約束の日は、見事な晴天だった。
雲一つない空を見上げ少し苦笑いすると、は昨夜から用意しておいた
お気に入りのブラウスに袖を通す。
結局は散々悩んだ挙句、氷室の誘いを受ける事にした。
行こうか、どうしようかの行ったり来たりを繰り返し、このままでは埒が明かないと悟り
氷室に直接真意を確かめに行こうしたその時、以前の自分がショックを受けた彼の鋭い言葉をふと思い出したのだ。
―単に執拗な君の誘いを、条件付きで受けただけだ。それ以外は何も無い。
自分が蒔いた種から伸びた蔦に足をひっかけたようで、は人目を憚らず声を上げて笑いそうになった。
笑いを誘ったのは警戒していた自分に対する呆れだけではなく、堂々巡りから開放された嬉しさも混じっていたのかもしれない。
忍び笑いが消えて真顔に戻った時には、憑き物が取れたかのようにすっきりとした顔だちをしていた。
身支度を整え終え、鏡を覗いて髪を整える。
1人で居ることに極端に怯え、特定の誰かを待つ事に耐えられなかった頃には知らなかった「待ち遠しい」と
感じる時間がくれる独特の緊張感を、はくすぐったく感じていた。
落ち着かない様子で時計をみると、まだ指定時間の30分前をさしている。
さっき見た時から比べて、まだ5分しか過ぎていない。
浮き足立つ気持ちを抑える意味をこめて、は頬をつまんできゅっと引っ張ると、鏡から目を離さずぐりぐりと回してみる。
落ち着かないのは、浮かれているだけではない。
逆に言葉では言い表せない不安を打ち消す為に、必要以上に浮かれている部分もある。
氷室は自分を軽蔑し、むしろ見てるだけで嫌悪感を覚えるとまで言っていた。
そんな人間が何故、今更自分を誘うのだろう。
もしかしたら・・・という微かな期待に、口元が綻びたかと思うと、そんな思い上がりを打ち消すように
顔を引き締め首を横に振る。
の百面相は約束の時間の5分前、玄関を出るまで続いたのだった。
一方氷室はというと、気難しげな表情で眉間に皺を寄せ、の家まで車を走らせていた。
この表情が普段の彼の表情ではあるが、心中は若干穏やかでは無かった。
答案を返却したのが、水曜日の事。
それ以後、は何か言いたげな顔で時折視線を送ってきていたが、
彼自身1学期末考査の補習や夏休みの特別講習の打ち合わせ等で1人で居る時間も少なく、
結局話す間もなく時は過ぎ、今日を迎えた。
彼自身、今日呼び出した理由を半ば見失いかけていた。
の変化は急激で、視線や仕草に留まらなかった。
故意とも取れた隙の多さが嘘のようで、あくまで自然に周囲と距離を保ちつつ接している。
今まではどちらかというと、男子生徒に囲まれている事が多かったが、最近は特定の女生徒と
一緒に居ることが多い。
の変化を目の当たりにする程、彼女を穢し、篭絡しようと企む自分が陳腐に思えてならない。
己の奥底の、に対する決して認めたくない感情と向き合わねばならない事に、本当はもう気付いていた。
ギアに掛かる手に、知らず知らずのうちに力が篭る。
「・・・今更気付いたところで、手遅れだ。」
自分に言い聞かせる様に吐いた言葉。
その言葉に氷室の眉間には更に深い皺が寄せられ、その表情はを目の前にしても和む事は無かった。