僕と、僕らの夏
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思えば本作の洗練された「美しさ」は、パッケージの段階から既ににじみ出ていたような感じがします。二人の少女が大自然を背景に制服姿で微笑みあう姿なのですが、背景の美しさとキャラ絵の冒しがたい純粋さに加えて独特の浮き上がるような色づかいは、とても本作がエロゲーであるということを感じさせない芸術性を持っており、手にした者を惹き込む魔力を秘めている様に思います。ダムに沈む集落での最後の一夏を描くと言うノスタルジックな物語に非常に合っていますね。 随分と大袈裟なことを書きましたが、それだけ本作のパッケージは購入要因として大きな位置を占めると言うことです。見ただけで「外れは無いな」と予感させてくれるクオリティーの高いイラスト。ストーリーの雰囲気を大切にしていることがパッケージを見ただけで伺える、そんなゲームに出会えることはそうそうありません。 そしてその予感は見事に的中しました。萌えとは別次元の「美しさ」がそこにはあったのです。山中の集落で展開される人々の物語について批評していくことにします。 妥協の無いリアリティー いつも言うことですが、アドベンチャーの中でも特にギャルゲーと言うジャンルにおいて、シナリオを重視しようとするゲームにとって大切なことは総合力なんです。シナリオは無論のこと、キャラクター、音楽、テキスト、グラフィックなどあらゆる分野においてある程度のレベルを保っている必要があるのです。シナリオが良くても音楽が低レベルであれば雰囲気を味わうことなど出来ませんし、グラフィックが滅茶苦茶ではやる気が起きません。それだけギャルゲーではシナリオと他分野の重要性の比率が他ジャンルよりもかなり拮抗しております。当サイトが総合力を重視して得点を細かく足して付けている理由はそこにあります。 本作の総合力の高さとシナリオを生かすために如何に雰囲気を大切にしているかはゲーム開始と同時に分かります。本作にはオートメッセージ機能がありませんが、最初の場面(+とあるシナリオのラスト)だけが強制的にメッセージが自動で進行します。何故か。それはテキストと音楽と背景からプレイヤーに与えるイメージをすべて同調させた結果です。テキストと背景ならどこでもやりますが、音楽まで一秒と違わずにテキストと同調させることに成功しているレベル(技術では無い)の高さのは脱帽せざるを得ません。また、それだけ導入部分を大切にしていることを示しています。本作にはムービーの様なものはありませんが、この最初のシーンだけで近年乱発されている粗い構成のアニメーションや歌で構成されたオープニングムービーの数倍の満足度と興奮を得ることが可能であると思いますし、改めて総合力の重要性と言うことを気付かせてくれる一節であると感じました。 オープニングの素晴らしさを書いたわけですが、ストーリー中も全編において音楽、CG、テキストのマッチングは常時高レベルを保っておりました。だからシナリオが生きるし、シナリオ自体もレベルが高いからゲームからはまるでプレイヤーが村にいるかのような雰囲気を醸し出せています。この雰囲気をエンディングまで保ち続けることの出来た秘訣は、本作の持つ「リアリティー」であります。ダムの誘致によって村が沈んでしまうと言う世界観。ダム建設に対する住民の反対運動があったり、建設のために移り住んできた人への嫌がらせがあったり、雇用対策のために仕方なくダムを建設すると言う事情があったり……。ダム建設の裏にある大人の事情を隠さず丁寧に描いたことによって、「ダム建設によって沈む村」を単なるキャラクターが「登場する」場所として終わらせることなく、人々が「住む」一つの世界として確立させました。うわべだけを描かない綿密な舞台構成が、こうした閉鎖的な世界によりリアル感を与えるのです。舞台設定だけではありません。登場人物にもリアリティーがあります。その理由の前に「僕と、僕らの夏」のシステム性を述べなくてはなりません。通常ギャルゲーは主人公の視点で進行して行動やセリフの選択を行いますが、本作では主人公だけではなく、同一周回でヒロインの視点でもゲームを進行して行くことになります。ですから、主人公だけでストーリーを見るのではなく、複数の観点からストーリーを見るゲームと言うことになります。つまり、ストーリーも世界観と同様に、表面だけを見るのではなく裏面をも描くことによって全体像をより丁寧に細かくつくりこんできているわけで、リアリティーが非常に高い仕上がりになっています。ただ、これによってプレイヤー=主人公と言う従来のスタイルが失われるので感情移入はしにくい構成となっていることが欠点です。よって、本作はゲームを遊んでいると言うよりはドラマを見ている感覚になるかと思いますが、雰囲気を非常に重視したつくりになっていて全体的に完成度が高いので、プレイヤーは主人公はなれませんがゲーム世界にどっぷりと浸ることが出来ます。リアリティーが生み出すドラマ性に酔いしれることは間違いないでしょう。
ここまでは総合力の高さを述べてきました。最後は本質についてです。 本作には表ルート、裏ルートの二つのルートが存在します。裏ルートは表ルートを攻略し終わった後に出現します。本作はヒロインの視点からもストーリーが描かれると先程述べましたが、裏ルートは表ルートで描かれることがなかった一人のヒロインからの視点のみでストーリーが進行します。誤解を恐れずに言うならば、「僕と、僕らの夏」の本質はこの裏ルートに集約されると私は思います。裏ルートで語られる、汚れた、しかし非常に現実味のある一人の女の「今まで」と「これから」。過去に苦しみつつしっかりと自分に対峙して克服していく成長物語。そして成長のために必要だった一つの出会いと別れ。これは最早「恋愛ゲーム」などと言う一言で括れるものなどではありません。一人の人間の「生き様」です。それは決して武田信玄やコロンブスなどの大河的なものではありません。どこでも見かける私たち一人一人の青春の姿を描いたドラマなのです。 現実はゲームの様に上手くいきません。成功よりも遥かに失敗の方が多く、良いことの何十倍、何百倍もの嫌なことと向き合わねばなりません。しかし、それを踏み越えて人間は成長していかねばなりません。一つのハードルを乗り越えた時、私達は達成感を味わい、また一つの境界線を越えて成長する人を見たとき、私達は「美しい」と感じます。その達成が自分に近ければ近いほど感動は増すことでしょう。 誰もが経験し得る青春の挫折と立ち直り。それ故に大きな感動がある美しきドラマ……そんなゲームが「僕と、僕らの夏」です。純粋に恋愛ゲームと言えるゲームではありませんし、むしろ、純粋から現実への脱皮を描いていると言った方が良いでしょう。青春時代を過ぎ、幾度か壁にぶつかった経験のある方に是非ともお勧めしたい一本です。 映画化求む。多分、AIRより大作が生まれると思う(また余計なことを……)。 |