モルヒネ


-5-



「いた?」
ブリッジに戻ったミリアリアにサイは聞いた。
ミリアリアはうなづき、 「お礼言ってきた」とついウソをついた。

実際は何も言う暇などなく熱烈な抱擁を受けて不思議な体験をしたわけだが、それをサイに伝えるのはどうかとミリアリアは思った。
今にしてみれば夢みたいな気がするし、話すには過程を伝えなければならないので胸に秘めておくのが得策だと考えた。


あのあとディアッカはいくらゆすっても目覚めず、軍人とは思えぬほど深く(それも飛び切り気持ちよさそうな寝顔で)眠りこんでしまった。

コクピット内のあちらこちらからバチバチと音がしたのが気になってミリアリアは電気系トラブルなのかと急いでモニター類をチェックした。が特に異常は認められない。コクピット内を見渡しても変わったものがあるように思えず、表面上まるで問題のない機器の中で途方にくれてしまった。

ディアッカの寝息だけが耳に残る静けさになって ミリアリアはどうなっているのかわけがわからなかった。
ディアッカは確か眠り間際にオーバーロードと言った。
何かトラブルが起こっていたのなら聞いておいた方がよいだろうと確認しようとしてディアッカの肩に触れた途端。

ビシッ

頭蓋内に電気的刺激を感じてミリアリアは反射的に手を離した。

耳の奥がキーンと反響音を残してうっすらと消える。
びっくりしたままディアッカを凝視するが彼は微動だせず眠ったままだ。

(ディアッカ自身が帯電している?)
たまにパイロットスーツの中和装置が故障するとそういうこともあると頭の隅にあった知識を思い出して ミリアリアはもう一度ディアッカの肩にそっと触れた。
今度は何もなかった。
ディアッカに触れたままモニターに触る。何事もおこらない。よく考えればディアッカはオーブの作業服姿で電子機器を携帯している様子もない。

(なんだったの?)
以前見たことのある古いホラー映画にあったラップ現象なるものを思い出しミリアリアは頬を覆って首を振った。
(今は科学の時代なのよ!)

とにかく電気系の故障は艦全体の危機にもなりかねないとミリアリアはディアッカをやや乱暴にゆする。
「ディアッカ、ねえディアッカったら!」
「ん…」
「オーバーロードってどこが?」
ディアッカは目を瞑ったまま少し面倒くさそうに言った。
「どこ…も…ない……」
「え、だってショートした音が」
「よく…ある…」
「よくあるって…」
拍子抜けしたようにミリアリアが繰り返すとディアッカはミリアリアの手をきゅっと握った。
「大…丈…ブ」
ディアッカは寝言のようにつぶやくとまた眠ってしまった。

寝息のほかに安定した微かな電子音だけが聞こえるだけとなり、ディアッカの手に軽く握られた自分の手の甲にじんわりと暖かさが伝わってきた。
なぜかほっとして何もなかったように思えてくる。

ミリアリアは大きく息を吐いた。
ディアッカはこともなげに「よくある」と言ったのでミリアリアの知らないザフト側技術分野での「よくあること」なのかもしれない。事故でないのなら大騒ぎすることはない。ディアッカは徹夜明けで眠りこむほど疲れているのだ。
寝かせてあげようと思った。そうして寝顔をまじまじと見る。
神話に出てくるような端正な面持ちの男は少年のようにあどけなく無防備な寝顔をしていた。

(こんなところで寝たら風邪ひいちゃうよ)
握られた手の甲を返して逆にディアッカの骨ばった大きな手を握り返してミリアリアはもう一度ため息をついた。
ふと違和感なく自然にディアッカの手を握り締めている自分にハッとして手を離した。途端に先ほどまでのことが思い出されて顔に血が上る。

両手で頬を覆って ミリアリアは自分を戒めた。あたりを見回し変化のないことを確認して、一旦コクピットから出る。休憩室から毛布を一枚持ち出しバスターに戻ってディアッカにかけ、気を取り直してブリッジに戻ってきたのだった。

ブリッジに戻る道筋、ミリアリアはディアッカのもとで起こった出来事を思い返した。よく考えるとずいぶんと不思議な、少しおかしな出来事だ。

一瞬だけ感じた電気的なショックは手から電流が走った感覚とは違った。
直接脳に与えられるような、ディアッカの意識が自分に入ってきたと錯覚した感覚に少し似ていた。

意識が入ってきた――それも冷静になってみればありえないことだ。人の意識を感じるなど非現実的なことがあるはずがない。

そう思いたいと自己暗示にかかってるだけなのだとミリアリアは結論づけた。

それは逆に自ら望んでいると認めた事になった。


わかっていた。ディアッカに縋ってしまえば楽になれる。
ただそれは自分の道徳観から外れたものなのだ。差し伸べられた手を受け入れてはいけないと自責する自分は正しい。

それでも望んでしまう部分を打ち消すことができない。

堂々巡りだった。離れて冷静になればこうやって常識的な普段の考えに戻れる。でも触れてしまうと。

答えをだすことができなままブリッジに到着し、サイに問われると後ろめたさからついお礼を言ったと嘘の受け答えをしてしまった。
ミリアリアは俯いて自分の席へ座る。

だが幸いにも重い気分のままのミリアリアにそれ以上考える暇は与えられなかった。
気持ちは整理つかないままでも周りは容赦なく動き始める。

サイは少し訝しげにミリアリアを見たが途中になっていた仕事の進行状況を他で聞かれてすぐさま仕事に戻った。
ミリアリアにしても問い合わせや資料合わせの依頼が間をあけずあり、それが優先と気持を切り替えた。

今はやるべきことが沢山あり、人手不足の艦内で思い悩む暇などなかった。
ミリアリアは休んでいた間の仕事や、 専門技術的な内容から雑用まで片っ端から手をつけて片付けていかなければならなかった。目的としたデブリ帯にはもうすぐ到着する。支援補給を受けるために済ませておかないといけない事項が山ほどあった。


あっという間に時間は過ぎていった。昼食もとらずミリアリアは艦内を駆け回った。
今回の戦闘での負傷者は多く、動ける者が関連する作業をいくつも掛け持ちしていた。
工学科であるミリアリアも例外ではなく雑用からデータ整理といくつも請け負った。前日まで熱があったからと知る者は体を心配することもあったがそれも表面上だけで仕事が優先された。

戦争は終わっていないのだ。今後の方針や各分野での情報の収集・分析。少しでも万全な状態に戻そうと誰もかれも皆急いていた。





(のど、渇いた。)
フゥと1息ついてミリアリアは壁に寄りかかった。
メインコンピューターから外されているデータを拾う為にミリアリアは倉庫に来ていた。時計を確認して勤務時間が既に終了しているのにようやく気がついた。

(これが終わったら何か飲もう。)

もともと食欲はないが水分を適度にとらないとまた脱水症状を起こしてしまう。宇宙で働く人間にとって自己管理は最低条件だ。

これだけは終わらせておきたいと思っていた仕事もおおかた目処がついた。今、途中になっているこの仕事が終わったら今日はこれで切り上げよう。

そう思った途端ずっと心の端でひっかかっていた「彼」の顔が頭の中を占めた。

自分の中で整理のつかない感情がまた堂々巡りの罠をしかけてくる。

ミリアリアは深く溜息を吐いた。どうしたって向き合わなければならないのだ。あさましい自分を肯定して彼の好意に甘えることはやはり許すことができない。拒絶するしかないないのだ。ただそれができるかどうか。

ミリアリアは繰り返す思考を振り払おうと首を振った。
仕事に集中しようとリストに目をむける。

ストライクの戦闘データやGATシリーズの開発途中データが倉庫の一角にひっそりと置かれていた。極秘であったがゆえ、わざとバグを織り込んで専用の解析ソフトにかけて解読するといった念の入用だったがアラスカに到着して必要なしと判断されるやいなや廃棄処分指示を受けたものだった。
いずれ必要になるかもしれないとこっそり持ち出しここに保管して地球軍離脱後はモルゲンレーテに渡されたはずのデータだった。
先の戦闘で一部破損してしまいバックアップ用に忘れられていたこの倉庫にあるディスクが急遽必要になったのだ。

ミリアリアは専用モバイルで解析しながら読み取っていた。
必要とされた部分は少し前の資料のようだった。AAの開発過程での考案やMSの設計、アイディアなど。

気を抜くとすぐディアッカのことが思い出されるのでつい、紛らわそうと高速で流れていくモニタの文字をミリアリアは何の気もなしに追っていた。言われた通りの資料をピックアップして渡せばいいだけのものをミリアリアは順を追って目を走らせていく。

機械が勝手に読み取る表示をモニタに映し出す。


GAT−X303 


目がその記号を読み取った途端
ミリアリアの脳裏に赤い機体がフラッシュバックした。

閃光を直に受けたような衝撃を目の奥で受ける。

バランスを崩してミリアリアは壁にもたれ崩れた。
平衡感覚がなくなって力が全身から抜ける。かかえていた物を維持できず全部手放した。ゆらりと物が散らばっていくのがスローモーションのように目の端に入る。それもぐにゃりとひしゃげて識別できなくなる。

ぐるぐると景色がまわりこめかみの奥がズキズキと痛む。
この症状をミリアリアは経験して知っていた。
つい最近まで眠れず続いたあの忌まわしい夢。

身体の天地がさだまらず急に無重力下に浮くように感じた。同時に吐き気が起きる。目の前が真っ暗になる。あの幻覚がまた脳裏に浮かぶ。

切り裂かれる

――トール


瞬間何かに体が包まれるように感じた。
つむった瞼の裏で淡い青が浮かぶ。泡がたちのぼる。
オーブの海の色。

――ミリアリア
声が聞こえた気がした。トールではない。懐かしい両親でもなく。親しい仲間でもない。

抱きすくめられた耳元で呼ばれた、あの時の彼の声。
温もりが胸の奥から広がっていく。
ぐらついた感覚が正常にもどりやけにリアルに体温を感じると認識して気がついた。
力強い暖かい腕が本当にミリアリアを抱きとめていた。

「大丈夫?」
聞き覚えのある艶のある音の方向にミリアリアは焦点をあわせる。
紫色の光がやけに印象的に見える男がいた。
男の名前を呼ぶ。

「ディアッカ」

存在を確かめるようにミリアリアは頭の中で名前を反芻させた。
吐き気も耳鳴りも消えていく。

ディアッカは口の端をあげていつものように小ばかにした笑いを浮かべていた。

「また何も食ってないんだろ。」
ディアッカはしょうがねーなーと鼻をフンとならすとミリアリアの背を抱きかかえてゆっくりと膝をつき床に座らせる。両膝をたてて間にミリアリアを抱き込んで右膝が背もたれになるようにミリアリアの体をずらした。

ミリアリアは大きく深呼吸して聞いた。
「…どうしてここにいるの?」
「なんとなくミリアリアがいる気がして」
口の端をあげて自嘲的にディアッカは微笑して付け加えた。
「俺、ミリアリアのいる所がわかるセンサーがついてるみたい。」

あきらかに冗談めいた言い回しにつられてミリアリアも少し笑った。

少しの間、言葉なく微笑みあい、一息ついてディアッカが聞いた。
「今朝。ミリアリア、俺のところに来た?」
「え」
「ブラケットかけてくれたのミリアリアだろ?」

ディアッカは微笑んだまま、目だけは真摯な色に見えた。

「目が覚めたらミリアリアがいなくて…夢かと思ったけど。」
少し見おろされる角度で間近に見つめられてミリアリアは目をそらす。

「嫌われたと思ってたから…来てくれて嬉しかった。」
ディアッカはそういうとミリアリアの目にかかる前髪をそっとすくいよけた。

そうして暖かい大きな手が青白いミリアリアの頬を覆い、目を合わせるように顔を近づけた。
息がかかる位置で止め懇願とも確認ともとれるように低くつぶやく。

「このままで…いいだろ?」

鈍る思考の中で飽きるほど繰り返した自責の念がぼんやりと浮かぶ。
暖かい手から伝わる安らぎに霧のように散っていく。

ミリアリアは目を瞑った。
ほっとした安堵の息と共に触れるようにディアッカが唇を重ねる。


――このキスはドラッグ


ミリアリアは頭の片隅でぼんやりと思った。







「部屋で待ってる」

散らばったディスクを拾いブリッジに戻ろうと倉庫から出る時、ディアッカは別れ際にミリアリアに言った。
手をひらりとあげて何もなかったようにミリアリアと別方向へ行ってしまう。 今なのか、何時なのか、何も約束しないまま。ミリアリアの返事も聞かず。

遅い夕食の時も、談話室でも、そのあとミリアリアはディアッカに会わなかった。

無視してしまおう

ミリアリアは思った。触れている時はあんなに贖えないほど欲してしまう腕も、離れていれば必要ないと思える。
人間は勝手な生き物だ。

死んでしまったトールを裏切っているような後ろめたさ。
ディアッカも好きな人がプラントにいると言っていた。
その隙間を埋めあうだけの割り切った体だけの関係などやはりどうしても正気のミリアリアには許せなかった。

シャワーを浴びてベットに横たわるまで、ミリアリアの道義に忠実な心は保たれていた。ブラケットをかぶり目を瞑る。首の後ろにすーっと風が抜ける感じがした。

――寒い

自分自身を抱きしめても端から凍えていくような感覚に陥る。
全身に広がる寒さに歯の根が合わずカチカチと音をさせた。震える体を起こしてミリアリアはディアッカがくれた装置に手を伸ばす。スイッチを入れるとほんのりと淡い青が広がる。

頬に涙が伝った。
指で涙をさわると温かく感じる。凍えそうに寒くても体はまだ体温が保たれているのだと知った。

心だけが凍っているのだ。


オーブに似た海の色を見て唇の震えは収まったが、胸の奥が凍りついていく感覚は消えない。

寒い。耐えられない。

ミリアリアは海の画像を映し出すスイッチを消して無意識に上着を手に取った。

とり憑かれたかのようにフラフラとミリアリアは仕官区にあるディアッカの部屋に向かって歩く

頭の片隅で必死にもう一人の自分が叫んでいた。
先ほどまであんなに自分の不徳が許せないと思っていたのに。虫がよすぎる。


霞がかった思考が時々はっきりとして、ミリアリアはその度立ち止まる。そうすると寒くて胸が苦しくなりあの腕が欲しくてフラフラと歩きだしてしまう。

まるで麻薬患者だ。薬を求める浅ましい自分。

待ってると言った。
縋ってはいけない。

拒斥した考えを貫こうとする自分が表層にでてきては消える。

あと2、3メートルでディアッカの部屋の前というところでミリアリアは必死に自己を戒めて立ち止まる。


自分は彼の恋人ではない。なりたいとも思っていない。
トールにも彼の恋人にも後ろめたい。
早く、部屋に戻らなければ…



「パシュ」
乾いた空間にエアの音が響く。

ドアの開く音にミリアリアは顔を上げる。

ディアッカが無表情に立っていた。片手をドアのへりにかけ片手をミリアリアの方に差し出す。

「こいよ」

瞬間に催眠術にかけられたように吸い寄せられる。

ミリアリアはその手を取った。

グイと引っ張られて腕に抱かれる。ディアッカはそのまま部屋にミリアリアを入れるとドアを閉めロックをかけた。


立ったままミリアリアの髪に指を差し入れて頭を抱え込んでディアッカは所かまわず口付けを降らした。
もう片方の腕で肩を背を悩ましげに撫で回す。耳たぶをかまれ耳孔に舌がねじ込まれる。

「ぁ」

熱い抱擁にミリアリアは力が抜けてそのまま身をまかせた。
抱きかかえられたままベットになだれ込む。
ディアッカは喉元に吸い付きながら上着のジップを下げた。アンダーをたくし上げて胸を鷲づかむ。


いけない。
流されてしまえばいい。

せめぎ合う矛盾した思考。
乱暴に胸をまさぐり荒々しく肌を食らうディアッカの唇が熱くて考えられない。


ディアッカは覆うように口を重ねてミリアリアの息を奪う。スカートを捲し上げてショーツの隙間から指を入れた。

ミリアリアの体はびくっと反応する。乱暴に秘所を指が擦る。
もう片方の手はブラを膨らみからずりあげる。中途半端にむき出しになった胸の飾りをディアッカは指で軽く挟みなでる。
器用にディアッカは胸と秘所と同時に愛撫を繰り返す。

唇はふさがれたままミリアリアの喉の奥が喘ぎをもらす。深い口付けは延々と続いた。

舌を絡まれては引き込まれ息継ぎの合間に唇を噛んで舌で撫でられる。敏感になった胸の先端が弾かれ
秘所の花弁をなでていた指が粘膜の洞窟へと差し入れられた。

「んん!」

息を詰めてその粟立つ刺激に耐えた。 神経が痺れる。

ディアッカの指がそれぞれの場所を思うまま嬲るのをミリアリアは目を瞑りなされるがまま受け入れる。

避けようにも体は麻痺したように力が入らない。
口内に蠢く舌が頭の奥まで意思をばらばらに絡めとるようだ。

それでも鈍る意識の底で行動をなじる自分がいる。
何度も繰り返した葛藤は朦朧としても完全に消えることはないのだ。

薄くかすむ意識の中でミリアリアは思う。
触れられれば拒むことができないなら、いっそどこかへ…


「逃がさない」

ディアッカが呻くように呟いた。





(H17.2.3)



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