この世の果てで恋を唄う少女 YU-NO
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実家に帰った時にSSの積みゲーを崩していたら、押入れの奥から懐かしいものを見つけ出しましたのでついつい書いてみた批評です。 今回は、伝説となっていると言っても良い超大作この世の果てで恋を唄う少女YU-NO(以下YU-NO)について批評します。 私がプレイしたのはSS通常版(初回限定版はマウス・ポスター同梱で9800円)ですが、原作はPC98で1996年12月26日に発売されています。SS版では、原作には無かったCV、アニメーションが付加され、テキストがソフトになっている様です。また、ゲーム中に登場するアイテムについて幾つか変更がありました。2000年12月22日にはエルフ大人の缶詰に同梱されているelf classicにシャングリラ、シャングリラ2と共にYU-NOが収録され、Windows(95/98/Me/2000)でもプレイ出来るようになっています。 YU-NOをプレイしてもう10年近くが経とうとしていますが、鮮明に思い出すことが出来るゲーム性とストーリー性の驚異的なマッチングは、現在手にとっても色褪せないものがあります。と言うよりも10年を経て尚、YU-NOを超えるゲーム性を呈示出来たゲームがあまりにも少ないのです。一体YU-NOのそれ程までに大きい力の源泉は何なのでしょうか? 驚異の剣乃ワールド――並列世界 ディスクをセットするとelfのロゴの後にムービーが流れ始めます。ムービーの内容がゲーム開始時とまるで合っていないために始めは面食らうのですが、ゲームが後半に入ると納得いくようになっています。また、ゲーム中にムービーそのものがヒントになっている謎解きがあるところが何とも素晴らしいギミックだと感心しました。 キャラクター。キャラデザの長岡康史氏と言えばゴッドマーズやルパン三世の原画家であり「星界の紋章」を手掛けた監督。一昔前のレディースコミックに登場する様な均整の取れたクセの無い絵は、シリアスな世界観に合っていますし、苦手とする方は多くないのではないでしょうか。性格を見ると、こだわりをもって作ったわけは無いのかな、と言う気がします。あくまで登場人物は物語の歯車の一つでしかなく、性格よりも職業が重要になっている傾向が見受けられます。ですから、最も良いと思えたキャラクターが主人公に。これはある意味で「真のロールプレイング」を謳う本作の狙い通りの結果になったと言えるかもしれません。また、悪役の活躍も見逃せません。 ボイス。主人公も含め男性キャラにもボイスが付いています。主要キャラは重要な所はボイス付き、それ以外はボイス無しのパートボイス形態。キャラクター紹介項目を参照して頂くと分かるのですがゴージャスなこと。流石に上手いです。一番気に入っているのは龍蔵寺(笑) まさか大塚明夫ボイスが聴けるとは。 グラフィック。背景は非常に丁寧です。画面上をクリックして行動させるゲームなだけはあります。イベントCGの塗りは丁寧ですが、枚数はやや物足りない感あり。ヒロイン一人当たり10枚前後しか無いのではないでしょうか。立ち絵のパターンはありませんが、服装が数種類存在するキャラクターがいます。 ゲーム性。A.D.M.S.(搭載システム項目参照)を駆使して物語を行き交い、進行させていきます。さっき宝玉セーブしたAルートでアイテムを手に入れなくては、今進行中のBルートが進めない……ここで宝玉セーブして一旦Aルートに戻って、アイテムを手に入れてからBルート戻ってこよう――と言う様なことを繰り返すわけです。やってることは普通のADGのフラグ回収作業と同じ様なことなんですが、アイテムの使わせ方があまりに上手いので、フラグ回収が面白く感じるんですよ。普通のADGなら作業である手段が、YU-NOでは目的化しているのです。ゲームはこうでなくては。A.D.M.S.以外は概ね同級生の様な感じで、画面上の気になるポイントにカーソルを合わせて出てくる行動(話す、見る、なめる等)に合わせてクリックして進めて行く形になっています。ゲームは(OPを第一部と数えると)三部構成になっています。A.D.M.S.を駆使するのは二部で、一部と三部は通常のADG同様、選択肢を選んでストーリーを進めていきます。とにかくA.D.M.S.は秀逸な出来なので、一度触れて損は無いかと。 演出。時折入るアニメーションはあってもなくても良い程度のもの。効果音は稀に発生します。ムービーもこれと言って素晴らしいわけではないのですが、意味がありますのでこちらはポイント高し。画面上を調べさせるだけあって、画面効果はふんだんに使用されています。 Hシーン。所詮コンシュマーですので非常に短く実用性は皆無です。特殊なものは無いのですが寝取られ系が多く、プレイヤーを憤らせるために、主人公とのシンクロ率が高まりますが、この手のものが極端に苦手な方は要注意。主人公とヒロインとのものは互いの存在を確かめ合う様なものが多く、意義があるものが多かったと思います。また、禁忌を犯すシーンが多い……割には、いやらしさを感じさせないと言うのはライターの腕が素晴らしいからなのかなあ。 テキスト。エルフといえば蛭田氏だったのですが、こう読むと剣乃氏と蛭田氏の、笑いのツボのつき方はかなり似ている気がします。とにかく面白くてノリの良い文の数々。それでいて決めるところは決めているんだから大したものです。それも、すべてが会話と主人公の心の声からなりたっているので、感情移入がとてもしやすい形となっています。これも「真のRPG」を目指した結果と言えるでしょう。 シナリオ。並列世界を移動して両親が残した謎を解き明かす内容。このゲームの凄いところは、最初の時点で「並列世界」を動き回ることをあっさり明かして、尚且つ主人公もそれを理解していることです。並列世界自体は珍しいことではなく、これまでのADGにも存在していたことです。これまでのゲームでは、プレイヤーは剣乃氏曰く「神の視点」からキャラクターを操作して眺めている形をとっていたわけで、キャラクターはそのことを理解せずにあたかも一本道のストーリーを進んでいるかに見えたのです。しかし、主人公が並列世界を認識することによって、逆にプレイヤーが神の視点から脱却してゲーム内世界に入り込んだかの様な感覚を得られることとなりました。これが、剣乃氏が目指した「真のRPG」の結果であり、YU-NOの持つ力の源泉であります。しかし、私はこれを同時に勿体無い様にも感じるのです。本作はある意味で開き直ったゲームとも捉えられます。並列世界をゲーム後半で明らかにするギミックを盛り込んでおけば、プレイヤーにさらなる驚きを与えられた様にも思えてなりません。しかし、それでも尚、本作の並列世界は第三部で驚愕の事実を与えてくれるでしょう。あまりに独創的な世界観は、これまでのプレイが一体何だったのか馬鹿らしくなる程。但し、実はこのゲーム、幾つか謎が残ったままで終わるんですよね。そこを想像するのが楽しくもありますが。
さて、長々と書いてきましたが、このゲームはプレイ時間も相当長い。コンプリートまでに40時間以上かかりました。圧倒的なスケールにクリアー後は暫らく放心状態ですよ。一体YU-NOは何を言いたかったのかを、私なりに考えたものを纏めてみます。 すべての始まりは一つである。 だから、どんな形の恋も許されるのではないか……と。 ユーノはこの世の果てで恋を唄っています。この世の果て――あらゆる事象の根源(ブリンダーの木の始まり)――では何もかもが一つ。ここでは、世間一般の形に惑わされる必要はありません。ユーノの恋は本当ならば叶うものではありません。しかし、本当にそうなのでしょうか? 本来は叶っても良いものなのではないでしょうか。本作での「この世の果て」は人々が「本来」あるべきものを表しているのだと私は解釈しています。物語中、様々なタブー(ややネタバレのため反転→)(カニバリズムや近親相姦)が登場します。こうした表現は、「すべては元々一つであった」ことを暗示している様に私は感じました。 ADG好きなら是非とも触れて欲しい超名作YU-NO。 皆さんは、「この世の果て」で何を見つけますか? |