【A】

「な……苗木っち……!!」
 デスクで作業をしていた苗木誠が振り向く。絞り出すような声を発した葉隠康比呂の体は、細かく震えていた。
「どうしたの葉隠クン」
「そ、それがっ……お、お、俺はどうしたらいいんだべ!!」
 端末を握りしめ、葉隠は叫んでいた。
 通話だ、と葉隠が廊下に出てから1分も経っただろうか。そんな僅かの時間で戻ってきたのに、この取り乱し様はいったい――。苗木は勢いに圧されながらも、事情を把握すべく彼に訊ねる。
「えっ、それはまだ分からないけど……一体何が起きたの」

「……実ノ梨が、倒れたって」
「倒れた!?」
 今度は苗木が思わず声を上げていた。
「朝日奈っちからの連絡で……今は医務室で処置してるって……」
 葉隠の言葉は、尻すぼみに小さくなってしまった。
 灯滝実ノ梨と朝日奈葵は、葉隠や苗木たちとは別の第十三支部で未来機関の任務にあたっている。灯滝と懇意の葉隠に連絡を入れるほどならば、それなりの容態なのだと苗木も察した。

「……心配だね」
「心配どころじゃねーべ! 大心配だべ!! さっきから仕事が何も手に付かんべ!!」
 葉隠はおろおろと周りで右往左往するばかりだった。苗木が手で動きを制するも、まったく見えていない。
「お、落ち着いて葉隠クン、電話の前から仕事が捗ってなかったみたいな言い方してる」
「これが落ち着いてられるかっつーの!! ああっ、実ノ梨がもしも……うっ、考えるだけで……あああああーーっ!!」
 絶叫が鼓膜をつんざく。葉隠がこうなってしまうと……混乱と恐慌をありったけ詰め込んだ、機関銃の暴発が始まるのだと、苗木は密かに覚悟を決めた。


「俺はまだ実ノ梨とやりたい事がたくさんあるんだべ!! いや、やりたいってのは、そういうやりたいも含めてだけども、それだけじゃねーぞ!? 一緒にパワースポット巡ったりオーパーツを探す旅にも出てーし……そのためにはもうちっと平和な世の中になってもらわねーと困るんだが! そして将来的に沢山の子供を授かって大家族で笑顔の絶えない家庭を築いてそのうち孫にも囲まれて賑やかに暮らして……――そう、だからあと80年は必要なんだッ! 今生の別れには早過ぎるッ!!」
「ま、待って葉隠クン、思いの外ベタな将来設計を聞いちゃったけど――じゃなくてっ」
「ああでも、最悪は……実ノ梨の内臓を活かすしか……若い娘の内臓なら使える部分も多いだろう、きっといい買い手がつく……そしたら俺は、俺は……それを元手にスピリチュアルパワー特盛りの水晶玉を買って、それを実ノ梨だと思って、一生肌身離さず持ち歩くべ……!」

「いい加減にしてよ葉隠クン!! まだそうだと決まったわけじゃないでしょ!? 灯滝さんはそんなに深刻な症状なの!?」
 律儀に聞いていた苗木も、ようやく隙をついて認識の歪みを指摘した。
 思いの丈を吐くだけ吐いた葉隠は、先ほどと打って変わってすんなりとそれを聞き入れ――そして思い出す。
「あ、…………聞いてなかったべ」
 うっかりにも程があった。
 がっくりと脱力しつつ、苗木は葉隠をどう促したら最善なのかと考える。
 灯滝の容態が本当に急を要しているのなら、話半分で通話を切っても朝日奈が再度掛けてくるはずだ。それがないということはつまり、葉隠は最悪の方向に早合点しすぎている可能性が大きい。……とはいえ、この状態で葉隠が仕事に戻るのは難しいだろう。

「葉隠クンさ……もう仕事どころじゃないって感じだし、灯滝さんの様子見に行ってきたら?」
「そ、そうだな……っ」
「医務室ってどこの医務室なの? 第十三支部のほう?」
「……あ、それもわからん」
「どれだけ慌てて切っちゃったの……」
 いよいよ苗木は自分の推察どおりに思えた。話半分どころか、二言三言で通話を断ったに違いなかった。
 早く葉隠を行かせよう、上の者には自分が事情を説明しよう――苗木は決断とともに、息を一つ吐いた。
「……とにかく朝日奈さんに連絡して、案内してもらったほうがいいんじゃない?」







【B】

 葉隠は朝日奈と合流を果たし、灯滝のいる医務室に向かっていた。
「まったく……場所が近いから手を空けられるなら来て、って言おうとしたところで電話切っちゃうなんてさ」
「あ、あれは衝撃の連続で耐えられなかったんだべ、ヒートショックだべ」
「……何だかわからないけど、とりあえず実ノ梨ちゃんところまでは連れてくから」
 朝日奈からすれば、ろくに話を聞かぬまま勝手に通話を切った数分後に『今すぐ実ノ梨に会いに行くから案内してくれ』とまくし立てた隣の男は、理不尽極まりない存在だった。しかし、それでも仲間であり、大切な友人の大切な存在だ。灯滝のもとに連れて行くべき人間だった。

「で、実ノ梨は何で倒れたんだ?」
 歩きつつの脳天気な問い掛けに、そもそもそこからだった、と朝日奈は思い出す。
「軽度の熱中症だってさ……」
「熱中症? 実ノ梨が? 信じられないべ」
 葉隠が目を丸くして横の朝日奈を見る。
「私もびっくりしたよ。調理場って普段でも暑いから慣れてそうだし……実際、実ノ梨ちゃんもそう思ってたと思う。ただ今日は屋外で、しかもテントも満足に張れなくて」
「……直射日光か?」
「だと思うよ。調理スタッフへのサポートが足りなかったって意見が出てる。結果論だけどね」
「なるほどな……」
 そこで言葉を切って、前に向き直った葉隠は奥歯を噛んだ。起ったことは今さらどうにもできないが、それでも考えてしまう。防ぐことはできなかったのか。危機管理の甘さでまた大変な事態になってしまうのではないか――。


「ぐっ……今回は無事で幸いだったが、実ノ梨にもしもの事があったら、俺は……」
「ちょっと、縁起でもない事言わないでよ」
「俺は……もう実ノ梨の作った飯を食えねーんだぞ!? そんなん耐えられるわけがねーっ! 大いなる損失だべ! この先何を食ったらいいんだべ!?」
 再び朝日奈のほうを向いての必死の訴えは、しかし彼女には聞き捨てならないものがあった。
「何……ご飯の心配だけなの?」
 すっと冷めた視線を受けて、真意が伝わっていないと葉隠は察する。……ご飯目的としか思ってないように見えた? そんなわけがない。

「いや、そうじゃなくて、つまり実ノ梨が五体満足じゃねーと俺は」
「この際だから言うけど……葉隠は甘えすぎだよ! いくら実ノ梨ちゃんがすっごい料理人だからってさ、無理になったらご飯くらい自分で作ればいいじゃん! 嫌なら道端の草でも食べてなよっ」
 朝日奈は怒りを隠さなかった。誤解を解こうとする葉隠の言葉を強引に遮って、拳を握りしめ、目を吊り上げていた。葉隠が思わずたじろぐほどだった。
「あ、朝日奈っち――」
「しっ。ここから先はうるさくしないで」
「エッ……」

 突然に人差し指を唇に当て、朝日奈はついに有無を言わさず黙らせる。言われた葉隠が周りを見ると、いつの間にか医務室の前に来ていた。
 あれほど感情を爆発させていても、彼女は目的を見失ってはいなかった。……といっても、その眼にはまだ怒りの炎を燻らせていたが。
実ノ梨ちゃんの顔見て、自分がどんだけ勝手な事言ってたか考えて。……入るよ」
 キッと睨まれると、葉隠は後ろめたさもないのに萎縮してしまう。こればかりはどうしようもなかった。

 ドアを2回ノックして、朝日奈は扉を開いた。
 ふと見ると、中に入るその横顔は、先ほど葉隠に向けた憤怒など微塵もなかった。完全に灯滝のための表情をしていた。
 女って、おっかない――朝日奈の後ろで葉隠は密かに顔を引きつらせた。それでも、彼女に倣ってすぐに灯滝のための顔を作る。……灯滝に会うためにここに来たのだから。

←BACK | return to menu |

“「だーから熱中症は怖いっつったべ」とかぶつくさ言いつつも側から離れない葉隠くん”
ネタは三城さん(@mikamimimi333)から頂戴しました。ありがとうございました!

初出:ぷらいべったー(170725)

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル