かの歌は誰を救う ・後




「スプラッシュさんて、歌が上手なんですよね」
報告書を作成している横で、呑気にコーヒーを啜りながらあの人が切り出した。
私から話しかけることは殆ど無い。私には仕事があるし、彼と談笑をするほどの義理は必要ないからだ。
「…趣味の範囲よ」
「僕、けっこうここに来ているけど、まだ聴いたことないですよ。兵曹長に聞いたら、ここでも歌ってくれることがあるらしいじゃないですか」
「今は、歌いたくないわ」
ディスプレイを見たまま答えたら、自分の眉間にしわが寄ったのが見えた。
「もしかして、僕がいると歌ってくれないんですか?」
そう決めているわけではなかったが、彼が来ると態度が硬化している。理解はしているものの変える気になれない。
感情の内訳を自己分析すると……不快、と思われる。
「……どうでもいいけど、さん付けなんて止めてしまいなさい。まだ長いわ」
「はあ。そういうこと言うと、くだけて話しちゃいますよ?」
「…長いよりマシじゃないかしら」
返答に窮して、出てきたのがこの台詞とは。回路からの伝達に齟齬が生じているのだろうか。


しばらく、無言の時が流れる。
私は報告書を仕上げる事に集中――していたはずが、先のやり取りからの派生にメモリの一部を割いていた。
……歌うことは、私が仕事と稼働維持以外で行う唯一の行為かもしれない。
初めは、持って生まれた自分の“美しい声”を、他に活かせるのではないかという興味からだった。
人命救助の際の呼び掛けで聞こえやすいようにと搭載された、よく通り、人間に好まれる音韻を持った音声プログラム。
更に、音階を覚えたら音程を外すことは無く、詞を覚えたら一字一句間違えない。声量の調節も歌い方も、予め知っていれば綺麗に歌う事が出来る。ヒューマノイドならば容易なこと。
それは確かに正解だった。が、一方でどうしても足りないものが露呈された。

「私は……自分では、美しい旋律も、見事な言い回しも思いつかないわ」
とうとう私は、文字を打ち込む手を止めていた。
私の心は一辺倒で、広がりが見えない。音階も言葉も、情報として蓄積されていくだけ。……本来の私に、創造性は“なくてよいもの”だ。今更アップデートする事も無い。だって、私は――。
「でも、スプラッシュの歌う姿は画面から見ただけでも惹きつけられたなあ」
「私なりに、想いを込めて歌っているわ」
そうだ――これは、自信を持って言える。
「うん。画面越しでも、たくさんの気持ちを歌にのせているのは伝わってきた。」
メディアに歌う姿が出たのなんて、仕事の合間に歌ったほんの数分だったはずだ。
しかし、お世辞でも何でもない、とあの人は続けた。
「なかには不安や悲しさも感じたよ。それでも…それが、僕の心に迫るものがあった」
思い出すように目を閉じて、浸るように一人言葉を紡ぐ。
「強くて、美しくて。でも、とても繊細だった」
「……」
想いを感じくれる人間もいるのは分かっている。
だけど……だからこそ、虚しくなるのだ。




「いいでしょう、そんな話は。それよりあの人、いつまでここに来るつもり?」
こういう時は、話題を切り替えるに限る。早口気味に訊ねると、あの人は「私がここに居る限り」なんて呆けた事を言った。
「私、年内には使用期限が来るのよ」
「知ってる。休みを貰うのも、その所為でしょう?」
妙に私に執着しているから驚くだろうと予想していたが、彼は意外にも落ち付いていた。
「…休みを“取らされる”のよ。不本意に」
ロボットに休日だなんて、可笑しなことが始まったのは…もう昨年になるか。
部隊のお上から休暇命令が来る以上は、従わないわけにはいかないが、内心は不満だらけだった。
“常に備えよ”の精神はどこへやら。あるいは、それ程にまで私は旧機に成り果てたか。
「――とにかく。近いうち、ここから居なくなるからそれまでって事ね」
あの人も私なんかに構うより、さっさと他の事でもしたほうが有意義だろうに。

やや沈黙があった後、あの人は神妙な顔をして私を見た。
「スプラッシュ。期限になったら、僕のところに来てくれないかな」
「……」
これは、この発言は……やはり彼も勘違いをしている人間だったのか?
少し、残念な気がしたが…ならば私は、いつも通り切り捨てるだけだ。
「無理よ。海に出られなくなったら、私は」
「歌ってほしい」
…どうしてここで、また歌の話を…。
「その話はもう――」
「僕だけじゃない。いろんな人に、歌って欲しいんだ。」
あの人は、いつになく力強い瞳を私に向けて、もう一度言った。

「……何を、言っているの。あなた」
彼が最も欲しているのは、恋愛ごっこをする私でも、人形としての私でもなく……“歌う私”?
この男は、海難救助用のロボットに、歌い手としてオファーを持ちかけていた。
――海での仕事だけが、君の生きる道じゃない。他の事にだって、その能力は活かせるはずだ。
――あんなにも豊かに歌う事が出来て、こんなにも豊かな心のある、君を無いものにはしたくない。
急に熱弁をふるうあの人に、口を挟む隙がない。…ただの興味本位でない事は、この数カ月の間定期的に来る律義さが物語っている。
彼が基地内フリーパスなのも、以前から上官たちとこの件で話し合っていたからだった。
上官たちは私を少しでも長くここに居させたかったが為に、休暇を与え、休養を勧めていたらしい。私の使用期限が、年数ではなく仕事日数で定められていたからだ。
懇篤に私を扱ってくれていたことは長年感じていたが……ここまでの配慮とは、痛み入る。


だが、そこで一つ疑問が湧いた。
「…なに、じゃああなたはこの為に、最初あんなところで溺れていたわけ…?」
「その……紹介されるより、普通にしているときに会いたくて、つい」
誤魔化すようにはにかんでから、あの人は言いにくそうに口を開いた。
溺れるつもりはなかったと言うが……つくづく、常人が持ち合わせるべき感覚が抜けている。
「でも突然この事を言って、仕事や命令って思われたくなかった。……だって絶対、今後に関わる」
――歌う時って、“気持ち”が大切でしょ?
「……」
「まだ時間はあるから。今すぐには答えなくていいよ」
彼の愚かしい程の思いやりは、私の言うべき言葉を覆うようで…切なく、苦しかった。それに上官たちも上官たちだ、道具に情けを掛けて……。不要な気をまわされる側は対処しきれない。

「僕はさ、ロボットにもセカンドライフがあって、いいと思うんだ」
会う度に見ている、その笑顔。……やれやれと、ため息が零れていた。
「…なかなか前衛的だと思うわ」
苦笑いをしてあの人を見れば、いっそうの破顔をされ、ますます気に障る。
「褒められついでに、スプラッシュ。そろそろ僕に歌声を聴かせてよ」
「そうね。あの棚にメディアに出た時の映像ディスクがあるから、勝手に見てていいわよ」
……あの人はまだ私の“sir”(上官)ではない。止まっていた書類作成を終えるほうが先だ。
適当にあしらって、私は再びキーを打ち始めた。


近いうちに終わると思っていた私のキャリアは、新たな配属先を以てまだ延びることだろう。
消えるはずのロボットへ可能性を残そうとする――目の前の酔狂な男によって。


←BACK | RETURN TO MENU || ...WEB CLAP?

7000hitリクは「男主でスプ夢、スプ姉の歌が聴き隊」とのことだったのですが、内容がずれました。その上…大変お待たせしました、花月さま…!

かつてのスプさんを沿岸警備隊所属と考えてみたら、こうなったんだ……。

じじいとは違う、ロボットの行く末の切り開き方。
仕事一筋に生きた先というのは、方向転換が難しいんだろうなぁ。

(101015up)


[*]GO UP TO THE TOP▲













PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル