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「姫様!」
 王族の部屋のあるフロアに入れる者は、侍女の中でも傍仕えの者の数人と、選りすぐりの近衛兵だけで、特に寝所は王の腹心の臣下であるブライと雖も立ち入ることは出来ない。それが王女であるアリーナの寝所であれば尚更のことだった。
 クリフトは既に姿を失ったアリーナを追って城を駆ける。
「姫様!」
 彼のアリーナを呼ぶ声は、すれ違う者達を驚きの表情で振り返らせたが、あっという間に通り過ぎる彼に後は風を残すのみ。それを見た小間使いや女中達は、またアリーナが御堂の石像を相手に格闘したのかと、毎度クリフトのお小言を聞かされてシュンとする彼女の苦い顔を思い浮かべて笑った。
 つい一昔までは日常茶飯事だった光景。それ故に疾走するクリフトを止めて咎める者も居なければ、彼が寝所に向かっていくことに気付く者は居ない。警備が厳しくなるサントハイム王の就寝時間に差し掛かっていなかったこともあるだろう。
「姫様!」
 そうして既にクリフトは彼女の部屋の扉まで来ていた。
 不意に手の掛かったノブは固く、中から鍵が掛けられているのだと気付く。
「、姫様」
 クリフトは声を落として言った。
 確かに彼女は此処に居る。お転婆の彼女が部屋の籠ることなど珍しいが、挫けた時に誰とも顔を合わせなくなるのは冒険の頃から変わりない。涙を流すことに慣れぬ彼女は、何時だって泣き顔を見られぬよう宿屋の自室に閉じこもる癖があった。
 再び扉を開けようと、途中までしか回らぬノブに力を込めて握ると、鍵で止められた爪のガチャリという音と共に中から声が聞こえた。
「来ないで!」
 蓋し泣き声ではなかったが、拒絶の篭もった声は震えていた。
「、」
 クリフトは聞いた弾みでドアノブを離すと、一歩下がって扉を見つめる。
 己の顔も見ずに走り去ったアリーナ。彼女の縁談が進みつつある今は、極力自分の存在を隠すよう離れていたのだが、久しぶりに会った聖堂ではアリーナの表情すら窺うことは出来なかった。両者の間には暗黙のうちに互いを避けるよう合意がされていたのだが、鍵のかかった部屋で泣く彼女を放っておける程、クリフトは冷静ではない。
「無礼をお許しください」
 彼はそう言って背の大剣を引き抜くと、何も語らぬ硬質な扉に一礼して構える。
「お咎めは受ける覚悟です」
 失礼、と彼は言うと同時に、上段に構えた剣を扉に目掛けて振り降ろしていた。
 
 
 
 刹那。
 
 凄まじい破壊音と衝撃に扉は砕け、木の破片が廊下に舞う。
 
 
 
「お許しを」
 見るも無残に叩き割られた扉を踏み越え、クリフトは剣を鞘に納める。彼の靴音に金属音が紛れたのは、壊れたドアノブが転がったからか。
「クリフト」
 木片の舞い散る中に彼の姿を見たアリーナは、目を丸くしてその様子を見ていた。
 品行方正、志操高潔、生真面目な彼が凡そ扉を打ち破るなど考えられぬと、彼女はやや煙る入口から現れた人影をクリフトと確かめるに疑ったほど。
 しかし確かに彼はクリフトで、静かに歩み寄って己の表情を窺ってくる様子はまさに彼らしいもの。
「泣かれていたのではないかと思って」
……今から泣こうと思ってた」
 この衝撃の後としては、何とも淡々とした会話だった。
 アリーナの言う通り、彼女は泣いてはいないらしい。只だその目尻に赤みが差しているのは、此処に辿り着くまでに溜めていた涙が滲んだからだろう。今から泣くのだと言う彼女は、成程大きな瞳を潤ませており、何か一言でも言えば忽ち溢れてしまいそうだった。
 しかし塩の雫が頬を伝うことはない。
「クリフト」
 アリーナは入口付近から二、三歩で立ち止まったクリフトを見つめると、ベッドに伏していた身体を起こして彼の目の前に立った。
「貴方は私に結婚しないと誓ってくれたわ」
「はい」
「一生誰のものにもならないと」
「はい」
 毅然とした問いと答えだった。
 真っ直ぐな眼差しが互いを繋いで放さない。
 辺りは未だ木片の舞うパラパラとした音が空気を掠めていたが、二人には耳が痛くなる程の沈黙が続く。
「だから私も貴方に誓う」
 二人の静寂を破ったのは、アリーナの確りとした言葉だった。
「私も一生結婚しない」
 姫様、と唇をすり抜けるクリフトの声は、続くアリーナの言葉にかき消される。
「誰のものにもならない」
 それはたった今導き出した彼女の答えだった。いや、若しか既に心の中にあった決意かもしれない。
 聖堂で彼から逃げ、扉が破られるまで彼を拒絶していたのは、この気持ちを解き放つことを恐れていた自分の弱さか。アリーナは己の言葉を噛み締めるようにクリフトに伝えた。
「私達は永遠に結ばれない。だけど、」
 己にさえ胸に刺さる言葉を口にするのは辛い。しかし次の真実を届ける為には言わねばならない。
 アリーナはひたむきな瞳を注いでクリフトに言った。
「私の心は永遠に貴方のものよ」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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扉さん、ごめんなさい。
       

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