灰慈さんは去年と二年連続で、自分の誕生日に来店した。……同じように、一人で、部屋を貸し切りにして、だ。
 私はやっぱり誰かと一緒のほうが楽しいと思うけれど、お客さんの事情に二年連続で突っ込むのはやめておく。
 いつもは料理を食べ終わる頃に、重い足をどうにかしてご挨拶に向かう私が、今夜は提供が終わったところですぐ灰慈さんのところに向かった。これには給仕さんも驚いていた。
 私を部屋へ案内しながら、「今日は打ち合わせもしないんですか」と尋ねる給仕さんに、大丈夫ですとはっきり返してきた。
 今日は、大丈夫だ。準備もしたし、もし頭に何も浮かばなくなっても、料理が導いてくれるはず。それに、いつまでも人に頼るのも良くない、と思う。

「よう、実ノ梨
「こんばんは、灰慈さん。お食事はいかがですか」
「……どうせ今年も花束か何かを持って来るんだろうと思ったが……まさか今になって、こう来るとは」
 挨拶もそこそこに、灰慈さんが額に手を当てて、「まいった」とこぼした。
 灰慈さんは今夜の予約を取っていたので、私は事前に準備ができた。去年を踏まえて何か考えようとした矢先……ぴったりなものを見つけたのだった。


「本日は、以前の今日に塔和邸で提供されたメニューを私なりに作ってみました」
「うちのシェフがこれ食ったら……泣くだろうな」
「兄弟子には追いつけていないと思いますけど……」
「いや、お前の成長を実感して泣くんだよ。あんなガキだったのにってな……」
 溜め息をついて、灰慈さんはメインディッシュを口に運んでいた。
 ……見つけたのは、過去の調理記録。部屋のものを整理している時に、塔和邸の厨房にお世話になった頃の冊子が出てきたのだ。

「どれにしても見事だが……コレは反則ものだった」
 灰慈さんは双子のように並んだ空の器をつついて、半ば恨めしげに私を見る。
 スプーンできれいに掬われて、薄い白い線が残るグラスが、味に言及しない彼の心の内を語っていた。
「……ヴィシソワーズだけは、前に私が作った品を忠実に再現したものと、今の私の至高と思える品、2種類をご用意しました」
「昔の味は覚えてた。懐かしかった。……より美味いのは、今のほうだったが」
「ちゃんと成長できてて、よかったです」


 ホッと胸をなで下ろしたところで、私は詳しい料理の説明をする。
 いつもなら灰慈さんは何かしら口を挟んでくるのに、今日は相槌だけで流されてしまった。……張り切って用意してきた時に限って、肩透かしを食らった気分だ。
「……あの、聞いてました?」
 着席している灰慈さんより、立っている私のほうが目線が高いので、少しかがんで彼を見た。
 前より髪が伸びた灰慈さんは相変わらず整った顔立ちで、時が経ったせいか……より男の人っぽさを感じる。
 近くでまじまじ見ているのもおかしいな、と離れようとしたところで目が合った。

「わ!?」
「なんだよ。ジロジロ見てたくせに」
「な、何も言わないから、どうしたのかと思ったんですよ!」
 喋ってくれればこんなことはしなかったのに――そう言い返したかったけど、彼は私に喋らせようとするわりに無言の時間も気にならない人だった。どっちにしても太刀打ちできない。
 適切な距離に戻った私を見て、灰慈さんはフッと息を漏らしていた。あれは笑い声だった。あまり嬉しくはない笑顔だ。……こんな表情をすると、小さな頃の私は想像もしていなかった。


「…………昔のヴィシソワーズを口にしながら、あの時のことを思い出したんだよ」
 笑っていたはずの灰慈さんは、何故だか、ぶっきらぼうに言った。
 味覚が記憶を呼び覚ますことは、ままある。灰慈さんも、以前と同じものを口にすることによって、当時のことが紐付いて出てきた、という。
「そう、例えば……お前の見た目はそこがピークだった」
「……はあ。そうですか」
 ……毎度ながら、からかうにしても……灰慈さんはよくわからない。

 いろんなことを思い出した灰慈さんは、少しセンチメンタルなのかもしれない……と結論づけて、私は穏やかに進みそうな会話の糸口を探した。
「あ、その……あの時言ってた“ご子息様”って、灰慈さんのことだったんですよね」
「今更言わないでも知ってるだろ」
「その時は意味がわからなかったんですよ……なんで自分だって教えてくれなかったんですか」
「ちょっと黙っとくかって思っただけだ。お前こそ10年経って確認する事じゃねーぞ……」
「そうかもですけど……」

 灰慈さんが誕生日にお店に来たのは去年と今年だけだったこともあって、私は昔の調理記録を引っ張り出すまで、すっかり記憶の彼方だった。
 そんな申し訳なさも踏まえて……お約束のメッセージを言わなければ。
「じゃあ……あらためて、灰慈さん。10年前も今日も、お誕生日おめでとうございます」
「……まあ、どうも」
 てっきり去年みたいに「嬉しくない」と返されると思ったら、いちおう受け入れてくれたようで……予想外で思わずパチパチと瞬きをしてしまった。
 でも……祝う気持ちで言った私も、そのほうが嬉しかった。



 話しながらの食事も、最後の一口だった。
 カトラリーを置くと、灰慈さんは私のほうを向いた。
「……希望ヶ峰学園、行くんだってな」
「えっ。知ってたんですか」
 大企業の塔和グループは、当然ながら優れた人材も多い。灰慈さんはそんな家の人だから、この手の情報も耳に入るのかもしれない。
「しばらくお前の料理はお預けになるだろうから、今日はここでの食べ納めってわけだ。ま、こういう時は必ず来るもんだ……後を楽しみに待ってやる」

 希望ヶ峰学園への入学も決まり、私がここで料理できる日は、日に日に減っていく。
 昔の調理記録も、入寮に備えて荷物を整理する途中で見つけたものだった。
 ……新生活に向けた準備は、着々と進んでいる。
「……師匠も、ここに戻る気でいるなって。……せめて長期休暇の時は厨房に立ちたいって言ったんですけど」
「今までと一変するって確信してんだろ。“卒業生”の実感として」
「…………」
 私は、ちょうどいい言葉を返せなかった。
 希望ヶ峰学園に入学して、この厨房を離れて変わることは、楽しみでもあるけれど……不安も大きい。
 慣れ親しんだ場所に戻れなくなると思うと、どうしても心細かった。


「……落ち着いた頃に連絡する」
「料理のご依頼、ですか?」
「さぁな……ま、気が向いたら都合つけてくれ」
「土日なら大丈夫だと思いますよ。……出張して料理するなんて、師匠みたい」
 灰慈さんの申し出は、とても面白そうだった。今までとは違った形で料理を出せれば、新しく学べることもありそうだ。
 ただ灰慈さんは不思議と神妙な顔をしていて、私が答えると少し顔をしかめた。
実ノ梨は“料理界の至宝の弟子”ってだけじゃねーだろ」

「はい。ちゃんと独り立ちしてみせます」
 そうだ。いつまでも“至宝の右腕”のままでは駄目だ。私は師匠がいなくても立ち回れる、一人前の料理人になりたいのだから……!
 励ましてくれた灰慈さんに力強く頷くと、彼は頬杖をついて呟いた。「ああ、それでこそお前だよな……」と。
 めらめらとした気持ちを忘れないうちに、私は退室することにした。
「……ごちそうさま。またな、実ノ梨
「ありがとうございました。また!」
 部屋のドアを閉じて、給仕さんに一礼をする。私も応援していますよ、と声を掛けられて……ちょっと照れた。


 帰りながら――ふと気付いたことが一つあった。私は10年前から、灰慈さんの年齢を知らないままだった。
 ……そういうものをどうでもいいと思っているから、灰慈さんはわざわざ言わないのかもしれない。あるいは相手に尋ねられるまで、言う気がないのかもしれない。
 10年前からずっと、彼は“とても背の高いトーワのお兄さん”だった。歳がいくつでも私の年上であることには変わりないので、あまり気にしていなかった。
 怖そうだけど親切、と思ったあの頃の印象とは少し変わったけれど……灰慈さんは、私を困らせながらも成長を見届けてくれる、大事なお客様だ。
 これからもこんな関係であれたら、と願いつつ――私は厨房へと向かった。


【Happy Birthday!! Haiji Towa 8/9】

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