3

「葉隠くん、ここに居たんだ」
「お、終業したか。お疲れさん、灯滝っち」
「お疲れさま……」
 先に上がったはずの葉隠が見当たらず、しかし端末はデスクに置きっぱなし。連絡の取りようがなかった灯滝は、近くに居るはずだと葉隠を探していた。
 もしかしたら、と開けたのは、突き当たりの非常階段に続くドア。彼が厄介事や人から逃れる時に使っているのを、灯滝は知っていた。
 ……結果は案の定。彼女の読み通りだった。
 呼び掛けた声に葉隠は振り返ると、一瞬白い息を見せて灯滝に応えた。

「どこに行ったのかと思った……端末置いて出るの、やめてよ」
「あー、灯滝っちにだけ分かればいいかってな」
「それに、あまり一人で外に出るのは」
「建物内みたいなもんだろ? 未来機関管轄の、こんな微妙な場所を攻めねーって。万に一つ、ここで死ぬっつったら超絶スナイパーのヘッドショットくらいだべ」
「自分の頭吹っ飛ぶのも、葉隠くんが頭吹っ飛ばされるの見るのも、願い下げだよ……!」
 事あるごとに「死にたくない」と言っている割に、葉隠の危機管理はどこか抜けていた。“卒業”してから度胸が付いた……というわけではなく、根が楽観的なのが原因だろうと灯滝は思っている。


「ま、こっち来い来い。」
「戻らないの? 寒いよ?」
「だから来てくれって。ちょっとだけ、ここに」
 手招きしても近づこうとしない灯滝を引き寄せて、葉隠は後ろから抱きしめた。
 灯滝は戸惑いの声を上げる間に、階段の柵と葉隠の間に入れられてしまった。更に彼のコートで包まれ、抱えるように前で腕を組まれては、もはや自力では出られなかった。

「まだまだ寒いから、羽織り無しじゃ外に居られんだろ?」
「いつも風通しの良さそうな着こなししてる葉隠くんに言われても、説得力が」
「そういうわけで俺もあったかいから、このままで頼むべ」
「はあ……」
 背高細身な葉隠のオーバーコートは、ぴたりとくっ付けば、それなりに灯滝を覆うことができた。
 コートから頭は出ているものの、灯滝が葉隠に向いて文句を言うには密着しすぎて余裕がない。

 真冬の夜には勝てなかったのか、羽織りに袖は通さない性分の葉隠がジャケットにコートまで着込んでいた。前を留めないのは相変わらずだったが、やはり寒かったのだろう。カイロまで入れているらしく、彼のスラックスのポケットあたりがやけにぽかぽかした。
 屋内は暖房が効いていて、冬でも厚く着こまない。そのままの服装で出てきた灯滝としても、葉隠に身を寄せれば寄せるほど適温へと近付いた。
 ワイシャツ越しに感じる彼の温かさが、灯滝の言いかけた抗議をじんわりと、うやむやしていく。葉隠のおかしな言い草と、それを呑んで許してしまう自分に……ため息が出た。





「ここで一服してたの?」
「おや、分かるか」
「わかるよ。吸ってない人のほうが匂いに気付くから」
「……そうだな」
 煙草の香りは、周りから感じるような吸いたてのそれではなく、灯滝の頭の上で喋る葉隠の口元から漂う程度のものだ。灯滝は、葉隠に抱きつかれてから気付いたのだった。
「タバコ、珍しいね」
「俺は吸わんでも生きていけるが……たまーに、この匂いに触れたくなるんだべ」

 そこで話を切って、葉隠は外を眺めた。
 ぽつぽつとまばらに見える灯りは、二人の立つ非常階段の薄暗い蛍光灯と同じく、夜を照らすには未だ心許ない。……それでも灯のあるところに、必ず人は生きている。
 彼らはしたたかに生活を続ける市民かもしれないし、絶望に染まった暴徒かもしれない。あるいは……長らく会えていない自分の身内、かもしれない。
 今の葉隠に、それを知るすべはなかった。
 だから時折、葉隠は気紛れを装い、名残りを求めて紫煙を纏う。……少しでも気が紛れるように。


 葉隠の言葉に対する灯滝の反応は、ふうん、の一言だった。そのまま、葉隠と同じように非常階段からの景色に目を遣っていた。
 もっと聞いてくると思っていた葉隠には、肩透かしだった。その素っ気なさに、詮索されない安心感と少しの寂しさが湧く。
「……よし。ぎゅうぎゅうにして、灯滝っちに匂いをお裾分けだべ」
 冗談めかして、葉隠はいっそう灯滝を抱きしめた。
 匂いを移して、こちらの色に染めたいのか、それとも、そこに灯滝以外を見出したいのか。……どちらにしても、温かい彼女を手放す気は起きなかった。



「う、私つぶされる……?」
「ん? 胸は潰さんから心配せんでも」
「そういう話じゃ……うう、」
 灯滝が必死に腿をたたくので、葉隠は渋々ながら拘束を緩めた。それでもなお、彼女はモゾモゾと動いて出たがる。
「私、渡したいものがあって探してたんだよ。出して」
「いーやー、だべ」

「じゃあ、まずは聞いて……」
 灯滝の頭の上に顎を乗せ、葉隠が要求を拒むと、彼女は抗うのをやめた。その代わりと言わんばかりのため息の後、言葉で働き掛けた。
「葉隠くん、今日がバレンタインデーって知ってた? その……こんな世の中だけどさ、出来るだけ普通っぽいことをしたくて……チョコレートを用意してたんだ」
「バレンタインデーなあ……いろいろ貰えるお得な日だったが、今じゃそんな雰囲気欠片もねーべ。……で、それでもオメーは、チョコを、用意……」

 キーワードを踏まえた葉隠は、思い出す。
 今日の灯滝は、会うたび必ず誰かと話をしていたことを。そしてその都度、誰もが彼女に笑みを見せ、彼女も嬉しそうにしていたことを。
「……あーっ! あれってもしや、皆にチョコ配ってたんか……!」
「あ、見てたか……。葉隠くん、朝はまだ出ていたでしょ? 戻ってなかったから、いっそ最後に渡そうと思って……ごめんね」
 後から立て込んで話すのが遅くなったのだと、灯滝は申し訳なさそうに言った。

 イベント事にうつつを抜かすような環境でないと承知の上ながら、灯滝は日頃の感謝を込めたチョコレートを、会う人会う人に振る舞っていたのだった。
「もの作って食べてもらうのが、私なりの希望の作り方かな、って。……でも、イベントにかこつけて、私が思いっきり作りたかっただけなんだ。自己満足だね」
「なんだ……俺はてっきり、出張業務から戻って来たら灯滝っちが鞍替えを図っていたのかと……」
「えええ! 違うから!」
「老若男女問わず行ってたし、ずいぶん見境ねーなって」
「……なんか、ひどい誤解が生じていたんだね……」

 灯滝と接触できずにいた数日間と、今日の彼女の動き。それらで募った灯滝への不満から、葉隠は今に至っていた。
 普段は吸わない煙草を持ち出し、違う存在を想って、けむにまいてみたり。灯滝を試すように、ここまで誘導するような真似をして、我がままに付き合わせたり。
 相手が去ろうと何処吹く風なはずの葉隠が、灯滝に対しては別の顔が出てくる。
 ……振り返ると、なんともバツが悪かった。
 しかめた顔を灯滝に見られない体勢でいたのは……葉隠にとっての幸いだった。





「……えーと、つーことは今チョコ持ってるんか? ……潰れるってか、溶けるべ!?」
 チョコレートの危機と思い至ると、葉隠は慌てて腕を解いた。
 解放のカギがチョコレートとは思いもよらなかったが、ようやく自由になった……と灯滝が思ったのも束の間、今度は葉隠の手が脇腹付近や胸元を服越しにまさぐってくる。
 せわしない動きでも、いかがわしさは感じない。葉隠はチョコレートを――袋や箱の所在を確かめていた。
「さ、さすがに今は持ってないよ。デスクに置いてるから安心して、そしてもう探さないでっ」
 臀部に触れる葉隠の手を掴んで剥がすと、灯滝は葉隠に向き直った。離れた背中が空気に触れて冷たいが、しっかりと彼の表情を窺えたのは久方振りだった。

「いやあ、てっきり伸したか溶かしたと……。灯滝っちの手作りなのに、ダメにしたら勿体ねーってお化けが出るべ」
「手作りって言っても、そんな凝ってないし……みんなと同じもので……」
「物は一緒でも……送る俺への気持ちは、特別なんだろ?」
 軽口のように聞こえるわりに、灯滝を見る葉隠の瞳は真面目に見えた。
 葉隠の言い回しは、自信があるようにも、確かめたくて訊ねたようにも取れる。
 ……灯滝にとってはどちらでも構わなかった。自分が素直に答えることが、正解だと思った。

「……うん。」
「だったら充分だ。ありがとうな」
 たった一声から受けた返答は、灯滝にとってこの上なかった。照れが入って、瞬間的に頬が熱くなる。
 葉隠は目を細めて笑っていた。
 自分だけに向けられるその表情が、灯滝は堪らなく好きだった。


「じゃ……後で、貰ってね」
「もちろんだべ。」
「……ありがとう」
 言葉は尻すぼみに小さくなった。
 嬉しくも恥ずかしく、灯滝は葉隠の胸に顔をうずめて隠した。
 葉隠が頭をやわらかく撫でれば、思いはさらに込み上がり、灯滝は彼のジャケットの前裾を強く握るしかなかった。
 それでも溢れて、言葉が、口をついて出る。

「私……大好きだよ、葉隠くんのこと……」
「……俺も実ノ梨が大好きだ。……だから、こっち向いてくれ」
 灯滝はこのままでいたかった。今は、葉隠をまともに見られない。
 それに……顔を向けたら、どうなるか。
 感付きながらも――ついに、灯滝は彼の思いに従った。


 前裾を掴む手をそっと緩めて、灯滝は見上げた。――目が合う瞬間を、葉隠は待っていた。
 彼女の頬をひと撫ですると、そのまま顎に手を掛けて、葉隠は唇を合わせた。
 一度離れて、灯滝を見つめる。唇の感触にまぶたを閉じた彼女が、ゆっくりと瞳を開く。その終わりを捉えたところで、葉隠は強くその身を引き寄せた。

 食まれる唇。煙草の匂い。わずかな苦味が、灯滝の胸の奥をいっそう騒がせる。
 灯滝を甘やかに溶かそうと企てる彼の舌が、腔内で誘う。灯滝は拒む素振りをせず、慣れないなりに同じものを差し出した。
 触れ合う舌先に身体が震える。涙が零れる。……好きだ、好きだ、好きだ。
 何度言ったとしても伝えきれない想いを、灯滝は口づけで懸命に訴えた。






 どちらからともなく唇が離れると、葉隠は静かに灯滝を捉えてしばらくそのままでいた。
 互いの口から零れる息が、刹那に白く現れては夜に溶けて消える。
 ……夢中、だった。
 薄明かりにきらめく灯滝の口元が、潤む瞳が、一部始終を物語っていた。
 彼女のひたむきな想いに応える――それ以上に、自分は彼女を求めている気がした。
「……ああ。実ノ梨実ノ梨だな。催すべ」
 彼に踏み込んで賑やかしていく有象無象でもなく、あの煙草の香りを纏った特別な存在とも違う。
 他の誰にも抱かない感情に、葉隠自身が振り回されていた。

「……いまにも?」
「今にも。」
「……ん、帰ろう……」
「よしきた。」
 半ば夢心地で灯滝がゆっくりと返すのとは対に、爛々と逸る。
 離せばその場にへたり込みかねない彼女を支えて、葉隠は長居をした非常階段をようやく後にした。

←BACK | return to menu |

choco:???
title:♪My Funny Valentine / Lorenz Hart & Richard Rodgers

楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル