モルヒネ


-3-



浅い眠りの中ミリアリアの意識は夢を見ていた。
ここは夢の中だとわかっている。トールが死んでから毎夜見ていた、
あの同じ夢だ。

あたりは昼とも夜ともいえない色のない白黒の世界。
目の前には静かな海辺が広がる。時は止まったまま空気も動かない。無音の静止画像。
寒くも熱くもないその場所に恋人のトールと座っている。
夢の中のトールは穏やかな笑顔を海に向けている。こちらを向く事はない。話しかけても答えることはない。ただ、ミリアリアの隣に座っていた。
座っていた。そう、すわっていたのに。
今見ている夢の中に恋人はいない。ミリアリアだけが1人ぽつんと灰色の海を見ている。

ミリアリアはここが夢の中だとわかっていた。
だから考えられる。どうしてなのかを冷静に。

いつも見ている夢の中に自分は座っている。でもトールがいない。
どうしてトールがでてこないの?
いつからだろう。トールがここにでてこなくなったのは。
(ああ、そうだ)
ミリアリアは思い出した。

AAが宇宙に上がってからしばらく苦しい夢を見続けていた。
トールの優しい笑顔がMSに切り裂かれて目が覚める。うつらうつらと眠りに入ろうとするとその場面が壊れたデータのように何度もリピートするのだ。
ミリアリアは眠れずにいた。
気づいて解放してくれたのはディアッカだった。
ディアッカに抱かれた夜だけ何も考えず眠れた。それで 楽になった。
トールが切り裂かれる夢は見なくなり、吐き気や耳鳴りや身体の不調はなくなっていった。そのかわり。

トールの夢を見ることができなくなった。

白黒の静止画像の中自分だけが1人ぽつんと灰色の海を見ている。
目が覚めると思うのだ。寂しい、と。
笑顔のトールの夢を見たくて彼のくれたペンダントトップを枕の下に置いて寝ても、胸に抱いて寝ても、この風景を一緒に見てくれるトールは戻ってこなかった。

何日か寂しい夢を見てAAは地球軍とザフト軍と戦闘になった。

ディアッカが苦しんでいるのを見ていられなくて彼の元へ行った。
ひどい抱き方をされたけれど、肉体的な苦痛はあっても心は楽だった。何も考えなくて済んだ。

ディアッカと肌を合わせる事で麻痺させているのかもしれない。
憎しみも恨みも嫌悪も寂しさも何も感じない強い薬。

ミリアリアはトールへの後ろめたさからどうにか拒否したが、知ってしまった温もりを身体が心が望んでいるのがわかった。
麻薬と同じだ。回数を重ねれば断つ事ができない。
もう求めてはいけない。だけど。

(寂しい)
夢の中でミリアリアは思う。
寂しい。1人はつらい。
耐えられないかもしれない。自分の肩を抱きしめてうずくまる。
灰色の海は白黒写真を貼ってあるように無音でそこにあるだけだ。

せめて
この色のない海が
なつかしいオーブの海なら。
トールの眠るあの島に続いているのなら。


ふいに空気が動いた。
意識がふんわりと宙に浮いて体の重さを感じる。
(ああ目が覚めたんだ)
ミリアリアはぼんやりと目をあけた。
見慣れてしまった布が目の前を覆っている。ブラケットをかぶったまま眠ってしまったらしい。
だがその布の向こうがいつもと違う感じがして何気に布をはぐ。

そこに――海が、あった。

正確には荒い画像の3次元ホログラフィなのだが、ぼんやりと浮かぶ海は懐かしいオーブの青い色。

なんでこんなものが と、ぼやけた思考で記憶をさぐる。
ディアッカが少しは気がまぎれるようにと作ってくれた機械だと思い出した。

体を起こしてその映像に手を伸ばす。
当たり前なのだが空を切る。それでも光の粒水をすくうようにミリアリアは手を動かした。
海の青が手のひらに映る。
時折鮮やかな色の魚が横切り、水の泡が立ち上る。
ゆらりと海の揺らぎが指の間を抜けていった。

眠ってる間にわざわざ持ってきてくれたのだろうか。
差し伸べてくれた手を振り払ってしまったのに。

大きく空いた胸の空洞を何かが穏やかに満たしていく。
ミリアリアは何度も手を青く染める。
そうして身体がひんやりと冷たくなる頃、久しぶりにゆるりと眠気が訪れた。体をまたベットに横たえる。

海の映像を見ながら自然と瞼が重くなっていく。
頬に本物の水が幾筋も流れた。
あんなに難しかったのが嘘のように
ミリアリアは深い眠りに落ちていった。





「ミリィ、熱下がった?大丈夫?」
「うん、休んでごめんね。」

食堂で朝食をとるミリアリアをみつけてサイが声をかけた。
ミリアリアはいつも心配してくれる同僚にお礼をいい、代わってもらった仕事の経過などを軽くその場で聞く。
戦闘あとの雑務も重なってかなりの仕事がたまっているとサイの言葉尻から察してミリアリアは手早く食事をとる。サイもかきこんで早々に2人はブリッジに向かった。

たわいない話をしながら移動中ふとサイがじっとミリアリアの顔を見る。
「顔なんかついてる?」と聞くとサイが少し聞きにくそうに言った。
「目、はれぼったいけど。ちゃんと寝てる?」

ほんの少し瞼がはれてるだけなのに。同僚の鋭い指摘に少しオーバーにミリアリアは平気なことを強調した。
「あ、これはね。うつぶせに寝たからよ。大丈夫、昨日はよく眠れたの。スッキリってかんじ。」
事実熱は下がって、めずらしく夢も見ず気持ちよく目覚めた。下肢に鈍い痛みは多少残るものの、いつもより調子がいい位だ。
これもあの海の効果なのか。

「導眠剤みたいなもの、もらったの。」
不思議そうにサイが見ているのでミリアリアはごまかすように付け加えた。
「とにかく今日は大丈夫。昨日の分とりかえさなきゃ。最近皆に迷惑かけっぱなし。」

ブリッジに繋がるエレベーターボタンを押しながらミリアリアは申し訳ないといった風にもう一度サイに言った。
「ホントに迷惑かけちゃってごめんね。」
心の中で思い浮かぶ『彼』にも。

(よく考えたら色々迷惑かけた。でてってなんて、心配してくれたのに。やっぱり、あやまった方がいいのかな。)

少し沈むミリアリアを休んだゆえのことと解釈してサイが心配そうに言う。
「あまり無理しなくていいよ。オーブ解放戦からこっち、男でもキツイこと続いたし。」
「ありがと」
「そういえばディアッカが。」
「え?」
エレベーターがきて乗り込みながらサイが出した名前が心の底にわだかまる名前だったのでミリアリアの声が少し上ずった。

乗降ボタンを押そうとしたサイの手が止まる。
「やっぱり、ディアッカと何かあった?」
「え、ううん、何にもないよ。なんで?」ミリアリアはあわてて否定する。
「本当に?」「うん」
「そっか、じゃあ俺の気の回しすぎかな」
「何が?」
サイはエレベーターボタンを押さないまま扉だけが勝手に閉まる。

「昨日の夜、格納庫に手伝いに行ったら、ディアッカもいてさ。あいつ、ミリィが熱で倒れてさんざん薬だ食事だって昼間ひっついてただろう?で様子きこうと思ったら溜息ついてなんか落ち込んでる風でさ。マードック曹長にほっとけって言われた。今朝ミリィに会ったら目がはれてるし。また何かあいつが言ったのかなって。」
「…別に何も…ないよ」
「そう?じゃあ、L4での戦闘、まだ引きずってるのかな」
「ぇ」
「あの時ミリィも言ってたじゃない。帰ってきた時、様子が変だって。突破した時デュエルもいたからつまり、ディアッカが所属していた隊だったかもしれない。」
「あ、うん。それね。やっぱり、そうだったんだって。」
「聞いたの?」
「昨日ね聞いたの。別に無理に聞き出したわけじゃなくて、自分で言ってきたんだけど。L4で戦闘の時、…仲間と会ったって。好きな人なんだって。」
「え?そうなの?」
サイにしたら意外だった。ディアッカはてっきりミリアリアに気があって密かにアプローチしているのだと思っていた。どうやらL4での戦闘が原因で溜息をついてるといった周りの意見の方がアタリのようだ。
「じゃあ相当ショックだったんだろうな。」

サイの言葉にミリアリアは改めて思い出した。

(そうだ。彼だってつらい思いをしたあとで、だからあんな風になってしまったわけだし。それなのに。 )

ミリアリアの心が葛藤を繰り返す中、その様子を見てサイは閉じていた扉を開けた。さきほどまで歩いていた廊下がまた目の前にあらわれる。

「交代時間までまだもうちょっとあるよ。 様子見てきたら?格納庫にいると思うよ。あいつ」
ミリアリアは思わずサイの顔を見た。
ウソを見透かされたようでミリアリアはムキになって言う。 「だから何もないわよ。あいつとは。」
「そうだけど、ミリィの性格からしたらほっておけないんじゃないかと思ってさ。」
穏やかにサイは自分の意見を伝えた。

ディアッカの名前がでた時点でミリアリアの動揺がわかった。ディアッカの様子を考えるにミリアリアも何か言ってしまったのだろう。ディアッカが傷つくようなことを。それをミリアリアが後悔しているようにサイには見えた。
意地を張るのはミリアリアらしくない。
(しょうがないな、背中押してやるか。)

「それに御礼言った?あの立体映像の、あれ。よくできてるね。導眠剤ってあれのことでしょ?」
ミリアリアはドキっとした。なんでサイが知っているんだろう。
訝しげに見ればサイは理由を説明してくれた。
「実はさ、昨日夕方からディアッカ姿見かけないからてっきりミリィの部屋に居ついてるのかと思って…悪いと思ったんだけど夜ミリィんとこ見に行ったんだ。部屋ロックされてなかったからちょっとのぞいただけだよ。ていうか無用心だよ。ミリィ。」
「あ、うん、ごめんなさい。」
「いや、そんなことどうでもよくて。ディアッカはあの3Dの装置ミリィに作ってたんだね。映像探す手伝いをしたんだ。何作ってるか教えてくれなかったけど。口悪い奴だけど結構ミリィにはやさしいよね」
ミリアリアは黙ったまま俯いた。

「マードック曹長が言うには落ち込んでるらしいから顔見せてやれば?あいつミリィにだけは気を許してる感じするからさ。」

ディアッカに思い人がいるとは意外だったが、そうだとしてもディアッカがミリアリアを慕っているのは多分間違いないだろうとサイは思った。
普段完璧装ういけすかない男に思えるが彼女にだけは感情を吐露してみせる。加えてミリアリアをよくみている。宇宙に上がってミリアリアの体調がおかしいと最初に気がついたのはディアッカだ。
ミリアリアもディアッカには気を許してるように思う。トールを失ってからのミリアリアは見てるこちらが痛ましいくらいだから案外いいかもしれないとも。

サイの当たらずとも遠からずな意見に何かあると気づいているのではとミリアリアは余計否定したくなる。
「…私の顔なんか見ても何にもならないわよ。」
尚も渋るミリアリアにサイはにっこりと笑って言った。
「お礼言うのって時間あくと言いにくいよね。」
ミリアリアはチラリとサイを見る。
これ以上避けていると思われるのはむしろ何かあるといってるようなものだ。
(それに、やはりあの映像はお礼言わないと。)
少し思い詰めるように唇を噛むミリアリアは黙って一歩踏み出した。


ミリアリアがエレベーターから降りると扉を閉め上昇ボタンを押しながらサイは呟いた。

「ディアッカに1つ貸しだな。」




(H16.12.23)



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