To Heart
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
誰もが知る「ギャルゲー」 「王道」と言う言葉があります。ここで言う王道とは覇道に対する王道という意味ではなく、極めて一般的である、という意味を指しますが、王道的ジャンルを築き上げるということは非常に凄いことだと思うんですよね。To Heartは「学園物」と言う現在における美少女ゲーム内で王道的ジャンルを確立した途轍もないゲームなのです。 皆さんは所謂ギャルゲーと聞いてどんなタイトルを思い浮かべるでしょうか。歴戦のツワモノである皆さんですからきっと様々なゲームを思い浮かべることかと思います。では逆にギャルゲーマーでは無い一般ゲーマーに同じ質問をしたらどうでしょう? 果たしていくつのゲームがでるでしょうか。言うまでもなくギャルゲーはドラクエやFFと異なり、非常にユーザー層が偏っております。しかし、そんな中でもゲーマーならばプレイはしたことがないが名前くらいは知っているというギャルゲーも存在することは存在するのです。ゲーマーなら誰でも知っているギャルゲー……私はこの6本を挙げましょう。 本作To Heartは間違いなくこの中に入り、サウンドノベルというジャンルでコンシュマーで発売されたギャルゲーとして果たした役目も多いのです。 それほどに世間に知られ、ギャルゲーマーたちに今でも語り続けられる伝説でいられ続ける理由とは一体なんだったのか? 今だからこそ振り返ってみようと思います。尚、PS版の批評となっております。 起用法の疑問 ところで、私は雫が好きです。シナリオの世界観の強烈さと踊るような勢いを魅せて読み手を夢中にさせる文章。高橋龍也氏の文は一文字一文字が洗練されており、私を虜にしました。続く痕も好きでした。どちらかと言われれば雫の方が好きですが、独特のダークながらも魅力溢れる世界観を持つ両作は、今現代においても類を見ない至高の作品であると言うことが出来るかと思います。 そんなわけで高橋作品が好きな私ですが、To Heartは前作、前々作とは異なり、通常の学園物です。正直なところ、蓋を開けるまではかなり不安でした。果たして氏は漫画など他メディアで既に使い古されてきた感のある王道シナリオでも我々を惹き付ける文を魅せることが出来るのかと。 綺麗なアニメーションと明るい歌で幕開ける本作は、当時としてはコンシュマーならではの大技で充分な期待感を持たせてくれます。ゲーム開始と同時に名前の入力をする点についてはときメモを連想させられましたが本作はADG。その後には最早お馴染みとなった感のあるリーフビジュアルノベルの姿が健在でした。そして高橋氏の文も健在だったのです。何のことは無い日常を面白おかしく飽きさせることなく書き立てる。雫や痕とはまた違った魅力がありました。一日の終わりの毎日異なるコメントや休日ごとのちょっとしたイベント。寝る前や登校時の文がずっと同じゲームって多いんです。そんな中にあって、こだわりを忘れずにきっちり毎日毎日を楽しく書いている。手抜きが無いんです。 しかし、問題点もありました。それはダークか学園物かということではありません。ビジュアルノベルとしてのあり方にあるのです。雫はまず文章があって次にキャラクターがありました。これがサウンドノベルとしての基本であり、通常の下にメッセージボードがあってキャラがセリフを喋っていくアドベンチャーとの絶対的な差であります。キャラの前に文章が存在するのであり主役は文章なのです。ですから表情の変化や画面の発光など演出はさらに二の次三の次であり、飽くまで文章のサポートに徹して目立ちすぎてはならないのです。痕は雫と比べるとややキャラが目立ちすぎた感がありますが、まだ文章が主体でした。 では本作はどうだったでしょうか。To Heartの主役は間違い無くキャラクターであります。各キャラが話す毎に立ち絵を細かく変えたり桜吹雪や太陽光などの画面効果を始めとする様々な演出は、良くも悪くもそれ自体が極めて目立ち、文章の持つパワーを超えてしまいました。さらにPS版はボイス付きであり、読み手が自分の速度でゲームを楽しみながら読むというサウンドノベルの特徴をも殺してしまっています。問題はこれらに留まりません。先程も書きましたが、テキストは確かにレベルが高く読み手を惹き込むパワーを持っていました。しかし、本作のテキストはTo Heart専用のテキストなのです。キャラと演出と音楽、すべてがあって初めてテキストが生きる。逆に言うなれば、文章だけでは勝負出来ないんですよ。サウンドノベルである以上、キャラのセリフだけでゲームを進行していくのでは良くありません。テキストに巧みに心理描写や情景描写を混ぜていかねばならないのです。テキストからキャラの魅力を創造していくのであって、キャラの魅力がテキストに魅力に繋がっていくというのは逆転現象が起こるのはあまり感心出来ません。リーフビジュアルノベルと言うジャンルは文章に対するキャラクターのウェートは大きいのですが、それでもテキスト主体でなくてはなりません。 その点において、本作はセリフが多い割には描写が弱かった。つまり何を言いたいのかと言うと、何故わざわざビジュアルノベルにしたのだろうかということです。通常のアドベンチャー形式で売り出した方が演出がさらに際立ったと思うのです。テキストは確かに面白かったけれども、折角雫と痕で築き上げたリーフビジュアルノベルと言う偉大なジャンルを生かしきれていなかったところが 、 To Heartの弱点とも言えるのです。
上記の様な弱点を露呈しつつもTo Heartは現在も語り継がれる名作に他ありません。ということは、ビジュアルノベルとして働き切れなかった点を遙かに凌駕する魅力があったということです。 ではTo Heartの魅力とは何か。本作を振り返ると実に特殊なキャラが揃っています。超能力少女に外国人、キックボクシング少女にメイドロボ。普通の学園物では考えられない設定の数々。そんな女の子たちなのに彼女たちのシナリオに感情移入出来るのは何故なのか。それは、繰り広げられるシナリオがとても人間臭いからなのです。外観は変わっていますが、とても抱えている問題が身近だからこそ彼女たちへの愛が深まるのであり、風変わりな設定は愛すべき個性へと変換されていけると言えましょう。そして、それをサポートするテンポの良い日常の一コマ一コマと、何よりも男気溢れる主人公。「かくあるべし」という行動をここぞと言う時にきっちりとるからこそプレイヤーは主人公が好きになれるし、主人公が好きになったヒロインも好きになれるんです。これぞまさに「お約束」であり「王道」の体現ではありませんか。 To Heartは優れたゲームでした。毎日の移動場所決定や意味は無くとも微笑ましい会話構成は今プレイしても飽きを感じさせないつくりをしています。そんなこんなで 色々と楽しませてくれましたが、先程も述べたように本作はキャラクターが主体のゲームです。これまでの様に文章からキャラクターが生み出されていくわけでは無く、キャラクターがあって音楽が輝くし文章も生きる構成です。これが良かったのか悪かったのかはともかく、これはTo Heart以降のゲームに多大な影響を及ぼしたことは疑いようもありません。しかし勘違いしてはいけないのは、主役はキャラクターでありましたが決して文章がレベルがキャラクターを下回りはしなかったということです。優先順位こそキャラクターが先ではありましたが、テキスト、音楽もきっちりとキャラクターについていっている点を見逃してはなりません。文章がキャラを上回ってしかるべきであるノベルゲームというジャンルとしては如何なものかと思いますが、総合的な力が非常に高い。名作たる所以です。そしてこれは、キャラクターが文章をあまりにも上回ってしまっていることが多い現在のゲームに一石の疑問を投じていると言えるのではないでしょうか? |