯えられるとは考えもしなかった。
ゾロが覚えているサンジは、こんな男じゃなかった。
感情の波は激しかったし、ゾロに好きというときは余裕の欠片もなかったが、それすら楽しんでいるように見えた。
どこか計算高いところが見え隠れして、怯えたり、パニックを起したりはしなかった。
ゾロと顔を会わせたときですら。
あのときも驚いてはいたけれど、けっして慌てふためく素振りは見せなかった。例え上辺だけだろうが、咄嗟に動揺を押さえ込める彼を追い込んだのは、ゾロがサンジの現在の状態を知ったと悟ったときだ。

そんなにも、知られたくなかったのか。
隠し通してしまいたかったのか。

間合いを計るゾロの胸は肺の奥底までキリを突立てられたように痛かった。
叫んでいたサンジの口の中。あるべきはずの舌が、なかった。

店を探し当てた翌日に、ナミを強引に掴まえ話を聞いた。女性向けの週間情報誌とは縁もないだろう男は、お前の記事のことなんだがと切り出して、滅多に驚かないナミを驚嘆させ、知ってる限りを聞き出した。
『まさか知り合いが居たとはね』
驚きを通り越し、呆れて返したナミは『詳しく知らないし、耳に挟んだ程度の話だけど』と前置きして、彼には舌が無いらしいと告げた。
『本当かなんて知らないわよ。だって、プライベートな話でしょ?記事には関係ないもの』
思わず聞き返したゾロに、彼女は淡白だった。
無駄な同情も憐憫も、彼女はかけない。スタイルが徹底しているナミにしては、むしろそれだけの話を得られただけでも珍しいことだった。

再び店へ行き、サンジが無言を貫いていても、ゾロは信じたくなかった。
―――――今しがた、自分が現実に垣間見た光景すら嘘だと思いたかった・・・・・・・・・。
それなのに、頭がしん・・・となっている部分で認めている。
サンジが唐突なやり方で別れたのも、姿を消してしまった理由も何もかもが、たった一度きりの光景で納得がいった。

詳細はまったくゾロには分からない。おぼろげには輪郭は掴んでいても、サンジが直接にゾロに伝えたわけじゃない。
だから、別れてからの出来事は多少の想像はついても、事実ではない。
分かれる前から知っていたのか。騙すつもりだったのか。
過ぎたことを問い詰めたいとは思わない。それは後でいくらでもできた。
サンジを再び逃がしてしまわないよう、ゾロがやらなければいけないのは、その一点だ。

そっ・・・と手を上げるゾロの動きに、サンジは過剰に反応し身体をびくつかせた。
瞬きもせず、貼り付けたように蒼い目は無機質に光っている。
上下する肩は薄い。真正面になった白い顔も、尖ったような印象が強い。
椅子の背を掴む手も、構えている体も。
全部どこもかしこも、覚えているよりも肉はこそげ落ちてしまっている。

今にも倒れてしまいそうなサンジに、ゾロの涙は溢れて止まらなかった。
きっと物凄く無様な顔をしてると思っていても、隠したくなかった。

「逃げるな・・・たのむから、逃げないでくれ――」

懇願は泣き声になって、みっともなかった。
これじゃあ、一年前のサンジと同じだ。重なる光景は妙に懐かしく、サンジがどんな思いでゾロを部屋から追い出したのか。気持ちを慮るほど、悲哀の感情は色濃くなった。
本気で取り戻したい相手なのに、言葉は絡まって気の利いた台詞も出てこない。
バカみたいに繰り返し、逃げないでくれとしか言えない。
そんなことしかできない自分に、ゾロは腹が立ってきた。
なにをしても、どんな言葉も。
きっとサンジには届かない。

微動だにしないサンジから目を逸らす。視線の先に開きっぱなしの引き出しがあった。
ぼんやり眺めたその中は、サンジの混乱を示すように乱れていた。
元々、薬を入れるためのスペースにしていたらしい。バンドエイドや包帯が乱雑にかき回された跡の中、薬の袋の白い色がやけに多い。
目に付いた表記に鎮痛剤と精神安定剤。睡眠薬の文字が読み取れて、サンジが隠しているものを暴いたような罪悪感に捕らわれた。

ゾロが捕らわれたものに気付いたサンジの気配が、剣呑になった。
視線を戻せないで、サンジと呼んだ。視野の端で、警戒心を剥き出しにされ苛立ちが増してきた。

後悔する。
断言したのは誰だった。させた本人にその気がなくっても、ゾロは後悔しっぱなしだ。やっと会えたのに、サンジの拒絶は激しい。ゾロに合わせる目の色は、必死すぎて見てられない。
どうせなら、笑い飛ばせばいいものを・・・。 こんなに脆く崩れる虚勢なら、最初っから惨めに縋って弱みを曝け出されたほうが、すっきりしたかもしれない。
頼ってくればいい。思ってから、素直にそんなことが出来る男じゃないと考え直した。

別れるよりずっと前に、もう自分の状態を分かっていたはずだ。そのときに、弱みを吐ける男だったらよかったのに。
泣いて縋られて、最後までゾロが支えてやれるかなんて尋ねられても答えられないが。
足掻いてあがいて、それでも駄目だったと思い知らされた方がよかった。そうすれば今みたいに激しい自責に駆られたりはしないで済んだ。
勝手にゾロから逃げて逃げて、逃げ倒して。挙句にこの結末とはひどすぎる。
女の部屋に雑誌がなければ、サンジはゾロの中で行方知れずのままだった。ゾロが気まぐれを起さなければ、小さな写真の片隅にいる男なんて見つけなかった。

サンジの何も知らないで、殴って別れた過去を後悔する必要なんてなかったのに・・・・。
一緒に居るときには、まったく気付かないでいたものを、離れていた一年の所為で掘り返されずに終わっただろうに。

混ぜ返された引き出しに、無造作にあるはさみが弾く光をなんとなく見つめ、お前に居てほしいと呟いた。
ゾロを遮断しようとする男を見ないほうが、少しはラクに言葉は出た。

「お前、俺に後悔するって言っただろ・・・。おかげで別れてから、ずっと後悔しっぱなしなだ。なんで別れないといけなかったとか。殴って悪かったとか。どうしてんのかとか・・・。お前のことが頭っから離れないまんまなんだ」

ちら、と目線を上げた。真っ青になった男の手指は可哀想なほど白くて、温めてやりたいと単純に願った。
なあ・・・と、短く言うと緩慢な動作でサンジは首を振る。
ゾロから目を逸らさず、壊れたようにゆっくり否定を示す。
いまにも泣き出しそうにしていながら、ゾロをどこまでも拒絶する。頑なな男の態度に、自分に向けていた苛立ちは相手への怒りに転化した。
元からが短気すぎるゾロだった。募る焦燥が一気に感情の爆発を引き起こす。
自分を抑制する前に、言葉はゾロの口から飛び出した。

「逃げるな!どうしてお前は、そうやって逃げてばっかなんだ?ちっとは悪あがきしてみりゃいいだろ!」

挟んだテーブルに、思わず拳を叩きつけた。ダンッ!と上がった派手な音に反応し、追い詰められたサンジの眦がキツク上がった。乾いてギラついた青い目に、力が篭る。
懐かしいほど覚えのあるサンジに、どこかゾロはほっとした。が、気を抜いた瞬間に、テーブルは向かい側から蹴り上げられた。ちゃちなテーブルが、勢いよくゾロへと蹴り飛ばされて咄嗟に身を躱した。

“帰れ!!”

口からは唸りにしかならない音を発し、腕を大きく振られた。
ついさっきまで、泣きそうだったくせに。思うとおかしくなって笑いが漏れた。
ゾロが笑ったのが気に入らないサンジに椅子を蹴飛ばされ、角が腰に当たりじんと痺れが走り、さすがに頭にきた。椅子を力任せに放り投げ、真夜中なのも忘れて怒鳴り声を上げた。

「誰が帰るか!俺に後悔させた責任を取れ!」

言ってることが無茶苦茶だろうが、構わなかった。サンジが自分の都合を主張するのなら、ゾロが折れてやる筋合いなんてどこにもない。
はぁ?とサンジが顔をしかめる。バカにしきった顔で顎先を上げ、斜めにゾロを見下げてくる。憎々しい顔つき。
直前までの感情など、なかったように、まるで逆の反応をする男。
ゾロがよく知るサンジが、そこに居る。

変わって無いところに気が抜けかけた。だが、サンジにゾロの心中が分かるはずがない。咆哮を上げて突っかかられ、勢いの激しさにゾロはいつの間にか止めるのも忘れて応戦した。あっという間に狭いキッチンで殴りあいになった。

数発の応酬を繰り返したあげく、拳を握ってサンジに踊りかかる。待ち構えていたサンジの膝蹴りを腹に喰らい息が詰まったが、勢いに任せて横っ面を殴り飛ばした。
身体は細くなっていたし、殴る力は以前より弱かったが、サンジの蹴りだけは相変わらずに凶悪だ。 吹っ飛んだサンジはシンクに背中を打ち付けた。ゾロは腹を押さえ、前かがみになる崩れそうな身体を気力で支えた。すぐさま起き直ったサンジは短い距離を一気に縮め、ゾロの両襟を掴みこんだ。ゾロも相手の胸倉を纏め上げ、真下から顎を狙う。
ゴツッと骨が当たる鈍い音がして、本日二度目の蹴りは綺麗に鳩尾に決まり、サンジの顎にはゾロの拳がクリーンヒットした。
軽い脳震盪くらい起してるだろうに、頭を振り戻した男はガツンッとゾロの額に頭突きをくれる。連続の打撃に片目を眇めたゾロの手が、サンジの頭を捕まえ床へ打ち据える。
嫌な音がしたが、手加減する余裕はなかった。
暴れる男の腹の上に乗り上げ、なおも殴りつける両手を腕力にモノを言わせて縫いつけた。身動きできなくなっても、ゾロを睨みつける目の力は凄まじい。

「げ・・・元気じゃ、ねえか。おい」

屈しないサンジが滑稽なのに、優越感は感じなかった。短く笑うとサンジは忌々しそうにそっぽを向き、疲れたように抵抗するのを諦めた。ゾロが手を伸ばして髪に触っても、振り払うのも億劫そうにして、嫌そうに顔をしかめても動こうとはしない。
拒絶されないのをいいことに、息が整うまでずっとサンジの髪を指で梳いた。
荒々しい空気が静まった室内は、鼓膜の奥で耳鳴りがするほど無音だった。ゾロに乗り上げられたサンジが身じろぎし、退けと口の動きだけで言う。

「悪ぃ・・・」

詫びて降りる。サンジは起き上がったが、まだ立つだけの気力はないのか。座り込んだ姿勢で、傍らのゾロを見る。

“帰れよ”
「俺は帰らねえ」
“そうかよ。なら俺が出てく”

僅かな母音だけの声と唇の動きで言い捨てて、立ち上がろうとした細い体を横から抱きしめる。途端、また暴れだす男を強引に引き寄せた。

「どこにも行くな。テメェの都合なんざ聞いてやらねえ。勝手したのはソッチが先だ。俺がなにしようが文句言われる筋合いはねえぞ!」

サンジはもがいたが、体力の差は大きかった。ひとつひとつの動きを封じ込め、最後には再び後から、観念したサンジを深く抱き込んだ。無駄に抗った所為で、また呼吸を乱している男の体はじんわり熱い。
ぜえぜえ喉を項垂れたサンジのうなじに、不謹慎ながら目が釘付けになった。触れたいと思った。そうっと凭れ掛かる。途端に腕の中の身体が硬直した。
まだ夜は冷え込む季節なのに、密着した二人の間の温度は高い。
項垂れて露になった首筋からはサンジの匂いがした。懐かしさと愛しさがない交ぜになり、気付けばゾロはぎゅうと腕に力を込めていた。

「サンジ・・・・」
低く呼んだ。サンジは自暴自棄なのか、ゆっくり首を後へ巡らせた。
至近距離でかち合った双眸には、困惑ばかりだ。
飾り物みたいな蒼い目は、奥底まで覗き込めそうにきれいだった。そういえば、この瞳を見るのが好きだった。
恋人同士のような体勢で、サンジを逃したくないゾロは瞳に魅入ったまま呟いた。

「俺はお前に惚れてんだ。俺を簡単に片付けようとするな」
「お前が他に誰と居てもいい。俺が用無しでも構わねえから、近くにだけ居させてくれ」

静かに語りかける。
捕らえられたサンジの表情は、固く強張った。
可哀想になるほど神経を張り詰めて、必死になって自分を立て直そうとしているのが、密着している背中を通して伝わってくる。前に回した腕からも、ぴったり背にあわせた胸からも乱れた鼓動が強く感じ取れて、ゾロは抱きしめる力をさらに強くした。

写真で見つけたときから痩せたと感じていた。
だが実際に彼に会い、こうして抱きしめてみて、思った以上にやせ細った身体に目の奥がじんわり痛んだ。
本当は話したい事はたくさんあった。まだ腹の底には、堪えきれない怒りが沈んでいる。
それなのに、サンジの温かい身体が腕の中にある事実はゾロを途方もなく安心させた。
サンジは嫌がってまだ意地だけでゾロを振り切ろうとする。
尖った肘にわき腹を強く殴りつけられ、ガンガンと脚を蹴られても、ゾロは力を緩めなかった。無言の争いは数分続いたが、先に音を上げたのはサンジだった。
躍起になって腕を引き剥がそうとしていた手が、いきなり離れた。全身から力を抜いて、深く俯いたサンジは片手を額に当てて動かなくなった。

肩を上下させて息を刻み、最後の意地のように前かがみになろうとする。崩れそうな身体を引き上げた。鼻先に、露になった首筋がある。前々から白かった肌は、ぞっとするほど透き通った白い色になっている。
浮き上がった首の筋が痛々しくて、考えもなく唇を押し当てた。暴れられると思ったが、大きく上体を揺らしただけで、サンジはますます深く手の中に顔を埋めておとなしかった。
抵抗もできず、声も出せない男に出来るのは、こんなことでしかない。
罵声を浴びせ、言葉だけでゾロを簡単に左右させていたとは思えない静かさだ。

「サンジ・・・・」
「―――・・・・・・」

呼んでも、呼吸音だけが戻ってくる。
無視しているわけじゃない。聞こえていないのでもない。
唇で触れている肌は、可哀想なほどに震えている。追い詰めているのは理解していても、ゾロは離したくなかった。
しっかり抱きしめた体から強張りが解けるまで、震えが落ち着くまで。
繰り返し、サンジと呼んだ。お前が好きだとバカみたいに、言い続ける。

“・・・・・・・なんでだよ”

やがて、のろのろと振り向いた男の目は、ひどく疲れた色をしていた。手で隠されていた目元は濡れて、泣いた跡が残っている。それなのに、ゾロに向いた瞳は乾いていて、無理をするサンジが痛ましかった。
もう一度、なぜと聞かれ、なんでだろうなと呟いた。

「俺にだって、分からねぇよ。けど、お前がいいんだ」

自分でも、ガキみたいだと思ったら、素直でない男は鼻先で馬鹿にした笑いを漏らす。肩を揺すり離せとばかりにされたが、拒絶と呼ぶにはあまりに小さな動きだった。

「これでも、忘れようとしたんだぜ?けどな、駄目だった。どうしても俺はお前を探しちまう。なあ、俺にしとけよ。てめぇみたいな厄介なの、まともに相手できるのなんて、俺だけだぜ」

“うぬぼれんじゃねえ・・・・”

憎たらしい顔つきと仕草で言い切ったくせに、サンジの表情はみるみる虚勢を崩していく。強く目を閉じ、何かを耐えて唇だけが、『ばかやろう』と動いていた。

「お互い、悪趣味なんだろうな」

サンジにあわせて悪態を吐いてみたが、我ながらその声は柔らかだった。隠しようもない感情は、回した腕やら祈るように寄せた唇から溢れ零れ落ちて、サンジのこめかみに愛しく触れずにいられなかった。

この男の声が好きだった。
独特の音で、彼だけができるやり方で。名を呼ばれ、好きだと告げられるのは心地よかった。二度と、あの音がサンジから発せられることはない。
滑らかに歌うように語る声は、決して戻ってきやしない。
こんな未来を知っていたら、もっと自分はサンジに応えてやっていただろうか。
サンジは答えを欲しがっていたのに、言えるものかと意地ばかり張って、欲しがっていたものを易々とは与えてやらなかった。

「好きだ・・・」

今なら、こんなに簡単に言えるのに。
言葉を出し惜しんだ自分が悔やまれる。
目を閉じて動かない男のこめかみに口付ける。好きだと告げるたびに、止まらない愛情と胸を突く痛みが沸き起こる。
やがて細くなった男の両手が、ゾロの腕に強くつよく縋りつき痩せた背中を預けてくるまで。やっとゾロを見返したサンジが、小刻みに震える口許を寄せて、低い囁きごとキスを受け止めるまで・・・。
言ってやらないでいたフレーズをサンジにも自分にも刻み込む。

肩口で静かに泣き出したサンジが堪らなく愛しかった。
縋りつく体温が、無性に切なかった。




END



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『100のお題』




 

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