その一
箱入りむすめ?
我が家には、私が物心つくころから、猫をかっていました。まず最初におぼえているのは、「みいこ」と呼ばれていたメスの子猫がいました。そのこは、たしか一度も外へ出たこととがない箱入り娘?でした。
ある朝、いつものように母が、みいこをだきかかえて、父を見送っていたら、突然手から飛び出して、父の車の下へ入ってしまいました。
ちょうど車がゆっくりバックしていたので、車の右の前輪がみいこのおなかの上へ、「ギャー!」と、一声あげて、3回ぐらいころげまわり動かなくなってしまいました。
父も、あわてて車から出てきて、医者に連れて行こうと、みいこを車にのせていったけど5分ぐらいたったとこですでに、みいこは冷たくかたくなっていました。
親猫がいたから飛び出したらしいけど生まれて初めて土を踏んだのがこれでは・・・・・半年ぐらいの短い命でした。20年以上たった今でも思いだします。
なさけなき訪問者
私が小学校低学年ぐらいだったとおもいます。よく家に遊びにきた大き目のどら猫(家の在所ではヤス猫といっているけど)は、けっこう年をとっていたみたいだけどとにかくおこらなかった。
そのころは、家では、ピーコだったと思うけどセキセインコをかっていました。
その猫(かってにミーヤと、よんでいました)は、ピーコのそばにいったとき、最初はヤバイ!と思ったけど、反対に鼻をつつかれて撃退されてにげてしまいました。なさけないお客さんでした。
礼儀正しい猫
その頃だったと思うけど、少しの間居候していた白黒のオスネコは、とっても行儀がよかった。飼っていた人のしつけがよかったのかそういう性格なのか。その頃たしか、ミーと言う全然言うことを聞かない暴れものの猫がいたけど、その子とも仲良くしたし、ご飯を食べるときも、いいと言うまでてをださなかつた。うちのミーとは天と地のさでした。絶対にテーブルにのったりやたらにつめをといだりものをかんだりも、しなかったし感心するぐらいぎょうぎがよかった。
ミー2世
私が小学校3.4年ぐらいだったと思うけど、一匹の猫をもらいました。キジトラのオス猫でしっぽが短くおとなしい猫でした。たしか、そのこの好物は、にぼしで、ほとんどにぼしばかりたべていました。よくたべるので体重が、6kgぐらいありました。 全然手玉をとらなくあんましおもしろくなかったけどけっこうやさしい性格で、私が風邪で寝込んでいるときは、そばにいて見守ってくれるそふりをするし、なにをしても絶対に爪を立てたりしませんでした。10年ちかくいたけど、ある日突然すがたを消しました。
「 猫は死ぬときは、飼主のもとを去る」と、言いますが、それかもしれません・・・・・家に来る前にだいぶかわれていたみたいだし・・・
傷だらけの勇者ミー3世
私が中3の夏ごろ近所の家で生まれた子猫を一匹譲ってもらいました。雑種だけど色がシャム猫で、しっぽが長く短いけどふわふわできれいな毛並みのオス猫でした。
いつも家に来る人から「きれいなねこだね」「さわらして」といわれていました。私も今までの猫の中で一番きれいだと思うけど。
性格は、人なつっこいけど、非常にきつい性格で思うようにならないと、ものすごい声でうなりました。
そのころは、犬も飼っていたけど犬でも平気で飛び掛っていくし犬のえさを横取りして、そばに犬がくると、足にかみついて犬のほうが逃げるしまつです。
しかしその性格がたたったのか、4年後我が家は、引っ越していまのとこにきたのですがここは、野良猫、飼い猫が多くて、縄張り争いが熾烈で、まさに猫の戦国時代でしたのでよくけんかをして、けがをしました。
まずはじめは、ぶちとうちらが呼んでいた猫と戦って右足の親指を失いました。これは勝ったみたいでそれっきりぶちは、うちのへんにはきませんでした。つぎは、野良だと思うけど汚いペルシャ相手もけつこう大きかった(家の猫は7kgあった)ので結構長期戦になったので首に大けがを負って直るのに1ヶ月ぐらいかかった。しかしまた戦って今度は、右耳に穴があいて、右の頭に大怪我をした。そのうちに汚いペルシャも、こなくなった。
頭の傷がなおったけどひどかったのでそこには二度と毛がはえなくなった。それでもまだ戦い続けるミーでした。今度の敵はうちの猫より少し大きい白猫うちの前でよくけんかしていた、たくさん毛がおちていたので、相手もかなりの怪我をしていたと思うけど、左耳に穴があいてまた頭のみぎに大怪我・・・・
そんなある日2.3日見当たらなくて変だなーとおもっていたら、ふだんつかっていない部屋の押し入れの中で、頭が腫れてうずくまっているミーをみつけました。医者に、連れて行ったら傷口にばいきんがはいって、破傷風になったみたいでかなり衰弱していると、いわれた。20針近く縫って点滴をしてもらった。しかし、家に連れてかえってしばらくしたら、数回けいれんして目をあけたまままったく動かなくなった。・・・・・・
医者がやぶ医者だったのかもっと早く連れていけば良かったのか・・・・ おやすみ 傷だらけの戦士ミー
7年間いい思いでありがとう
ピケとピータロー
ミーが亡くなって2年が過ぎようとするある日、ちょうど隣との境の塀の上に、白いオス猫と、キジトラのメス猫が、まるで置物のように、2匹並んでいました。さいしょは、近くへいくと、すぐに遠くへ行ってしまいなかなかなれなかったけど、ある日昨日の残り物の魚を茶碗にいれて外に出していたら、食べていたので、次の日も、また食べ物を置いてあげました。それから、2.3日ぐらいたったとき食べているとこを見に行ったら、白いほうが「シャー」と少し離れたとこから威嚇していました。キジトラのほうは、少し警戒していたようだけど恐る恐る近づいてきました。そして、しばらくすると、毎朝ご飯をねだりに来るようになって白いほうも、だんだんなれたみたいでごはんをねだったり、ゴロゴロと、甘えるようになりました。
そして、なきごえがニャーと言うよりピーと小さな声でしかなかなかったので白いほうは「ピータロー」きじとらのほうは意味はないけど、「ピケ」に、しました。
やがて、わが家の庭は、駐車場を作り直したり門を壊したり、といろいろと、工事をすることになりました。コンクリートをぬったとこへあしあとをつけられるといかん、たったこれだけの理由で、我が家でかうことにしました。 大飯食らいのピータローは、何でも食べて、1年ぐらいたつと、7.5kgにもなりました。
ピケは、あまり食べなかったので4.5kgぐらいでした(これが普通?)
初めての出産
やがてビケがお母さんになるときがきました。2月頃ピケのおなかが大きくなっているのに気づきました。ご飯もたくさん食べるようになってきたしあまり動かず寝ることが多くなりました。それから一月ぐらいたったある日私が仕事から帰ってくると、箱のなかに手のひらより少し小さい子猫が4匹ピケの乳に吸い付いていました。
色は、白、クロトラ、茶トラ、キジトラでした。
「猫って毛が生えたままうまれるんだ」初めて生まれたばかりの子猫を見たので、少し感動しました。耳が小さく目も開いていない、しかしきまったとこの乳にたどり着く、すごいと思いました。
ピケとピータローの子育て?
初めての子供にピケは心配なのか、ほとんどつきっきり、1ヶ月ぐらいすっと子供といっしょのはこにいました。名前は、シロ、クロ、チャタロー、トラ、トラがメスであとはみんなオスでした。少し大きく穏やかだけど、食べることだけきついチャタロー
おてんば娘?のトラ
一番小さいけど気の強いシロ
小さいけど最初に目が開いたし最初に固いエサを食べたしっかりもののクロ やがて、子猫たちが箱からでてくるようになると、ピータローは、子猫といっしょに遊ぶようになりました。
だいたい、シロとトラの2匹をピータローがせわをしていて、甘えん坊のクロとチャタローはピケがめんどうをみていました。
ふだん無愛想でほとんどなかないピータローが子猫のめんどうを見るとは思いませんでした。