モルヒネ


-4-



格納庫は人がまばらだった。
先の戦闘で作業できる人数が極端に減っているせいもあり、艦内のあちこちの修繕で借り出されているのかもしれない。
ミリアリアはメンテナンス用ベットにあるバスターに近づいてみた。

なぜかそこにいる気がしたのだ。
それが不思議だと思わず、惹かれるようにミリアリアは床を蹴りコクピットハッチまでふわりと浮いた。
開け放されたハッチを覗き込む。

金色の柔らかそうな髪が見えた。
間違いなく彼だ。声をかける。

「ディアッカ」






マードックに切り上げて寝ろと言われたものの、部屋に戻る気にならず。そのまま作業を続けてしまったディアッカは朝方もう一度曹長に怒られてバスターの中で仮眠を取ろうとしていた。
コーディネーターの中でもより優れた調整を受けているはずの彼の体力と気力は確かに効率が落ちていて、さすがに休息をとらざるおえないと冷静に判断したからだ。

L4の戦闘になった日からディアッカはまともに寝ていなかった。
ほとんど寝ていないといってもいい。
身体は相当疲れていた。だが頭の奥が冴え冴えとして眠くならない。覚醒剤でも使っているようだった。
実際そんな薬に頼ることはなかったがここまで意識が興奮状態にあるのは久しぶりだった。

(興奮?高揚?ナンだろう。)
ミリアリアをひどく抱いた夜からだ。彼女に対する感情を意識してから、彼女に必要とされたいと意識してからは特に。

ディアッカは初めての白兵戦を思い出した。
ナチュラルを敵とし、軍に入って初めて生身の人を殺した戦闘を。
建設途中の敵軍基地に潜入、基地の爆破作戦だった。少数精鋭の隊で乗り込み、情報と異なる規模の大きさと厳重さに誰もが死を覚悟した。刺し違えも辞さない覚悟で作戦を決行させ、結果。
敵を倒し無事爆破に成功、勝利を手にした。
残った味方の数を数えてみれば片手にあまる数で、よく生き残れたものだと周りから賞賛を浴びた。
あの時、行く道を阻む敵を片端から倒した。これほど動く事ができるのかと自分自身を称えたほどだ。
殺意を持つ相手の動きがやたらよくみえた。次の動作までも読めた。まるで心を読んでしまったかのように。
血に混じる力が極限状態で呼び覚まされるのだろうか。
気配が読めるまで、意識がクリアになるのは圧倒的に不利なMS戦など生死がかかった時が多い。
そういえばとディアッカは今と同じような状態になった最近のことに思い至った。

身動きできず刺されそうになった時もそうだった。
医務室で感じたミリアリアの悲壮感がカンに触って無意識に神経を逆なでる言葉をぶつけた。
あの時、ナイフが自分に向けられた瞬間から、手にとるように全てが見えた。動きだけではなく感情まで。
拘束されたロープのせいで避け切れなかったわけじゃない。
ミリアリアの殺意の奥にある悲しみや憎しみと共に心臓を握りつぶされるような辛い感情を感じて、動くのを躊躇ったのだ。
そうして刺されても仕方ないと思わせる激しい憎しみが赤い髪の女に連鎖した。

感情はうつる。
憎しみは膨れ上がり銃が向けられた途端。

ミリアリアから一切が消えた。

ミリアリアの意識がそれを否定した。不思議だった。なぜ憎しみが消えたのか。

意識にかすった影は

恋人への想いだった。

彼女は咄嗟にその想いを行動に移して自分を助けたのだ。

人の情動が読めるのが、役にたったことなど今までなかった。欠陥品と呼ばれた中途半端な力は悪意や憎しみなどの強い負の感情しか拾わない。嫌悪して逆に利用することは多々あったが影響を受けるようなことは一度もない。彼女ほど強い意識に出会ったことがなかった。だからこそ初めて流れ込んできた優しさに惹かれたのかもしれない。


ミリアリアに対してだけ妙に敏感になっている。
どうしてこんなに焦がれる感情が沸いてくるのだろう。
彼女は自分を拒否したのに。
彼女は死んだ恋人しか見ていないのに。


(あー俺情けない。)
過ぎたことを思い返しても事態が変わることはない。そんな無駄な思考を繰り返す不合理を一蹴できたからこそザフトで一目おかれる立場にいられた。この情けないほどの引き摺り様はどうだ。
寝てないせいかせいかさっきからミリアリアのことしか浮かばない。ミリアリアのことを考えれば考えるほど落ち込むばかりなのに。

コクピットシートをぎりぎりまで倒してなんとかくつろぐ体勢にしようとディアッカは身体の角度を変える。MSのシートにそれを要求するのは到底無理な話で腰をずらしてシートに寄りかかる。肩に頭を乗せてディアッカは目を瞑り眠ろうと努力した。しかし目を瞑ると余計外の気配が頭の中にすべりこんでくる。

コクピットハッチを閉めれば密閉されるのだがこの状態で外界から遮断されるのが寂しいと思ってしまう。
(どうかしてる。)
いつになく感傷的すぎるのも寝てないせいだ。

と、誰かが自分を探している気配がよぎった。おせっかいな整備士連中ではない。やわらかい感じがする。
(ミリアリア?)

まさか。
ディアッカは思った。彼女の拒絶はカンのイイ自分が直接感じたことだ。確信がある。自分から来てくれることなど考えられない。

それでも、もし、そうだったら?
淡い期待が胸に膨らむ。あてがはずれた時に落ち込む落差がイヤでそうそう楽観的な期待をもつことはしないのだが、眠らない精神が一種のハイ状態になってしまっている。

目を瞑った意識は外の空気の動きまで読み取れる。昨夜徹夜作業だった連中は交代で休みをとっているから格納庫はほとんど人がいない。やわらかな気配の動きがよくわかる。その存在はバスターを見て近づいてくる。

もし、彼女だったら。

格好つけずにぶつかってみろとおせっかい曹長が言っていたっけ。そばにいたいと、気持をぶつけて懇願してみようか。みっともないと思わずに、そばにいたいと。
断られたらどうする?そっちの方が相当落ち込みそうだ。
ああホントに俺情けない。こんなにグルグル考え込む男じゃなかったのに。それもこれもみんなミリアリアのせいだ。
この俺がこんなに女に入れ込むなんて。


ディアッカの頭の中で感情が、すき放題にわめき散らす中
その存在はメンテナンスベット脇に立っているのがわかった。気配は近づくにつれてより強くなる。

誰だ?彼女であって欲しい。

バスターを見上げて、今、床を蹴った。
もうすぐコクピットハッチの上から覗き自分を見つけるだろう。
そして声をかける。
聞こえるその声は。





「ディアッカ」

ディアッカは弾いたように声の方を見上げる。

覗き込んだ場所にいたディアッカはミリアリアを見ると一瞬凄く驚いた顔をして、急にスネたような顔をした。

いつも威張りくさった皮肉屋な顔しか見ていないミリアリアにとって彼のそれは意外な表情だった。
「あ、の」
お礼だけ言ってすぐ戻ろうと思っていたのに何か泣きそうに見えるその表情に言葉がつまる。
ディアッカはますます顔を歪ませてハッチ入り口途中まで身を浮かせるとミリアリアの腕を掴んで強い力で引っ張った。
「キャァ」
狭いコクピット内に引き込まれて抱きかかえられる。
「ちょ、ディアッカ」
押しのけようと腕に力を入れようとしてもそのままギュウっと音がしそうな位強く抱きすくめられてミリアリアは息を詰めた。

ディアッカは腕の中に閉じ込めた存在を逃しまいと力を込める。
まさかと信じられない気持とやっぱりと思う気持がごっちゃになって衝動にかられた。ただミリアリアを抱きしめたい。

激情があふれ出てきて抑制が効かない。
「ミリアリア」
名前を呼ぶだけで喉が焼ける。
なぜミリアリアがここに来たのか、理由などどうでもよかった。ただ来てくれた。もうそれだけでいっぱいになった。冷静であろうという部分は吹き飛んでしまった。子供のように箍の外れた欲求に忠実な気持だけが彼を支配する。
望むことは。

掠れた声をしぼりだすように言葉を吐き出した。

「お前が誰を好きでもいいから。俺を代わりにしろなんて冗談でももう言わないから。…拒まないで。」


トールの代わりはいない。だからそれがミリアリアの拒まなければならない理由だった。なのに彼はそれをどうでもいいという。

いつもと違った切羽詰った声で、感情のまま伝えられた言葉に嘘はないと感じた。
頭の中で「逃げなければ」と考える反面身体は反比例して力が抜けていく。
ミリアリアの胸はドキドキと心拍数をあげているのに、奇妙に安心感が包む。知り合って間もないと思えないほどその腕の中がなつかしく心地よかった。

どうしてなんだろう。抱きしめられるのが当たり前のように思えてくる。
想いだけが伝わってくる気がする。


ミリアリアはディアッカの胸を押していた腕の力を抜いた。
迷い子のように縋り抱きつくディアッカをこれ以上ほっとけないと思った。
なぜかわからないがディアッカの気持が自分と同じだと思える。
苦しい、悲しい、辛い、――寂しい。

強張った華奢な体が少し緩んでディアッカは安堵する。
ミリアリアの頑な道義が慈しむような優しさに崩されていくのが伝わってきた。
「ミリアリア、俺を好きじゃなくてもいいから。俺を…」
詰まったようにディアッカは言葉を途切れさせて変わりにまた腕に力を込めた。
ワガママな心はもっと欲しくなる。
受け入れて欲しい。

トールの代わりにすればいいと言った時とほんの少し違うようにミリアリアは思えた。
駆け引きのない、素直な感情。子供が母親を求めるように。
ミリアリアはそこまで思いいたってふと気づいた。

『俺も好きな奴いる』
『そいつとL4で会って銃を向け合った…』
ディアッカはあの時確かにそう言っていた。だから辛いのだと思っていた。
それはこれで終わりではないのだ。これからもまたその戦う事があるということ。

ぞっと背筋が凍る気がした。
もしトールが生きていて敵になってしまったら。
きっと耐えられない。自分だったら逃げ出している。でもディアッカはここに帰ってきた。戦争を終わらせたい私達と共にいる。
理念を重んじ辛い選択を選んだ。

意志の強い人なのだろう。真っ暗な闇に続く未来であってもそれが正しいと自分で選んだ
何を考えているかわからないことが多いけれど、吐露する言葉は本当なのだと思う。

彼も縋りたかったのだろうか。
これから必ず向き合わなければいけない現実は悲しいことだらけだ。
それでも受け入れて戦わなければならない。

目の前は暗い闇ばかり、手探りで歩くには1人では寂しすぎる。
辛い夢が彼のぬくもりで薄れるように彼も忘れたいのかもしれない。
――癒す薬が自分であるのなら。

そこまで考えてまたミリアリアの理性が制動をかけた。
(むしのいい考えだわ)

はっきり言われたわけでなく、ただミリアリアがそのような気がするだけなのだ。自分の都合よく思い込みたいのかもしれない。
あさましい。ミリアリアはなんとも恥ずかしい気分になる。だが勘違いさせるようにディアッカの腕は包み込む力でやさしく抱きしめる。
その腕を振り払うことはミリアリアにはできない。苦しみを開放してくれる腕だと体が知ってしまっている。

葛藤を繰り返すミリアリアを抱きしめながらディアッカは触れ合う全ての部分から彼女の全てを感じていた。瞬きする気配はもちろん、心臓の鼓動と脈動の音。ミリアリアを腕にかかえこんでから意識がより一層クリアになっていく。今彼女が何を考えているのかが手にとるようにわかった。

ミリアリアがディアッカの懇願を少し勘違いして解釈しているようだったがどうでもよかった。同情でもなんでも受け入れてくれることだけが望みだ。
今度拒まれたら本当にどうにかなってしまいそうだった。クリアになった意識がミリアリアだけ求めていっぱいになる。
思いのたけをこめて念じる。『伝わる』ように。


――必要として。

ふいに頭の中に声が聞こえた。インカムでの会話のように直接頭蓋内に響いた気がしてミリアリアは驚く。
びくっと肩が強張り力が入った。その反応にディアッカは更にきつく抱きしめる。

――ミリアリア
言葉は音として聞こえなかったのに、ミリアリアの頭の中でディアッカの声が響いた。聞こえたというより心が感じ取ったといった方がよいかもしれない。イメージが流れこんでくるような奇妙な感覚。

続けざまに送られてくる意識のイメージにミリアリアは混乱する。
――必要として。生きる理由が欲しい。

頭の中に浮かぶのは確かに自分ではない他者の意識。動揺するミリアリアを感じながらディアッカは力を緩め少しだけ身体を離した。

顔を近づけるとミリアリアは戸惑うようにほんの少しだけひいた。ディアッカは構わず頭を抱えて唇を重ねた。
激情が噴出すように激しく口付ける。ミリアリアはなされるがままそれを受け入れるしかなかった。
拒もうにも思うように体がいうことを聞かない。その咎める意識も次第に薄れ、神経に直接麻酔をうたれたように体中の隅々まで安らかな感覚が廻る。
鈍る思考はぼんやりとまだ迷いを捨てきれていないが、もう拒めなかった。流れ込んでくる思慕に困惑しながらも心地よい安堵が全てを包み込んでいく。
ただ心だけが理解していた。ディアッカは必要とされたがっている。それを求められることがミリアリアにも救いをもたらすことも。拒める理由などあとかたなく消え去っていく。

深い口付けにクラクラと眩暈がおこる。
唇を通じてミリアリアの心にディアッカの感情が流れこむ。
――構わないから。
――拒まないで。
――必要として。
断片的に浮かぶイメージがどんどんと強くなってミリアリアの意識自体を包み込む。

ミリアリアは心の中で呼びかけた。
――いいの?
私はトールを忘れない。


――そのままでいい。

そう感じた。
息を奪うように吸い尽くされて身体が浮いていく。
心が絡め取られていくような感覚に意識が遠のく。
何も考えられない。
高く
高く
引き上げられて。


バチッ

感電したようなショックが頭の中を駆け抜けた。
目の奥で火花が散った。

思わず顔を背けてミリアリアはディアッカの顔を見ようとすると金の髪がふわりと顔にかかった。ミリアリアの肩にディアッカは頭をのせたと思うと体重を急にかけられてミリアリアがよろける。

コクピット内のあちこちで電位故障をしたようにバチバチと音がした。
一瞬何か事故が起こったのかとミリアリアは思った。
だが音はすぐに収まり同時にディアッカが力が抜けたようにミリアリアを拘束する腕を離した。
「ディアッカ!?」

ディアッカは目を瞑っていた。前にかけられた体重をそのまま体ごと後ろに押すとシートに沈んだ。
「どうしたの?大丈夫?」

おろおろするミリアリアにディアッカは薄く目をあけて微笑んだ。
「…へい…き オーバ…ロ…ド…眠…」
「え?」
聞き返そうとしてもディアッカは既に眠りに落ちていた。


「う、そ。」
すやすやと寝息をたてだした端正な顔立ちの男は、普段から想像できないほど少年のあどけなさを残す寝顔でこんこんと眠ってしまった。
ミリアリアは
夢から覚めたあとのように呆然としたままディアッカの寝顔を見ていた。





(H17.1.26)



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