「あの子!聞いてくれ!
わたしは明日から父上の手伝いに行けることになったぞ!」
その日、私は父上から日頃の働きの成果を認められると、真っ先にあの子のもとへ駆けた。
石段を飛ばしながら上り赤い鳥居を抜けて、色づく紅葉が散る石畳へ。
私がそこへたどり着くと、あの子はいつものように笑顔で迎えてくれた。
あの子と出会って、季節が二つ過ぎた頃だ。
「てつだい?与六、与六のとうさまのおてつだい?」
「そうだ。やっと城の中までついて仕事ができる!これまでの行いが父上に認められたのだ…」
まだ童であった私は、早く大人に認められようと躍起になっていた。
もともとは坂戸城、その当時は春日山城で薪炭用人をしていた父上は、なかなか城内での仕事を手伝わせてはくれなかった。今思えば、ろくに使えぬ小童を連れていくわけがないのだが…その時分は考えが及ばなかった。
そこで、他の作業で成果を見せつけようと様々な努力をしたのだ。
農作業も薪割りも、覚えは早かった。体力だけはどうしようもなかったがな。
寺や神社に行き知識や教養を身につけようともしていた。
そこで出会ったのが、あの子だった。
「与六、うれしいね!」
一報を聞いて、あの子は我が事のように満面の笑みをよこしてはしゃいだ。
私はとても誇らしかった。そしてなぜだか、少しこそばゆい気分にもなった。
「当然だ!…ああ、城内はいったいどうなっているのだろう、もしかしたらあの謙信公にお会いできるかもしれない!」
「おとのさまにあうの?」
「父上は謙信公にお仕えしているわけだし、まあ…すぐではないかもしれないが、近いうちにはご挨拶できるだろう!」
もちろんこの頃から謙信公は越後の民の憧れだった。数々の戦績はまさに軍神の名にふさわしく、その後ろ姿からは御威光が…は、話が逸れてしまった。
「ごあいさつ、おはようございます」
「うむ、それも含めてな!
あの子、ご挨拶はお早うやお休みだけではない。初めましてもご挨拶に入るのだ、覚えておくといい」
「うん。与六のいうこと、わすれない」
神主である伯父上を唯一の身寄りと頼ってきたあの子とは、まるで兄と妹のようだった。
何かあれば構ってやりたくなるような存在で、私が神社に行く度遊び相手になり、知らないことを教えたり、また引っ込み思案だったあの子と近所の童とを打ち解けさせたりもした。
おかげで境内は一時期童の遊戯場と化し、あの子の伯父上に注意されてしまったのだが。
「…与六、与六、ずっとおてつだいするの?」
「あの子の言うずっととは、どういう意味で指すのかわからないが…?
これからは父上が仕事で出かけるときは意地でもついていきたいとわたしは思っているぞ」
「もうあの子とはあそんでくれない?さよなら?」
「遊ばないわけではないが…今までみたいに毎日は来れないだろうな」
次第にあの子の表情が曇っていく。
「さよならするの?あの子、やだ」
「いや…そうではなくて、わたしは」
「やだ、やだ!あの子は、与六といっしょにあそびたい!与六といっしょがいいの!」
そういうと突然泣き出してしまった。あまり駄々をこねるようなことはなかっただけに、私は焦った。
「あの子…あの子、聞いてくれ。わたしはあの子より四つも年が上だろう?年上の者は皆働いているではないか。わたしはしっかり働ける、一人前の大人になるための第一段階をこえたのだ。そう、立派な男となるため!」
「……」
最後の部分は私の当時の最終目標だった。何せ樋口家の長男なのだ、使命感もある。
あの子は洟をすすりながらじいっとこっちを見ていた。もうひと押しだ。
「だからあの子。あの子もはやく一人前になるための努力をするといい」
「いちにんまえ…」
「そうだ。わたしがいない間、今までわたしが教えた以上にたくさんのことを伯父上や多くの者から、一人前になるにはどうすべきかを学び、その道を探すのだ。
…それにわたしは居なくなるわけではない、暇があれば必ずここに来る」
「ほんとう?」
「ああ。毎日でなくても、これからはあの子の知らないことをもっともっと教えてやれるはずだぞ。だから、泣く必要などない」
そう言って、あの子にむかってにっこりと笑った。あの子にはこれが「効く」ことを、その頃から分かっていたからだ。
案の定、表情は見る見るうちにほぐれたのだった。
「うん。わかった、与六みたいにいちにんまえになる!」
「そうだ、頑張れ!あの子」
私はまだ一人前ではなかったが、あの子が泣くのをやめたのでとりあえず良しとした。
「あの子、与六といっしょ!いっしょにがんばる!」
「いっしょって、一緒に行けはしないのだぞ?そこをわかっていないようだな…」
あの子は考えを自己完結させてしまうところがあるが、思えばこの当時からだ。
「じゃあいちにんまえになったら、与六といっしょになれる?」
「…意味がよくわからないぞ?」
「わかった。与六のおよめになる!」
「な、どうしてそうなる!!?」
突拍子のない言葉に私は面食らった。
「おじうえがいってた。おのこといっしょになるのはおよめになるんだって」
「それは…意味を違えてはいないか?」
「あの子、与六のおよめになるから、がんばる!」
あの子の中だけで話が完結してしまったようで、一人息巻いていた。
こうなるとなかなか話を聞きいれてはくれないものだ。
「…そ、そうか。」
なんだか脱力してしまった。
本気で言っているわけではないと思いつつ、私はあの子と夫婦になったらどんな家庭を築くだろうかと何となく考えてしまった。満更…悪くはないと思ったことを、今でも覚えている。
「あの子。あの子がそれでよいのなら、わたしはあの子をめとれるような立派な男になってみせよう」
「うん、与六もがんばれ!」
「共に励もう、あの子!!」
そうやって、最終的には二人で盛り上がっていた。
謙信公や景勝様に出会う、ほんの数日前のことだった。