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この世で最高の幸せは
誰かを愛し
そして
その人からも等しく愛されること。
 
 
 
 
 
 
 階下の近衛兵士達は、数年前に聞いた轟音を久しく耳にして青褪める。今や大人しく我城に納まったと安堵していたお転婆の姫君が、再び自室の壁を打ち破ったのではないかと大騒ぎになった。
「ブライ様、姫様のお部屋から物音が!」
「また壁か銅像か天井を壊されたのでは、」
「もしかモンスターの襲来――?」
 慌てふためく臣下達を押さえ、ブライは女中頭の許可を取り付けて王族の部屋へと向かう。姦しい女達の声を掻き分けながら辿り着けば、成程側仕えの女中達が騒ぐのも理解できた。
……クリフトか」
「ブライ様」
 大きな衝撃音を警戒してか、廊下で塊になって騒ぐ者達をそこに留めてやや進めば、アリーナの寝所の扉は粉々に砕けており、その側には凡そこの騒動とは結びつかぬ人物が立っているではないか。
 もはや掻く髪すら頭頂にはないものの、ブライは振り向いて己を見るクリフトに「やれやれ」といった表情で仰ぎ見る。
「クリフト」
 そこに辿り着くまでの数歩。
 ブライがすっかり白くなった髭を動かして彼の名を呼べば、その背後からは近衛兵士達が帯剣して駆け上がってくる。
「ブライ様、今しがた姫様のお部屋より物音が」
「下がれ」
「いえ物音というよりも大きな、」
「下がれと言うておる」
 ブライは己の背でいきり立つ兵士を牽制すると、次に目の前のクリフトへと視線を注いだ。その瞳は嘗て冒険の頃に見た鋭い光を宿しており、矢に似た眼差しで彼を見つめている。
「これはとんでもない事を仕出かしたものじゃな」
 クリフトは黙したまま老魔導師の台詞を聞いた。
 導かれし者の一人として旅を続けていた時分は、未だ衰えぬ眼力を以て相手を射竦め、終ぞこの年長者に頭の上がらなかった優男も、同じく鋭気に満ちた瞳で彼の視線を受け止めている。
「生意気にも返すようになって、」
 ふんと鼻をならして小気味良い微笑を口角に乗せたブライは、今の騒動に呼ばれて駆けつけた隣のサントハイム王を流し目に見て言う。
「さて。この者の処分、どうなさいますかな」
「ふむ」
 父王の気配に気付いたのか、扉の陰からアリーナが飛び出してクリフトの前に立った。
「お父様。クリフトを咎めるなら私も同じだわ」
「アリーナ」
 両手を広げてクリフトを遮る様は、彼を庇おうと言うのか。
 辛辣にも見える愛娘の真っ直ぐな瞳を注がれた王は、やや考えるように唸ってみせると、見事な顎鬚に手をやって呟き始めた。
「昔、アリーナも部屋の壁を壊して逃げ出したものだが、まさかお前も我が城を壊すとはのう」
「す、すみません」
 突然の言葉にクリフトは狼狽して頭を下げる。
 もとより頭を下げた所で許されるものではなかったが、壊れた扉をしみじみと見つめる王の表情に、クリフトは思わず平伏していた。
「しかし見事粉々に壊してくれたものよ」
 寧ろ感慨深い、と。
「あ、あの」
「クリフトは謝らなくていいんだからね!」
 アリーナはそう言うと前に進み出て、どんな罰でも受けようと父王の言葉を待つ。威風堂々たるその振る舞いは、自分達に罪はないのだと訴えるようでもあった。
 サントハイム王は今にも反省部屋に入ろうとするアリーナを長閑な瞳で見つめると、軽く息をついて呟く。
「いや、扉など」
 ゆっくりと目蓋を伏せた王が次にクリフトへと注いだ視線は、翻って真剣なものだった。
「扉を打ち壊す勇気があるのならば、その身を縛る鎖も解いてみせよ」
「王様、私は」
「神に愛された子が、何故人を愛してはならぬと申す」
「、」
 会話を読まれている。
 クリフトは楔のように己の胸に打ち込まれる王の言葉に閉口しながら、その側に控えるブライを見た。今の言葉にはアリーナも驚いているようだったが、この事態にも左程動じぬ二人の様子からすると、サントハイム王もブライも、何もかも理解っていたということか。
「お前達がそのような苦しみを貫くことなど誰も望んではおらぬ」
「お父様」
 罰を受けることに気負うアリーナを宥めるように優しく諭す父王は、しかし二人を窘めるようでもあった。
 それは半年はおろか、十数年も待たされた者の詰りにも近い。
「そろそろ結論を出さぬか、二人共」
 誰もが幸せになれる答えを。
 そう言って漸く微笑んだサントハイム王の隣には、「全くじゃ」と言って困憊の溜息を吐く仲間が髭を掻いていた。
 
 
 
 
 
 一方、クリフトが去ってすぐに階上から轟音を聞いた神父は、地に響く振動を「おや」と受け止めると、祭壇の十字架を仰いで言った。
「遂に壊してしまいましたか」
 思わず笑みが漏れるのは、彼もまた今の騒動を待っていた一人だからだろうか。
 神父はそのまま彼の忘れた外套を手に御堂の一室に入ると、ハンガーを取って壁のフックに掛ける。掌で埃を払い、生地が落ち着けば衣類棚に収めてやるつもりだった。
「お前の仕える神はそんなに嫉妬深くありません」
 彼は誰に言うわけでもなく、笑顔のまま話し続ける。
「私も主も、愛する子を旅立たせる時が来たと思っていますよ」
 そうして神父が開いた棚には、季節の祭事に使う衣装が並んでいる。彼はその中から婚儀の際に着用する厳かな白の法衣を取り出すと、その側に掛けてあった漆黒の服を眺め見て笑った。
「神よ、不器用な我等の子にあらん限りの祝福を」
 アーメン。
 神父は闇の色に似た黒の仮面を瞳に宛がうと、穏やかな微笑に十字を切った。
 
 彼がクリフト自身から喜びの知らせを聞くのは、もう間もなくのこと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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